旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

少年と床屋の奥さん

2015年11月11日 18時22分38秒 | エッセイ
少年と床屋の奥さん

 12の頃だったか、いつも行く床屋が閉まっていたのか、初めての床屋に行った。床屋代は小遣いとは別に母親からその都度もらっていた。歯医者ほどいやではないが、子供にとって床屋は退屈で、待ち時間に新しいマンガが読めればラッキー、それ以外は何も良いことはない。ひげも生えていない少年でも、頭は洗うし顔は蒸してから剃るので時間がかかる。
 初めて入った床屋は小さくて椅子は二つだけ、窓ガラス越しに太陽の光が狭いスペースを汗ばむほどに温めていた。「いらっしゃい。」他に客はいない。白い上着を着けた女の人が、腰かけていた待ち合いの椅子から立ち上がった。
 12の少年に女の人の年は分からない。その時の印象を言葉にすれば、「女の人だ。」いつもの床屋は親父か若者で、女性に髪を切ってもらうのは初めてだ。さてこの温室のような部屋のゆったりした椅子にスッポリ収まり、床屋の会話が始まった。「長さはどの位?」「後ろは刈り上げる。」
 今日は何だか気持ちがいいな。女の人はゆっくりとした口調で会話を誘導する。「君はどこの子、何年生?」椅子を倒して温かいタオルを顔にかぶせると、うっとりとして眠たくなる。タオルを外して息がかかるくらいに体を寄せ、女の人が顔そりを始めた。会話は中断だ。んっ、ひじに女の人の体があたる。小さな接点に神経を集中させると、柔らかくて弾力があって温かい体を感じる。気しょくええー。あまりに気持ち良くて、もっと触れていたい。手を肘掛にそろそろとずらした。
 その姑息な動きを見破られたか(心臓がバクバクする。)、その後女の人の体の、腰から太ももの上の方の極く小さなポイントがそっと手に触れる。自然に会話を再開しながら、そっと触れふっと離れる。あーもっと触れていたい。しかしここで、「ハイ、お仕舞い。」散髪が終わってしまった。彼女はウブな少年をからかったんだろうか。
 支払いの時に80円不足した。いつもの床屋よりちょっと高かったんだ。「いいのよ、おまけ。」「でも取ってきます。」ところが、家に着いた俺はそのまま引き返さなかった。そして何故か二度とその床屋へは行かなかった。