八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

朝風呂は好いね

2011年06月30日 12時08分13秒 | 日常
今日、朝風呂に入った。
寝汗でベトついたのを洗い落せるから、夏の朝風呂は実に気持ちが良い。
温泉気分で好い気分にひたっていたら、『頭の血行』繋がりで、さるさるの蛸のはちまきの件を思い出した。
すべり込みで、さるさるが消える前にコピーでき安心した。

午前中は風呂上りなので足踏みだけをやったが、
肩から手のひらと股関節から足先に血が沁み入ってゆくような刺激を、足踏みしている間中ずーっと感じていた。
もちろん昨日より、足踏みは少し楽に感じた。

午後の足踏みでは、太腿、ふくらはぎの強張りが午前中のときよりも一段と弱く感じ、その分午前中より足踏みが僅かに楽だった。
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蛸のはちまき

2011年06月30日 11時06分01秒 | 脳幹出血
今さらしゃれっ気はサラサラないけど、散髪した自分の顔を手鏡でよく見てみた。

脳出血直後はおでこの中央部にあった赤白の一直線の境界が、今は髪の生え際まで上にあがっていた。
『まるで、蛸が鉢巻をしたみたいね。』と、よくお銀が言っていたので、いつしかそう呼ぶようになった。
そう言えば、お銀は赤が鮮やかな酢ダコが大好きだった。

すると蛸のはちまきは、おでこの中央から髪の生え際まで、13年かけて約3cmズリ上がったことになる。
医学的な意味は詮索するつもりもないけど、神経改善とともにズリ上がった線だから、何か縁起が良さそうだ。
目で見て違いが分かるまでに年数がかかるけれども、これからも『蛸のはちまき』を観察して行こうと思う。

 ps:蛸のはちまきより下は血行が良いのか赤く見え、上は皮膚が白く見える。
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今年前半の最後

2011年06月30日 07時00分03秒 | 日常
◇昨日は朝から暑かった。
  半袖、短パン姿で冷房入れて、ちょうど良いくらいだった。
  いつものようにリハビリをして、マヒが改善していること(感覚)をいろいろ味わったのだけれど、
  翌日に思い返してみるとさっぱり浮かんでこないから、リハビリ中に感じたことは、これからはその都度即日記に書いて行くことにする。

◇昨夜久しぶりに、所さんの笑ってこらえてのイタリア支局のところを見た。
  コマツバーラ支局長、ユルブリンナーばりのピカピカ後光が射した頭なのが、当たり前だろうけどイタリア語を喋っていた。
  失礼ながら、あの歳でイタリア語を話せる人はそうはいないよ、ホントかっこ良く見えたなぁ~(もちろん、外見じゃなく)

◇今朝明け方から、後頭部(アフリカのモーリタニア)付近にジワーと血流感覚が4,5時間続いていた。
  血流刺激は7:00にはほとんど消えた(慣れた?)が、両目で見る映像が心なしか昨日より良く見える。
   ・眼振の揺らぎ幅が、心もち小さくなったようだ。
   ・そういえば左右のズレは僅か小さくなったのかな、どうかな程度
 
  視覚関連は大脳の後頭葉がになっているから、吉兆であれば嬉しいのだけどね。
  2番目の映像ズレは期待もあって、多分にハロー効果のような気がする。
  頭の血流刺激が2年後ではなかったから、その点も含めて大いに嬉しい。

  やっぱり常に観察していて変わったことが起きたら、時間が経って忘れないうちにメモしなきゃね。
  翌日になったら、感激も薄れて記憶も薄れるか、忘れてしまいかねないもの。
 
◇今晩娘は夜勤の予定、例によって夕食とデザートを大いに期待したい。

◇今日は6月30日、今年前半の終わりだし、さるさる日記が12:00で終わる日だ。
  光陰矢のごとしと言うけど、歳をとるにつれて年々時間が早く過ぎて行くような気がする。
  今までさるさる日記のセカンドライフもご愛読頂いて、本当にありがとうございました。
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血筋

2011年06月30日 05時42分21秒 | 家族
脳幹出血したQちゃんのブログにコメントを書いていて、
昔オヤジのタバコを1本失敬しこっそりふかしてみたら、咽喉が辛くて咳き込んだことを思い出した。

最初は中学2年の頃だったと思う、「カライばかりで不味いタバコ、何で大人は吸うのだろう?」
高校を卒業すると親元を離れている開放感からか、背伸びしてタバコを吸う真似をしていた。
肺までは吸い込まずに咽喉だけで煙をふかす、いわゆる格好だけのスモーカーだった。

何かの拍子で肺まで吸い込んで、涙が流れるほど咳き込んだ。
その瞬間頭がクラクラしたが、『おぉっこれだっ、ニコチンが身体に沁み入る感覚は!』
あたかも脳の血管が収縮し、脳ミソ表面が軽く締めつけられるような心地の良さを感じた。
大学生、サラリーマンになるにつれ病みつきになり、そしてヘビースモーカになっていった。

一方、酒を初めて飲んだのは早かったな、たしか小学校4年生の頃だったと思う。
ものは試しと赤玉ポートワインを親公認のもとで、オチョコ1杯だけ飲んでみた記憶がある。
両親への手前、「渋い、不味い」とか偽善で言ったと思うが、内心では「渋いけど、結構旨い!」だった。
特に顔が火照って酒に酔う高揚感が、子供心に「酒は旨いもの」として強く焼きついた。

後日ほどなく、台所でオヤジの晩酌の日本酒を盗み呑み、小学4年の私が赤い顔してフラフラしていた。
お祖母さんは孫が赤い顔してへたり込んでる姿を見つけて、大変びっくりしたと思う。
でも親に言わずに、『ほれっ、ここに隠れて寝て起きろ!』と押入れに庇ったのは、さすが年の功だったと思う。
酒に関しては、子供の頃から『素質』があったのだろう。

娘達も私の血筋を引いて、どうやら酒もタバコも嗜んでいるようだ。
ホドホドに嗜む分には好いだろうが、高血圧体質も血筋として引き摺っているハズ。

 追記(2011年6月30日)
  食生活をキチンとしている限り、私みたいに脳出血はしないと思うよ。
  今にして思えば、単身赴任7年間で食生活は相当乱れきっていたと思う。
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俺の、おれの、オレの・・・

2011年06月29日 06時07分24秒 | 日常
◇昨日は時々雨の天気だったけど、日中はエアコンなしで過ごせた。
  夕方少し蒸し暑いと思っていたら、帰宅した娘が即エアコンのドライを入れたから、やはり私の体感温度は5,6℃狂っているようだ。

  いつものようにリハビリをして、改善の階段を1段のぼった。

  リハビリのご褒美にファミマの『俺のクレープチョコバナナ』を食べてみたけど、これ無条件に好いね。
  俺の、おれの、オレの、○○○(どっかで聴いたことがある)、ネーミングも好いし、大きくてガッツリ食えるのが何より好い。
  第6弾まで出ているようだから、そのうち全部食べてみたいなぁ~

   タイガー&ドラゴン

◇今朝まどろんでいて気がついたのだが、頭の芯に刺激を覚えたのは以前にもあって、たしかさるさる日記にも書いていたはず。
  で、さっき調べてみたら、2009年7月19日の日記に書いてあった。
  ふぅ、危ねぇ~、今日は6月29日だから、明日12:00には全部消されるところだった。
  多分、お銀さんが思い出させてくれたのかな、ありがとうね。

  前回は2年前で、自覚症状は『モワァ~』か。
  おそらく自覚症状のない小さな迂回路の開通は、その都度起きているんだろうと思うけどね。
  今回は『ジンジン』だし、自覚症状の内容からして、開通規模は前回より大きくなっていると思う。
  まぁ、時間をかけて観察しなければなんとも言えないし、今後も注意深く観察して行こう。

◇今日は真夏日になりそうなのでベストを脱ぎ、半袖のポロシャツ、短パンにした。
  もう午前中から冷房を入れて足踏みをしたが、マヒ足を上げ易いし、安定感も昨日より僅かながら強く感じられる。
  暑いけど、午後がまた楽しみだ。

◇アニメ・ワンピースについて、娘から教育的指導があった。
  (1)ヌフィは誤りで、正しくはルフィとのこと。
  (2)主人公はルフィであって、サボ、エース、ルフィの3人は回想シーンでの義兄弟で、エースも近い将来に死ぬ運命とか。
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ザイール付近が『もやぁ~』

2011年06月29日 05時53分08秒 | 回復の感覚
エジプトが額、ソマリアが鼻、セネガルが後頭部、アフリカ地図を人の顔とする。
今朝3時頃、ザイール付近の深奥部がもやぁっと温かくなる感じがして目が覚めた。
温かい感じは20~30分続いて、その後は首筋の後側が少し軽くなった感じがした。

再出血かと一瞬驚いたが、寝たまま様子を見てみた。
 ・マヒ肩の一部マヒが溶けて、指先まで少しチカラが漲った感じがした。
 ・マヒ顔面のホホ、まぶたがの引き攣りが、少し弱まった感じがした。

脳橋で規模のチョット大きい迂回路の部分開通があった?
早起きしてチェックしているが、今のところ眼振の振幅が少し小さくなったように思う。
パソコン画面が今までより綺麗で、文字もくっきりと見える気がする。
そういえば左右の目のズレが、気持ち小さくなったかなぁ

まぶたの隙間は依然として有りだし、手のチカラ、動きの失調も、特に変わった様子はない。
あとは、足踏みしてどうなるかだな。

(追)こういう一連の改善が積重なって、徐々に良くなって行くのだろう。
   ゴールのないマラソンだろうが、改善の流れは大きくなってるから、つい期待感も膨らんでしまう。
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私も当初は面会謝絶した

2011年06月28日 13時32分48秒 | 脳幹出血
脳幹出血よろず掲示板に投稿されたある人へのコメントだけど、後遺症が重いほど共通する心情と思うので再掲する。

>主人は家族には心を開いてくれますが、他人にはだめです。
>お見舞いの人が来られても無表情、笑いません。
>近所の人にも会いたくない、戸を閉めろ、カーテン閉めろ。
>デイにもいきたくない、ショートステイも行きたくない、いくら説明しても聞き入れてくれません。
>でも、焦らずデイにも行ってもらおうと思っています。

私も重い後遺症を背負ってしまった惨めな自分の姿を、他人の目には晒したくなかったです。

オムツをした寝たきりで、両手足とも殆ど動かせなかったし、発声難だったから会話ができなかったし、
耳もよく聞こえなかったし、目もよく見えなかったし、オシッコ、流動食、点滴のチューブに繋げられていたし、
そしてなによりも、顔がかなり変形してると想像ついていたからです。
以上に加えて、人によっては涎がダラダラの場合もあるでしょうね。

私の場合は、発病から3ヶ月は頑固に面会を拒絶し続けましたが、
その後時間が経つにつれ、理性や社会性などが徐々に出てきたと思います。
ちなみに発病後1年くらいまでは、会社復帰にご尽力頂いた以外の人と会うことはかなり嫌でした。
1年後に会社復帰はしたけれど、吹っ切れたのは発病から4,5年あたりで、
自分の負った後遺症を受容する気持ちと一緒だったと思います。

大変に大きな後遺症を背負う羽目になったのですから、
理性や社会性などが出てくるまでそれ相応の時間がかかると思いますよ。
焦って無理強いするとかえって心を閉ざしてしまいかねないでしょうから、
様子を見ながらじっくり行かれるのが好さそうと私も思います。

未来志向で、焦らずゆっくりと、頑張って行ってください。
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脳の可塑性について思う

2011年06月28日 12時41分53秒 | 脳幹出血
最近の研究で脳が傷ついて腕や足の機能が低下してしまっても、
「使おう」とし続けていると、脳の生き残った場所が失われた働きも担当してくれるようになることが分かってきた。
(NHKためしてガッテンHPより)

昨日夕方、NHKためしてガッテンの再放送を見て、12年間自己暗示してきた持論が裏付けられたようで大変嬉しかった。
脳に関してはここ20年くらいの研究で、長く定説とされてきた脳の医学的な常識(非可逆性)が覆されてきている。

生命や脳の分野は、現代医学でも解明されきれない神秘で不思議な領域なのだから、
『絶対に諦めたらいけないのだ!』、くらいの意気込みでちょうど良い。
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中心神経は少しの伸びでも凄い

2011年06月28日 06時12分40秒 | 日常
昨日は日中が肌寒くて、風邪をひいてもつまらないので暖房を入れた。
いつもどおりにリハビリをした。

感覚改善が大きくあった割には、運動面ではほとんどないのも過去の経験と同じ。
ただ、腹筋背筋が今までよりは少し出てきた所為か足踏みは格段に楽になったけども、
実際に手摺を伝い歩く際になると、マヒ足の安定感、チカラ強さの不足が大きく、歩き方のフォームは今までどおり。

しかし感覚面での脳神経の改善というか、迂回路開通による伸びの効果は大きいものがある。
迂回路再構築が体幹など中心の神経に移ってきているのか、ここの部分開通には迫力というか凄いものがあった。
先日の明け方なんか布団の中で1時間くらい、まるで身体中のマヒが無くなったように感じたもの。
少々のことでは驚かないけど、先日の朝の頭の芯(うなじの付近)に感じた血流刺激には恐れ入った。
次の開通はいつ時頃になるだろうか、これからも大いに期待して行きたい。

今日は予報では雨降りは続くけど、昨日よりはだいぶ暖かくなるようだ。
どんな一日が待っているだろうか、楽しみにするとしよう。

 ps:大概の感覚は慣れるつれて逃げ水のように消えたけど、頭痛の軽減、眼振の縮小、うなじ肩凝りの軽減、の3つは今でも続いている。
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当らずとも遠からじ

2011年06月27日 11時22分18秒 | 持論
脳細胞の大胆な仮定と想像のもとに、
脳幹(橋)出血で壊れた私の脳細胞に完全迂回路ができるまでの年数を、エイヤーと計算で求めてみる。
あくまでも医学に素人の乱暴な仮定と想像にもとづくものなので、軽く読み流されたし。


人の身体の細胞数 =60兆個。
脳=1350g、細胞数=500億個、と言われている。
脳幹=200gなので ⇒ 推定細胞数 500億×0.148=74億個。

医学に素人の恐いところかも知れないが、ここでエイヤーと以下のように大胆に推定。

  ・脳橋は脳幹の2割と推定。      ⇒ 細胞数=15億個
  ・橋の1割が出血でやられたと推定。 ⇒ やられた細胞数=1.5億個
   (高死亡率に勝ち、助かったのだから)
  ・リハビリで中枢神経の迂回は10秒間に1個活性化して伸び、その都度部分開通と仮定。
   (個人差、リハビリにより区々だと思うけど)
     1時間=3600秒=360個
     1日=24時間だから ⇒ 360×24=8640
     1年=365日だから ⇒ 8640×365=約300万
     10年では     ⇒ 300万×10=3000万

やられた脳橋が1.5億個だから、大胆な計算上は、発病から50年で迂回路が完成。
この10年間を振り返って見ると、必ずしもマユツバではない感じがする。

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