旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

自転車の話

2018年02月13日 07時04分17秒 | エッセイ
自転車の話

 もう時効だから言うけど、大学生になるまで自転車に乗れなかったんだ。子供の時の補助輪付きの自転車から、先に踏み出さなかった。特に不便でもなかったし。
 友達に手伝ってもらって、一日で乗れるようになった。その友達は凄かった。自転車を抱えて斜面を登り、柵を乗り越えて高速道路を走っていた。

 ほんの短い区間だが、そこを走ると下の道を行くより大幅にショートカット出来るそうだ。丘を2つ分超えるほどの道を、3分に短縮出来るらしい。彼はバイトに行く時にそれを何度もやっていた。高速道路で自転車が走っていたら、ドライバーはびっくりする。悪い夢でも見ているようだ。
 今なら携帯で直ぐに通報されるだろう。当時も道路公団は、謎の自転車男を取っ捕まえようと網を張ったが、つかまる前にバイトが終わり、通らなくなった。

 自分は中高一緒の私立だったが、クラスで学年の終わりに記念旅行が計画され、話し合いの結果サイクリングに決まった。げっ、サイクリング。まさか乗れない、とは言いだせず、当日は休むしかないな、と思っていたら中止になってホっとした。
 
 子供達が生まれ、休日に車でプチドライブ。サイクリングコースで貸し自転車を走らせた。車道と離れているから走りやすく、気持ちがよい。そこで何度目か遊んでいたら、水たまりがあり、そこに自転車が突っ込んだ。あれっと思う間に車輪が滑り、見事に横倒しになった。悪いことに足首が自転車の下になり、そこに体重がかかった。アツっ足首がみるみるダンゴのようにまんまるに膨れ上がった。
 骨折、脱臼で10日間ほど入院した。脱臼を治す時は痛かった。先生が足先を抱えて、思いっ切り引っ張って定位置に戻す。しかも一回目は失敗して数日後に繰り返した。ギュっと引っ張ってグリグリと押し込む。成功した2回目の方がまだましだったが、あれほど痛くて気持ちの悪い思いはもう嫌だ。それでサイクリングは終了。その後何年も自転車には乗らなかった。

 それが40代になってまた乗り始めた。最初は自信が無かったよ。浅草花やしきの販売促進係長(課長不在)になった。園貸し、ホール貸し、団体誘致、取材対応、イベント企画、広告・宣伝等々が本業なのだが、何でも屋だった。
 影の園長、主(ぬし)のような経理のバアさんに当初は敵視され、こき使われた。午前中の銀行(売り上げの納入、各種振込み、両替)廻りによく行かされた。浅草の街に自転車はよく似合う。車が入らない通りが何本もあるんだ。花やしきから駅前まで、一度も車道を通らなくて行ける。仲見世も通らない。何通りも経路があるので楽しい。

 正月明けでは売り上げが溜り、1千万円を超える現金を運んだ。その後影の園長とは仲良くなったが、やがて彼女も辞め、経営者は代わり、会社は無くなった。その後自転車に乗らない生活が続いている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ラオスの娘 | トップ | 先生、そりゃないよ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

エッセイ」カテゴリの最新記事