旅とエッセイ 胡蝶の夢

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気になる日本人・日系人

2019年04月28日 10時25分41秒 | エッセイ
気になる日本人・日系人

 本の中にちょこっと出てきた2人の人物が気にかかる。

 最初は、"江戸のダ・ヴィンチ"司馬江漢(1747-1818)。18-19世紀の人なんだ。この人、平賀源内の友達です。ダ・ヴィンチとは大げさだ。司馬江漢は、模倣の人で天才じゃあない。でも面白いよ、この男は。
 中国人ではない。江戸時代の絵師で学者、すこぶる奇人。日本初の銅版画、油絵を描き、地動説を紹介して世界地図を模写した。

 お世辞にも上手いとは言えないが、閉塞した鎖国日本で、こんな絵を残していたのか。東京芸術大学の美術館等に、司馬江漢の作品が展示されているらしい。今度見に行こうと思う。

 司馬江漢のことは、ドナルド・キーン氏の本で知った。歴史上の人物に一人会えるなら、キーン氏は司馬江漢に会って話をしたいそうだ。










さて、次は女性。"アユタヤのマドンナ"ギマー夫人。タイ人には「ターオ・トーン・キープマー」と
呼ばれる。シャム人のアユタヤは、権力闘争、後継者争いの激しい血塗られた王朝であった。まあ中国、トルコ、ヨーロッパの王朝も似たようなものだ。


 マリー・ギマーは美しい娘だった。父はポルトガルとベンガル人の混血。母、山田エスラーは、キリシタンでポルトガルの宣教師の記録に、88歳まで存命したとの気ワイがある。
 美貌を唄われたギマーは18歳で、第28代ナーラーイ王(1656-1688)の信頼篤い総理大臣ファールコンに嫁いだ。コンスタンティン・ファールコンはギリシャ人だ。アユタヤ朝は実に国際色豊かだ。
 ところが、ギマーの運命は突然暗転する。ナーラーイ王が危篤になると、乳兄弟で王室象部隊長、後のペットラーチャ王(1688-1703)が官僚貴族らと組み、クーデターを起こす。FA-RUKONNは捕らえられて処刑される。ギマーも捕らえられ、財産・屋敷は没収された。ギマー夫人は1690年に釈放され、母や家族を連れて日本人町に移り住む。
 しかし、最終第5次鎖国令が出されたのは、島原の乱の翌年1639年だ。新たな流入の途絶えた日本人町は衰退の一途を辿ったのだろう。ギマー夫人はポルトガル人町に移り、第31代ターイサ王(1709-1732)の時代まで暮らしていたそうだ。1705年にイギリスで最初の実用的蒸気機関が発明、1755年、アメリカ独立革命、1789年フランス革命。近代の足音は迫っていた。
 1719年、イギリス人アレキサンダー・ハミルトンが、アユタヤの宮廷で彼女と会った記録を残している。どうやら再婚はしなかったらしい。
 ギマー夫人の子孫は、宮廷の官吏やシャム軍将校として活躍した。息子はシャムの海軍大尉、孫はアユタヤの倉庫監視官になった。
 母親の名から、山田長政(1590-1630)との血縁が噂されるが、定かではない。
彼女が有名になったのは、金色のお菓子を作り、それが今でも残っているからだ。

 小麦粉・砂糖・ヤシ油・ココナツを土台に卵を混ぜた金色の菓子。
「トーン・プローン」「ジップ・トーン」「プーン・トーン・プルー」

金の御捻り、炙り菓子、金の雫、卵素麺などと言われる。どう?美味しそうでえしょ。















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