旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

万博の想い出

2017年03月11日 19時27分18秒 | エッセイ
万博の想い出

 1970年の万国博覧会は、1964年の東京オリンピックと並んで、日本にとっては大変なビッグイベントだったんだろう。だが自分はオリンピックの時には8歳、万博は14歳だったから実感はない。子供は以前を知らないから比較はしないし出来ない。昔と比べれば-----は、子供にはないのだ。
 東京オリンピックで、実際に競技を見に行った記憶はない。もしかすると近くの三ツ沢競技場で、他国同士のサッカーの試合を見たのかもしれない。親父がそんな事を言っていた記憶があるが、覚えていない。開会式、重量挙げの三宅兄弟、東洋の魔女と回転レシーブ、男子体操、チャフラフスカ、ヘーシング、そして最後はアベベ。
 日本中が白黒TVで熱狂していたが、記憶はその当時のものなのか、後から再入力されたのかが分からない。むしろ大量に発行された三角形のオリンピック記念切手とオリンピックコイン。百円、千円期記念銀貨を並んで交換したとかの話題の方が身近だった。後日大学生の時に、千円記念コインを新橋のチケット・コインセンターで買い取ってもらったら、4,500円になった。
 万博は中学生だから覚えている。コンニチワー、コンニチハー、世界の~国から~、千、九百♂七十年の~コンニチワ~。万博はオリンピックと違って開催期間が長い。大会の目玉はアポロ計画により持ち帰った月の石。世界最大のダイヤモンドとかならともかく、石ころかよ。まあ月の石の他にもアメリカ館は充実していたのだろうが。とても中には入れない。
 行列は4時間待ち5時間待ちで、それだけで日が暮れる。とにかく並んでとにかく疲れる万博だったな。子供の頃から人混みは嫌いだったんだ。それにしても親は大変。子供達に一大イベントを体験させたくて、無理をしたんじゃないかな。本人達が行きたかったとは思えない。
 その万博会場での記憶は、二つしか残っていない。まず世界の料理を出すレストランが軒を連ねていたから、どこかの国のレストランに入ったはずだが、これは覚えていない。レストランも混んでいたから、メジャーではない国の店に入ったんじゃないかな。しょせんイベント会場やテーマパークの食事は、値段の割に味気ないことが多い。
 さて万博の記憶の一つは、ジグザグに並んでいた行列の間をショートカットして強引に割り込んだオッサンがいたことだ。それで30分は早くなるだろうが、イライラして立っている数百人の目の前だ。「何やってんのよ」「そんな奴、つまみ出しちまいな」列の中から鋭く上がった中年女性の非難の声なら、今でもよく覚えている。しかしその小ずるいオッサンは、周囲の非難の視線を全身に浴びても列に留まった。
 我々家族は、たぶん一泊二日の日程で、超人気館は避けていくつかの館に入り、屋外のイベントなんかを見たのだろう。しかし記憶に残っているのはたった一つ。たしか三菱何とか館だった。館内に行列で入り、歩いてゆく通路の360度が映像で囲まれていた。大瀑布の真っただ中、次にオレンジ色の溶岩が噴出する映像の中を歩いた。大音響と前後左右上下を覆うスクリーンの迫力は、凄まじくて足が竦んだ。
 その体験が、その後の人生に何かをもたらした訳ではないが、何か一つでも記憶に残っているのなら、親の苦労もあながち無駄ではなかったのかも。こん時の話を聞こうにも、もう親とは話せない。
コメント
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