三国志演義
今までで一番良く読んだ本は、バイブル、ではなく吉川英治著『三国志』だ。箱のようにすっぽり収まるブックカバーのついた大きな本、上中下巻は丈夫な本だったが、読み過ぎて最後にはボロボロとページが外れてしまった。三国志は一度読破すれば、後はどこから読んでも面白い。エピソードの積み重なりのような物語なので、途中のどのページを開いても、直ぐに話に入って行けるのだ。そして何度読んでも面白い。有難う、吉川先生。
一騎討ちに出てくる武将は、その一回だけで討ち取られ、紹介されたと思ったら「ハイ、お終い」が少なくない。それにしても劉備一行は、傭兵としてあの広い国土をよくも流れ流れたものだ。それに実によく負ける。またも負けたか、劉備の玄ちゃん。
三国志最強の武人は誰か?これは文句なし、呂布だ。呂布と呂布が鍛えた騎兵隊の強さは、尋常じゃあない。あの張飛が敵わず、加勢に来た関羽と劉備(彼はほとんど戦力外)の三人を相手にしても余裕だ。こんな男は二人といない。張飛も関羽も生涯、呂布の他に一騎打ちで負けたことはない。しかも呂布は天下の名馬、赤兎馬(せきとば)に乗っているから、斬り合いをいつ止めるのも自由だ。この時もちとうるさいと自分から離れている。赤兎馬に追い付く馬はいない。
呂布は二度の主殺し(養父殺し)と数度の裏切りで悪名高いが、何故か権勢欲を感じない。裏切ってから、イジイジと後悔している。彼は戦国の世で、大切な三つの物を手に入れた。天下の名馬・赤兎馬と傾城の美女・貂蝉(ちょうせん)、それに無二の親友・高順だ。高順は頭が切れる。相当な悪事も呂布に提案するが、呂布はなかなかそれに乗らない。天下が取れるのに。馬鹿なのか、人が良いのか、或いはその両方なのか。貂蝉も高順も、呂布とその死を共有した。赤兎馬は呂布の死後、曹操を経て関羽の持ち馬になるが、呂布の時が最も輝いていた。
普段の呂布は決断力が無くてもどかしいが、一旦戦場に出れば勇猛果敢で光り輝く。「口」を二つ並べた三角旗を翻した呂布の300人の軽騎兵が疾走すると、敵の大群は真っ二つに断ち割られ、後には累々と兵が横たわる。騎兵隊は血煙りをたなびかせて去る。張飛も晩年になってから呂布の強さを思い起こし、騎兵隊を鍛えている。戦場を颯爽と駆け抜ける呂布軍の姿が目に焼き付いていたんだろう。
呂布には華がある。味方にすればこれほど頼もしい男はいない。悪党でも恰好がよく、化け物のように強い。といって容貌魁偉の大男といる訳ではない。曹操も悪役ながら魅力があるが、呂布にはとても敵わない。呂布が前半早々でいなくなってしまうのは、実に寂しい。
さて美髯公・関羽はその悲劇的な死もあって民衆から祭られ、関帝廟として信仰されている。横浜・神戸・長崎の中華街には立派な関帝廟がある。しかし三国志の中で、自分が一番好きな登場人物は彼ではない。全身これ肝の人、趙雲子龍が一番好きだ。趙雲の活躍には心が躍る。三銃士で言えばダルタニアン。いつも真っすぐで孤高で潔い。殿を任せたら、これほど信頼出来る武将はいない。彼は結婚していたのね。奥さんがお茶目心を出して、針で突いたら血が止まらなくなって死んだ、という。本当なら奥さんが可哀そう。
あと馬鹿で大酒のみで短気で、欠点むき出しの張飛も好きだ。そう思うのは自分だけでは無いと見えて、中国には趙雲廟も張飛廟もしっかりとあるんだな。特に趙雲については、義和団の元になる義和拳が崇拝していたそうだ。
さて三国志とは離れるが、中国で最もよく祭られているのは、海の女神・媽祖(まそ)ではないかな。マ祖は航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神だ。台湾・福建省・潮州で特に強い信仰を集めている。ということは、華僑によって海外にも広まる訳だ。天上聖母、天妃娘娘、海人娘娘、媽祖菩薩とか色々と呼ばれている。親しみを込めて媽祖婆・阿媽とも呼ぶ。
媽祖は宋代に実在した官吏の娘、黙娘が神になったと云われる。960年、福建省興化府の官吏の7女として生まれ、幼少より才気煥発、16歳で神通力を得て村人の病を治すなどの奇跡を起こした。28歳の時に父が海難に遭い行方知らずとなる。これに悲歎した彼女は旅立ち、峨嵋山の山頂で仙人に誘われ神になった。別の話では、父を捜しに船を出して遭難した。遺体は媽祖島(馬祖島、現在は南竿島、福建省)に打ち上げられたと云う。
中国では文化大革命で「迷信的、非科学的」として全ての廟祠が破壊されたが、今では徐々に復興されている。日本では江戸以前では南薩摩、江戸期では何故か水戸、茨城の大洗、青森県の大間に祀られている。沖縄、ベトナムにも媽祖信仰がある。2006年に横浜中華街、2013年に東京新宿区新大久保に媽祖廟が出来たそうだ。
今までで一番良く読んだ本は、バイブル、ではなく吉川英治著『三国志』だ。箱のようにすっぽり収まるブックカバーのついた大きな本、上中下巻は丈夫な本だったが、読み過ぎて最後にはボロボロとページが外れてしまった。三国志は一度読破すれば、後はどこから読んでも面白い。エピソードの積み重なりのような物語なので、途中のどのページを開いても、直ぐに話に入って行けるのだ。そして何度読んでも面白い。有難う、吉川先生。
一騎討ちに出てくる武将は、その一回だけで討ち取られ、紹介されたと思ったら「ハイ、お終い」が少なくない。それにしても劉備一行は、傭兵としてあの広い国土をよくも流れ流れたものだ。それに実によく負ける。またも負けたか、劉備の玄ちゃん。
三国志最強の武人は誰か?これは文句なし、呂布だ。呂布と呂布が鍛えた騎兵隊の強さは、尋常じゃあない。あの張飛が敵わず、加勢に来た関羽と劉備(彼はほとんど戦力外)の三人を相手にしても余裕だ。こんな男は二人といない。張飛も関羽も生涯、呂布の他に一騎打ちで負けたことはない。しかも呂布は天下の名馬、赤兎馬(せきとば)に乗っているから、斬り合いをいつ止めるのも自由だ。この時もちとうるさいと自分から離れている。赤兎馬に追い付く馬はいない。
呂布は二度の主殺し(養父殺し)と数度の裏切りで悪名高いが、何故か権勢欲を感じない。裏切ってから、イジイジと後悔している。彼は戦国の世で、大切な三つの物を手に入れた。天下の名馬・赤兎馬と傾城の美女・貂蝉(ちょうせん)、それに無二の親友・高順だ。高順は頭が切れる。相当な悪事も呂布に提案するが、呂布はなかなかそれに乗らない。天下が取れるのに。馬鹿なのか、人が良いのか、或いはその両方なのか。貂蝉も高順も、呂布とその死を共有した。赤兎馬は呂布の死後、曹操を経て関羽の持ち馬になるが、呂布の時が最も輝いていた。
普段の呂布は決断力が無くてもどかしいが、一旦戦場に出れば勇猛果敢で光り輝く。「口」を二つ並べた三角旗を翻した呂布の300人の軽騎兵が疾走すると、敵の大群は真っ二つに断ち割られ、後には累々と兵が横たわる。騎兵隊は血煙りをたなびかせて去る。張飛も晩年になってから呂布の強さを思い起こし、騎兵隊を鍛えている。戦場を颯爽と駆け抜ける呂布軍の姿が目に焼き付いていたんだろう。
呂布には華がある。味方にすればこれほど頼もしい男はいない。悪党でも恰好がよく、化け物のように強い。といって容貌魁偉の大男といる訳ではない。曹操も悪役ながら魅力があるが、呂布にはとても敵わない。呂布が前半早々でいなくなってしまうのは、実に寂しい。
さて美髯公・関羽はその悲劇的な死もあって民衆から祭られ、関帝廟として信仰されている。横浜・神戸・長崎の中華街には立派な関帝廟がある。しかし三国志の中で、自分が一番好きな登場人物は彼ではない。全身これ肝の人、趙雲子龍が一番好きだ。趙雲の活躍には心が躍る。三銃士で言えばダルタニアン。いつも真っすぐで孤高で潔い。殿を任せたら、これほど信頼出来る武将はいない。彼は結婚していたのね。奥さんがお茶目心を出して、針で突いたら血が止まらなくなって死んだ、という。本当なら奥さんが可哀そう。
あと馬鹿で大酒のみで短気で、欠点むき出しの張飛も好きだ。そう思うのは自分だけでは無いと見えて、中国には趙雲廟も張飛廟もしっかりとあるんだな。特に趙雲については、義和団の元になる義和拳が崇拝していたそうだ。
さて三国志とは離れるが、中国で最もよく祭られているのは、海の女神・媽祖(まそ)ではないかな。マ祖は航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神だ。台湾・福建省・潮州で特に強い信仰を集めている。ということは、華僑によって海外にも広まる訳だ。天上聖母、天妃娘娘、海人娘娘、媽祖菩薩とか色々と呼ばれている。親しみを込めて媽祖婆・阿媽とも呼ぶ。
媽祖は宋代に実在した官吏の娘、黙娘が神になったと云われる。960年、福建省興化府の官吏の7女として生まれ、幼少より才気煥発、16歳で神通力を得て村人の病を治すなどの奇跡を起こした。28歳の時に父が海難に遭い行方知らずとなる。これに悲歎した彼女は旅立ち、峨嵋山の山頂で仙人に誘われ神になった。別の話では、父を捜しに船を出して遭難した。遺体は媽祖島(馬祖島、現在は南竿島、福建省)に打ち上げられたと云う。
中国では文化大革命で「迷信的、非科学的」として全ての廟祠が破壊されたが、今では徐々に復興されている。日本では江戸以前では南薩摩、江戸期では何故か水戸、茨城の大洗、青森県の大間に祀られている。沖縄、ベトナムにも媽祖信仰がある。2006年に横浜中華街、2013年に東京新宿区新大久保に媽祖廟が出来たそうだ。
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