うわなり打ち
いやー、最初にこれを知った時にはブッ魂消た。昔の日本人、面白過ぎだ。「うわなり(うはなり)」とは後妻のこと。古くは第二夫人(妾等も)のことを言ったが、のちに先妻を離縁して新たに迎えた女性のことを「うわなり」と呼ぶようになった。この言葉は現在では死語になっているが、良いイメージは湧いてこないね。うわばみ、とかうらなりとかを思い起こす。この後妻を先妻が集団で襲うのが、うわなり打ちだ。
うわなり打ちは中世から江戸時代初期にかけて行われ、江戸中期には廃れていた。戦国の世から離れて、男も女も大人しくなったのね。うわなり打ちにはルールがある。原則として、男が妻を離縁して1ヶ月以内に後妻を迎えた時に行われる。ならちょっと我慢して30日を過ぎてから後妻を入れればよいのに。あと刃物は厳禁。不意打ちも禁止だ。
前妻方から後妻のもとに使者を立てる。この使者は家老役の年配の男性が行うことが多い。男が出るのはここだけだ。口上は「御覚悟これあるべく候、何月何日参るべく候」後妻の方は、「xxxx何月何日何時待入候」とか返事をする。竹刀とか箒とか持参する道具をとり決めて、いざ合戦。歌川広重の『往古うはなり打の図』を見ると、横長の画の中に20数人の歌川美人が、色鮮やかな着物にタスキを掛け箒や摺りこ木、お櫃などを振り上げて両陣入り乱れて戦っている。鉢巻きをしている女もいて勇ましい。
うわなり打ち請負人といったババアがいて、彼女に加勢を頼むと、「任せなさい。あたしゃ今度で十x回目だ。」手配を整え、作法を教えてくれる。いざ打ち込む時は先妻だけが籠に乗り、竹刀を持ったり腰に差したりした加勢の女達が廻りを取り囲む。門を開かせて台所より乱入し、中るを幸いに打ち廻り、鍋釜障子打ち壊す。迎え打つ後妻とその仲間たちと打ち合いになる。特に両妻の婚礼の時から付いてきた女中同士が、お互いを激しくののしり合う。頃合いを見て、予め手配していた仲人等の仲裁人が出てきて相方手を引く。新妻の家材は滅茶苦茶に壊れている。初期の頃はエキサイトし過ぎて大けがや死人が出たが、江戸に入ってからは、こんなのが主流になっていたらしい。では寛永15年(1636年)、関ヶ原の合戦の36年後のうわなり打ちを見てみよう。
主役は二人、先妻の名は志乃、後妻即ちうわなりはくにと云う。このおくにさんは滅法気が強く、二人は以前からの知り合いだったから、余計に憎い。くには「仲裁人は不要だ。」という強気の返事を出し、返り討ちにしてくれるわ、と人を集めた。一方志乃は何故自分が突然離縁されたのか、見当もつかない。実は旦那が、くにの父親が近く藩の重役に就くのを知り、出世目当てに妻を乗り換えたのだ。こんな奴、旦那打ちにすれば良いのに。
二人は親類縁者や知り合いを尋ねて次々と参加者を集める。特に志乃側は、参謀格の染物屋のトメさんの顔が広くて70人もの参加者が集まった。それを知ったくには、麻疹に罹ったという噂を流したため、志乃側の参加者は次々に辞退し、身内と親友だけが残った。それでも意志堅く、志乃軍団は打ち入る。門前で開門を求めるが返事がない。ええい、ままよと扉をこじ開けて雪崩れ込んだ。
するとたちまち志乃を含めて数人が落とし穴にバタバタと落ちる。卑怯!志乃側は、何故か整然と並べられた調度品を手当たり次第にぶち壊す。書画は引き破る。すると穴からはい出た志乃が悲鳴を上げる。自分が嫁入りに持ってきたなじみの品々だったのだ。更に鴨居は落ちるし階段は抜けるが委細構わず、ふすまを蹴破って奥に入ると、くに側の助っ人が得物を持って待ち構えていた。怒声のあがる乱戦の中をかき分けて志乃は奥に突進する。くにはどこだ。くには本当に病気なのか、奥の間に臥せっていたが、志乃を見るなり起き上がってきた。悪態をついて短刀を抜く。やり過ぎじゃ。ギョっとした志乃が、抑えようと揉み合う内にはずみで短刀がくにの胸に刺さり、血潮が噴き出す。
呆然とする志乃と助っ人。どう責任を取るんじゃ!責めるくに側の助っ人。すると志乃がいない。探すと隣室でなんと、志乃が自害をしてしまった。これにはくに側が蒼白になった。形勢逆転、死んでいたはずのくにが起きだしてオロオロしている。すると志乃陣営の女たちが大笑い。「お前は死んだはずじゃ。」今度は自害したはずの志乃が立ち上がる。女達は安心して腰から力が抜けた。悔しいやらホっとするやら。ここで志乃たちのうわなり打ちは終わり、意気洋洋と引き揚げていった。
実は染物屋のトメが情報を得ていて、大量の紅を買い込んだ者がいる、それならこんな事を仕掛けてくるかもと、対策を練っていたのだ。どちらが勝ったとも言えないが、ここまで派手に暴れまわれば、少しは溜飲も下がるだろうよ。
* これを書いていて思い浮かぶのは、ベトナム女性だ。彼女たちの買い物は、毎日が勝負だ。なめられたらお仕舞い、とことんカモにされる。市場での値引きに口角泡を飛ばすのは、ささいな金が惜しいのではない。あの奥さんはしたたかだ、手強いと思わせるのが目的なのだ。
いやー、最初にこれを知った時にはブッ魂消た。昔の日本人、面白過ぎだ。「うわなり(うはなり)」とは後妻のこと。古くは第二夫人(妾等も)のことを言ったが、のちに先妻を離縁して新たに迎えた女性のことを「うわなり」と呼ぶようになった。この言葉は現在では死語になっているが、良いイメージは湧いてこないね。うわばみ、とかうらなりとかを思い起こす。この後妻を先妻が集団で襲うのが、うわなり打ちだ。
うわなり打ちは中世から江戸時代初期にかけて行われ、江戸中期には廃れていた。戦国の世から離れて、男も女も大人しくなったのね。うわなり打ちにはルールがある。原則として、男が妻を離縁して1ヶ月以内に後妻を迎えた時に行われる。ならちょっと我慢して30日を過ぎてから後妻を入れればよいのに。あと刃物は厳禁。不意打ちも禁止だ。
前妻方から後妻のもとに使者を立てる。この使者は家老役の年配の男性が行うことが多い。男が出るのはここだけだ。口上は「御覚悟これあるべく候、何月何日参るべく候」後妻の方は、「xxxx何月何日何時待入候」とか返事をする。竹刀とか箒とか持参する道具をとり決めて、いざ合戦。歌川広重の『往古うはなり打の図』を見ると、横長の画の中に20数人の歌川美人が、色鮮やかな着物にタスキを掛け箒や摺りこ木、お櫃などを振り上げて両陣入り乱れて戦っている。鉢巻きをしている女もいて勇ましい。
うわなり打ち請負人といったババアがいて、彼女に加勢を頼むと、「任せなさい。あたしゃ今度で十x回目だ。」手配を整え、作法を教えてくれる。いざ打ち込む時は先妻だけが籠に乗り、竹刀を持ったり腰に差したりした加勢の女達が廻りを取り囲む。門を開かせて台所より乱入し、中るを幸いに打ち廻り、鍋釜障子打ち壊す。迎え打つ後妻とその仲間たちと打ち合いになる。特に両妻の婚礼の時から付いてきた女中同士が、お互いを激しくののしり合う。頃合いを見て、予め手配していた仲人等の仲裁人が出てきて相方手を引く。新妻の家材は滅茶苦茶に壊れている。初期の頃はエキサイトし過ぎて大けがや死人が出たが、江戸に入ってからは、こんなのが主流になっていたらしい。では寛永15年(1636年)、関ヶ原の合戦の36年後のうわなり打ちを見てみよう。
主役は二人、先妻の名は志乃、後妻即ちうわなりはくにと云う。このおくにさんは滅法気が強く、二人は以前からの知り合いだったから、余計に憎い。くには「仲裁人は不要だ。」という強気の返事を出し、返り討ちにしてくれるわ、と人を集めた。一方志乃は何故自分が突然離縁されたのか、見当もつかない。実は旦那が、くにの父親が近く藩の重役に就くのを知り、出世目当てに妻を乗り換えたのだ。こんな奴、旦那打ちにすれば良いのに。
二人は親類縁者や知り合いを尋ねて次々と参加者を集める。特に志乃側は、参謀格の染物屋のトメさんの顔が広くて70人もの参加者が集まった。それを知ったくには、麻疹に罹ったという噂を流したため、志乃側の参加者は次々に辞退し、身内と親友だけが残った。それでも意志堅く、志乃軍団は打ち入る。門前で開門を求めるが返事がない。ええい、ままよと扉をこじ開けて雪崩れ込んだ。
するとたちまち志乃を含めて数人が落とし穴にバタバタと落ちる。卑怯!志乃側は、何故か整然と並べられた調度品を手当たり次第にぶち壊す。書画は引き破る。すると穴からはい出た志乃が悲鳴を上げる。自分が嫁入りに持ってきたなじみの品々だったのだ。更に鴨居は落ちるし階段は抜けるが委細構わず、ふすまを蹴破って奥に入ると、くに側の助っ人が得物を持って待ち構えていた。怒声のあがる乱戦の中をかき分けて志乃は奥に突進する。くにはどこだ。くには本当に病気なのか、奥の間に臥せっていたが、志乃を見るなり起き上がってきた。悪態をついて短刀を抜く。やり過ぎじゃ。ギョっとした志乃が、抑えようと揉み合う内にはずみで短刀がくにの胸に刺さり、血潮が噴き出す。
呆然とする志乃と助っ人。どう責任を取るんじゃ!責めるくに側の助っ人。すると志乃がいない。探すと隣室でなんと、志乃が自害をしてしまった。これにはくに側が蒼白になった。形勢逆転、死んでいたはずのくにが起きだしてオロオロしている。すると志乃陣営の女たちが大笑い。「お前は死んだはずじゃ。」今度は自害したはずの志乃が立ち上がる。女達は安心して腰から力が抜けた。悔しいやらホっとするやら。ここで志乃たちのうわなり打ちは終わり、意気洋洋と引き揚げていった。
実は染物屋のトメが情報を得ていて、大量の紅を買い込んだ者がいる、それならこんな事を仕掛けてくるかもと、対策を練っていたのだ。どちらが勝ったとも言えないが、ここまで派手に暴れまわれば、少しは溜飲も下がるだろうよ。
* これを書いていて思い浮かぶのは、ベトナム女性だ。彼女たちの買い物は、毎日が勝負だ。なめられたらお仕舞い、とことんカモにされる。市場での値引きに口角泡を飛ばすのは、ささいな金が惜しいのではない。あの奥さんはしたたかだ、手強いと思わせるのが目的なのだ。