旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

死ぬかと思った朝の高速

2015年04月28日 12時25分03秒 | エッセイ
死ぬかと思った朝の高速

 25-6歳の時、会社の車で早朝の高速道路を走っていた。あの当時は毎晩遅くまで会社に残っていたから、家に帰る時は車を使った。入社した年の除夜の鐘は会社で聞いたものだ。運転は未熟だったから、一年で会社の車を三台は潰したが、幸い大きな事故は起こさなかった。
 最初に行った出張先で、その日のうちに自損事故を起こし車はボコボコ。しばらくして運転の慣れてきたころ、信号待ちのバスに追突。この時は同乗していた女の子達の悲鳴にこっちがびっくりした。しかし何だね。バスの頑丈なこと。「ガッシャーン」という大きな音がして、こちらの車の前はグシャグシャになっているのに、バスはバンパーがほんのちょっと、ちょっと見分からない程度の傷が出来ただけ。この時は一升ビンを持って、バスのたまり場のような営業所にあやまりに行き、見逃してもらった。交通違反も多々あり、車にまつわる余り大っぴらには書けないようなことも色々あったがここは割愛、時効成立だ。
 先輩が高速を走っていて、前を走るトラックの幌が風にあおられて何度もめくれあがり、『危ないな。』と思っていると、幌がついに荷台から離れて、あっという間にフロントガラスに貼りつき真っ暗になったそうだ。前が全く見えない状態が1秒2秒、ドックンドックン心臓が高鳴り汗が吹き出してきたそうな。ハンドルを切ったら死ぬ、急ブレーキをかけたら死ぬと思い、両手でハンドルを固定し直進した。直後にシートは後方に吹き飛び、視界が戻った。そんな話しを「へー」と笑いながら聞き流していた。数週間後に自分がそんな場面に遭遇するとは、お釈迦様でも知るまいに。
 ある日の朝早く、第三京浜はすいていたから、多分120km位で走っていたのだと思う。あの頃はとにかく飛ばした。前を走る乗用車は屋根の上にサーフボードを載せていた。小さな車に大きなボード。そのサーフボードが突然、車から外れて舞い上がり目前に落ちた。ブレーキを踏む間もない。目をつぶってボードの上を突っ走った。幸い、本当に幸いなことにボードが縦に落ちたせいで、タイヤとタイヤの間にかろうじて収まった。しかし「ガン」という衝撃が車に走り、車が一瞬浮いた。「助かった!」タイヤがボードに、乗り上げていたら車がすっ飛んだことだろう。バックミラーを見ると、車の下面のどこかにぶつかった衝撃でボードが飛び上がり、中央分離帯を越えて反対車線に吹っ飛んでいった。
 ボードを落とした車は、そんな危機一髪の大迷惑を起こした事をつゆ知らず、そのまま走り去った。海に着いて車を降りたらザマーミロ。ボードが飛んでいった反対車線で何が起きたのか?今でも多少気になるが、その日の夕刊に事故は載っていなかった、と思う。多分。



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添乗員の話

2015年04月28日 12時19分14秒 | エッセイ
添乗員の話

 友達が旅行の添乗員をやっていたんだ。彼は今は別の仕事をしているが、彼が添乗員だった頃、当時自分がいた会社の社員旅行を一度だけ頼んだ。その時の旅行の幹事が自分だったんだ。バス一台で間に合っちゃう人数だったが、自分もその時初めて準添乗員のような気分を味わい、いやーこの道も楽じゃあないな、と思った。
 まあ旅行の中身は割愛するが、バスの中だけでも大変だった。酒につまみ、マイクが飛び交い宴会場と化したバスは喧しく、後ろの連中は寒い、前の方は暑い(その逆だったっけ)暖房を入れろ、切ってくれ、女の子はトイレが我慢出来ないバスを止めてくれ、だの大騒ぎ。ところが添乗員の友達は、じっと座って動かない。『こいつ冷たいんじゃないか。』とその時は思った。バスの暖房は一度切ってもらい、また入れた頃から運転手はへそを曲げ、女の子のトイレ要求はとても伝えられない。気が気じゃなくてやきもきしているうちにバスがホテルに着いた。やれやれ。あ、そーか、お客の反応に一々過敏に反応してちゃいけないんだ。
 彼から聞いた仕事のエピソードは多々あるが、いつも彼はまゆをちょっと寄せて、ボソボソと困ったちゃん顔をして話していた。一番笑えたのが猿山の話で、ツアーの旗を猿に取られ、取り返そうと追い回したこと。比叡山には何度も行って若い坊さんと友達になったのは良いが、部屋で迫られたこと。イイナーと思ったのが、旅先でバスガイドさんとうまくやっちゃったこと。それとドライブイン、お土産屋のキックバックで、良いのが伊勢志摩の旅行。真珠のネックレスを買うお客さんが何人かいると、例えば10%のバックで数万になるそうな。あと何回かに分けてバスで四国のお遍路を廻る旅に添乗し、半年かけて一周すると御朱印帳が完成する。これを掛け軸にすると、結構な市場価値になるそうだ。添乗のおまけだね。
 でもいい事ばかりじゃあ無い。大変だなーと同情したのは、夜中に宿の人に起こされて風呂場に連れていかれると、裸のじいさんが洗い場に仰向けに寝かされて死んでいる。「おたくの団体の人じゃないかね。」と聞かれたが、違っていたのでホッとした、という話し。
 それと極めつけが旅の幽霊話。自分もタイとインドで経験したが、旅先ではよくあることなのかも。だけど彼の話は妙にリアルで怖かった。だいたい添乗員は旅館が満員だと普段使っていない、布団部屋のような所をあてがわれるらしい。その時は場所も青森、下北半島の恐山、死者の口寄せをするイタコで有名なところ。薄暗い部屋に入ったとたんゾクッとしたそうだ。畳も何やらジトッと湿っている。いつもの勘が働き押入を開け、奥を覗くと案の定、魔除けの般若図が貼ってあった。しかもそれが二つに裂けているじゃないか。これは何とかしてもらおう、と思っていたが宿は夕食時でてんてこ舞い。夜遅くまで客の世話をしているうちに部屋の事などすっかり忘れてしまった。
 疲れていたので旅先の冷たい布団にくるまり、いったんは寝たようだが、上からのし掛かる重さにうなされ目が覚めた。ところが金縛り状態で動けない。小さな部屋の中は幽霊がひしめき合い、特に小さな婆さんが正座をしたまま、布団の上を飛び回り、その婆さんと目力で対抗している内にやっと夜が明け、金縛りが解けたが寝る前よりもぐったりしていたそうだ。翌朝宿の人にその出来事を告げたが、「アア出ました。申し訳ないです。護符は貼り代えます。」とアッサリかわされたらしい。くわばらくわばら。



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