旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

横浜地下水道発掘未遂の巻 

2016年05月28日 13時58分46秒 | エッセイ
横浜地下水道発掘未遂の巻   

 横浜の関内には現在市庁舎、横浜球場と公園がある。開港時ここらは海に突き出た砂洲だった。幕府は外国人居留区を、長崎の出島のようにして管理しようとした。尊皇攘夷のダンビラテロリストも堀があれば、そう簡単には切り込めない。
 諸外国、特に米英は東海道に面した神奈川宿(現在京急の神奈川駅がある。)を居留区にと迫ったが、当時の幕府はなかなかしたたかだった。のらりくらり横浜村も神奈川である、とか無茶を言い関内辺りの埋め立て工事を進めた。異人が我が物顔で東海道に現れては、幕府の権威が失墜するし生麦事件のような不祥事にもなりかねない。その度に賠償金を取られたら堪らない。
 また短い間だが幕府直営の遊郭、岩亀楼があったのは横浜公園、横浜球場に隣接する公園だ。残っている岩亀楼の写真を見ると、海上に浮かんだ木造屋敷のようだ。「露をだに、いとう倭(やまと)の女郎花(おみなえし)、降るあめりかに、袖はぬらさじ。」遊女の亀遊は、羅紗緬(異人の妾)になるのを拒否して自害したという。1863年だから明治維新の5年前だ。本当かな、あんがい本物の亀遊はドレスを着てシャナリシャナリしていたんじゃないか。
まあ攘夷気分の高揚にはなっただろうが、それで自害は女らしくない。女はしたたかだから。当時の感覚からしたら、女郎になって身体を売るのは大した障害ではないが(俺が嫁にする。)、毛唐(失礼)のメカケはゆるさん、といったところか。
 自分が子供のころに住んでいたのは戸部7丁目。戸部4丁目に岩亀横丁という小さな通りがあった。友達の家が数軒この近くにあったので、毎日のように行っていた。岩亀横丁には、岩亀楼の女郎が病を癒す寮があったんだそうだ。
 うわっ長い前置き。本題に入るよ。明治維新になって不逞浪士もいなくなり、横浜は銀やら絹やらの輸出と輸入で栄え、関内も関外(地名としては残っていない。)も急速に発展した。ガス灯も設置されアイスクリンも売り出される。異国の女も街を歩く。いいなー。急速に発展してゆく活気があるコスモポリタンな町。今よりもずっとモダンな横浜だったに違いない。
 しかしこの町には困ったことがある。水だ。海の上に作ったような町だから、井戸を掘ってもフレッシュウォーターは出てこない。天秤棒に振り分けにした壺をかついだ水売りが来るが、そんなものでは間に合わない。早急に大規模な水道トンネルが掘られた。野毛山動物園の向かいの公園に水道施設跡が残っている。野毛も丘の上だが、横浜は結構起伏のある町だ。駅伝で有名な権太坂もある。
 大学に入って直ぐのころ、東京の街をビルの屋上から見てやけに平べったい町だな、と思った。あと朝のゴミが臭い。凸凹はあっても水源の方が高ければ、水は登ったり下がったりして進んで行く。ジェットコースターと同じ原理だ。最初に最高点まで巻き上げれば、コースターは落下のエネルギーで起伏を乗り越えて出発点に戻ってくる。

 地下水道は大変な工事だったのに違いない。それは人が立って歩ける径を持ち、立派な赤レンガで造られていた。江戸・明治の職人はしっかりとした仕事をする。親父が買ってきたか貰ってきたかした『物語、西区の今昔』という本に不鮮明な写真が載っていた。これすごいぜ。今掘り当てれば話題になって新聞に載るだろう。早速自分はここだろうと思われる所を歩き回り、廃屋ではないかと思われる建物の脇に幅2mほどの小道を見つけた。長さは20m位の土の道路だ。この道の北側、さほど離れていない延長線上に野毛の水道設備があるから、この道路が地下トンネルの上を横切っている可能性は高いだろう。
 トンネルの外枠がどうなっているのか、よくは分からないが掘っていって硬いものにぶち当たり、それが人口物でレンガならビンゴ!100年前の地下水道トンネルは発見間近、もらった。翌日自分は大学の仲間に召集をかけた。次の土曜日、シャベルを持って午前10時、東横線の桜木町に集合。土曜になる前に兄貴分の友達は言っていた。「掘る許可は取ってある?大丈夫だよね。」許可って、あの空き地は誰のもの?道に面した建物は人が住んでいるとは思えない。どこに、誰に連絡すればよい。えーい面倒、黙って掘っちゃえ。いい加減なもんだ。
 さて土曜日、基本的に暇な大学生が4人集まった。面白そうと付いてきた女の子の他は手にシャベルを持っている。「許可は大丈夫だよね。」「あー、うん。」と生返事をして駅から発掘予定地に向かった。ところが先日と違いそこについてみると、何?何か始まるの、と近所の人が足を止める。とても隠密に掘っちゃえ、という雰囲気ではなくなった。兄貴には、あれ程言ったのに許可なしかよ、と怒られる。
 近所の人に聞いてみると、この道はxx電力?の寮のものじゃないか、寮は以前から空き家になっているとのこと。この日の穴掘りは諦め、しょーがないとシャベルを持って中華街に行って遊んだ。その後は面倒くさいし、xx電力?に連絡を取ることはなかった。
 けれどその後、横浜で明治の初めに出来たレンガ造りの地下水道が発見されたという話は聞かない。今でもあの道路の下か、どこかに赤レンガの地下水道は眠っているんじゃないかな。まあ地震で崩れてしまったかもしれないが。今度は許可を取って、もう一度あの日の連中に召集をかけたら面白いね。掘るのは疲れるから人に任せよ。


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