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半世紀前の事....

372 木村 起佐 さん = ビルマの人を愛した女医

2014-07-19 04:26:10 | 思い出日記
  人生で歴史に名を刻む人に会ったことは無いと思っている人が多いと思います。あの時に会った人、歴史上に残らなくても有名で無くてもきっと社会貢献や珍しい体験をした人がいるはずです。

 87歳で生涯を終えられました木村起佐さん(確か、パスポートにはハルと書いてあった?)という医師がおられました。大日本帝国のパスポートを見せていただいた時、ただただ珍しい古いものを見た、こんなパスポートを持った方にお目にかかれて凄いなと思っただけでした。確か、82歳の時にビルマ(現、ミヤンマー)迄一緒させて頂きました。当時は若くて、自分の事で精一杯で、この方の人生を、もっと真剣に話を聞いてメモっておけば良かったと悔いています。
 その頃は、パソコン、ワープロも無く、プロの方が一字一字を手打ちで打つものしかありませんでした。それで打った自家製の本「ビルマの思い出」を今日迄、本棚の肥やしとなっていたものを読みました。同行された方が、「慰霊行 ビルマ戦跡を訪ねて」、同じくビルマに戦争で行かれた方で「火炎樹」と言う本を書かれて、その中で3ページを使って彼女の経歴を書いておられました。この方も、歴史に残したい、名軍医だった人です。
 それらの本を、今になって初めて読んで一層、あの時もっと聞いておけば良かったと後悔しています。このような事が多くあり、我が人生、後悔する事が多すぎます。

 ビルマと名のっていたその国は、鎖国を止めて間も無くだったので、VISAもシンガポール空港内で受け取りました。衛生状態は最悪で、ホテルにはヤモリがいる、町に出れば顔が荒れている人ばかり、これは後に日焼け止めの為と分かりました。寺院では裸足になりましたが、病気がうつるのではないかと心配しました。私は若く、衛生状態は許容範囲、想定を超えていました。

 そんな中、起佐さんはビルマに着くと生き生きして、路上で売っている竹の皮で包まれたモノを美味しそうに食べておられた事を思い出します。私なんか、凄く汚くて思っているのに驚かされる事が多かったです。その国内をプロペラ機、その飛行機に一緒に負傷兵が乗っているという中で、草原に着陸という旅をしました。
 元気で小柄な起佐さんが、ラングーン(現・ヤンゴン)到着後、空港で旧知のビルマの人達に偶然会うことができて、ビルマ語で懐かしい対話をされて、尊敬親愛の念に溢れた、真に感動的な光景でした。いかにこの国に貢献されたか、その時既に戦後何十年とたったのに、この後、ビルマ各地で同じような姿が何度も見られました。
 本人は余り自分の事を言われなかったですが、タダ一つ覚えているのは、戦中迄、30年以上ビルマに住んでコレラやマラリアの患者を世界で一番数多く治療したと言われた事でした。一人一人の蚊帳の中に入って治療されたと言う事は、医者と言う事以上に人を愛されたと思います。

 英国支配からの独立に協力した日本人は、その後、敗戦で逃げる時にも家々の前に食料が置いてあったそうです。現在テレビで映るようにミヤンマーが近代化していますが、こんなにもビルマの人を愛した日本人がいた事を後世に語り告げない、そして残せないのは悲しいことです。
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