今日も晴れて暑い一日でしたが、午後から一時的な雷雨がありました。今日はずっとさぼっていたブログをまとめて更新しました。書きたいことがあり過ぎて、番組を見返したりして、一日仕事でした...。そして今日で7月も終わりです。
図書館で借りて、稲垣えみ子の「老後とピアノ」を読みました。友達が新聞の書評を見て面白そうだと教えてくれたので、借りて読みました。自分のことのようで、とてもとても面白かったです。ずっと前に読んだのですが、あまりに面白くて、なかなか感想を書けませんでした...。
大人になってから始めたピアノは、子供のころに習っていたピアノ教室とは全然違うという点に共感です。自分で好きで始めているので練習もやる気がある、経験値で毎日コツコツやれば進歩すると知っている、自分でやりたい曲を選んでもいい、最近の先生は優しい、など楽しい要素満載です。レッスンも毎週でなくても、著者は月に一度だそうです。レッスン日も、曲も、自分で決めるのは楽しいことです。
そうして始めたピアノですが、改めて気づくこともたくさん。まずは運指、つまり指番号。子供のころは面倒だと思った指番号ですが、実は先人の知恵が詰まっています。そうですよね。「タイ」や「スラー」「クレッシェンド」「休符」など、適当に読み飛ばして弾いている点の多いこと。作曲家が残した宝の地図の楽譜をきちんと読み取ってあげましょうと。確かに。「休符」は休めばいいから楽ちんかというと、意識をフル回転させねば指をどかすことなどできない、という言葉にも笑ってうなずきました。
最近のピアノの先生は優しく、教え方にも工夫があり、頑張りを認めてくれます。そして褒めた後にされる指摘の的確なこと。シャープが4つ付いていて頭がこんがらがっても、いつか指が曲を覚えますよという一言にも納得です。確かにそうなんですよね。1日5分でもいいから毎日ピアノに触った方がいいという先生の言葉も嬉しかったです。
著者は自宅にピアノがなかったり、一日何時間も練習して腱鞘炎になったり、私と違う部分もたくさんありますが、共感できる部分もたくさんあります。ピアノの先生が若くてイケメンなのが違いすぎますが(笑)、私の先生もいい先生だなと改めて思いました。
著者曰く、「我々に残された時間は無限でない。いつか弾きたい曲を弾くために懸命に基礎練習だけしていても、いつかがやってくる前に人生は終わるかもしれない。自分のレベルにあった弾きたい曲を探して練習すればいい」その通り!確かに大人のピアノ教室はそれが楽しいです。
やった方がいいと分かってるけれどやっていない練習ということで上げられていたのが「片手練習」「運指を適当にやらない」「ゆっくり練習」「徹底して力まない練習」どれもあまりに納得で、大きくうなずきながら読みました。
どれもよく注意されることです。どうしても早く曲っぽく弾きたくて、初めから両手で弾きたくなりますが、片手で弾くと分かることがあります。運指はその通りやった方が近道だと知って、最近は守るようにしていますが、最初は不自然に感じる運指にイラっとすることもあります。ポップスとか、早く聞いたことあるスピードで弾きたくて同じ場所でつまずいてしまい、「どうしたらいいでしょう?」と相談したら、「ゆっくり弾きましょう」と言われました。「ゆっくり弾けてもつまらない」と生意気なことを思ってしまいますが、「ゆっくり弾ければそれを早くするのは簡単です。早く弾いている限り、苦手なところは絶対に弾けるようになりませんよ」と言われました。その通りでした。そして力まないこともとても難しいです。よく1曲弾き終えると「息してますか?」と聞かれます。「ガチガチでしたね」と。でもあまりに力まないことを意識しすぎると今度は「ふにゃふにゃで指が鍵盤の下まで届いていませんね」と言われます。奥深いです。
本に戻ります。どんなに下手でも老眼でも、ピアノの前に座ることが嫌にならなかったのなら、それだけで充分ではないか。体力や能力が衰えて、ちっとも上手くならなくてもいい、どうせどこへも行けないのなら、今この瞬間を楽しめばいいではないか。ほんの1小節でも自然に弾くことができたらそれが今日のゴールで、明日も生きていたら、明日もまた同じことをすればよい。いつか1曲弾けるようになるかもしれないし、ならなくても構わない。野望を持たず、今を楽しむ。老人は今に全てをかけるのだ。と結ばれます。その通り、本当に勇気をもらえる本でした。
すいません、あまりに共感して自分のことを書いてしまい、長くなりすぎました。私も自分なりの「老後とピアノ」を書きたくなりました(笑)。