旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

異国の幽霊

2016年01月01日 11時02分44秒 | エッセイ
異国の幽霊

 インドのバラナシ(ベナレス)とタイのアランヤプラテートで幽霊に出くわした。日本で幽霊さんと出会った覚えは無いから、確率的には海外の方が生息数が高いのかな。自分は怖がりである。冒険・探検・ハプニング・サプライズは好きだが、幽霊・亡霊の類いはご免だ。こっちに来ないで。妖怪とUMAなら良い。怖いけど。
 幽霊、魔物、頭のいっちゃってる人、暴漢等にやたらと取りつかれる人っているよね。何人か知っている。友達に取りつかれた夫婦がいた。眼を赤くしているから、どうしたの?って聞くと、毎晩毎晩、魑魅魍魎共が押し寄せ、部屋に入ってこようとする。1晩ごとに増えてゆき、昨晩は扉を押し破ろうとぐいぐい押して、扉がしなりもう駄目かと思った。まあウソではないのだろうが、神経が相当疲弊しているね、この人達。でも扉を押し破ってなだれ込んだりは、結局しないんだよな。
 さてバラナシの幽霊。バラナシはガンガ(ガンジス河)に面した印度の聖都だ。上流に向かって右側に街が広がる。寺院が多く、ヒンズーの苦行者、修行者がそちらこちらにたむろしている。街では、沢山ある寺院のどこかで毎日のようにお祭りをやっていて賑やかだ。滔々と流れる大河ガンジス。上流には洗濯場、そのちょっと下流に遺体を焼く火葬場、下流では沐浴をする老若男女。上空には鷹だかトンビだかが群舞している。対岸は不毛の荒野だ。人の左手が不浄ならば、街も同じという訳か。月夜の晩にガンガに小舟を出してごらん。満月が川面に光の道を作り、遠く街からは祭りの笛太鼓の響きが聞こえてくる。近くでは小僧が漕ぐオールの音がピチャピチャと鳴る。幻想的だよ。
 自分は20歳の時に、学生達でインドを旅した。バラナシのホテルは街からちょっと離れた所にあったので、混沌とした街の喧騒は遠くバックミュージックくらいにしか聞こえない、静かなロケーションだった。4泊ほどしたと思う。自分達は女性が1人全部で5-6人いて、男は3人と2人の相部屋だった。静かなホテルでも一歩外に出ると、物売りやリキシャマンにワっと取り囲まれる。
 食堂でメニューにチキンサンドと書いてあるから注文すると、庭を歩いている鶏を追いかけ始めた。慌ててチーズサンドに変更、それでもたっぷり一時間は待たされた。ここはインドだ、結構疲れる、暑いし。このホテルで不思議なお姉さんに出会った。年配の確かスペイン人と結婚している彼女は、日本人だった。年は若い(20代と思う。前半か後半か自分には分からない。)が、何と日本語が話せない。こちらがしゃべる事は理解するのだが、自分からは出てこない。彼女は旦那ほったらかしで僕らと一緒にいたら、二日目からタドタドしく話し始め、三日目からは普通にしゃべれるようになった。つかえていたパイプが通ったようだ。数年間全く日本人、日本語に触れないとこうなるのか、驚いたな。
 バラナシのホテルの幽霊も最初の晩は現れなかった。移動で疲れた僕らをぐっすりと眠らせてくれた。ところが翌々日の朝になると大部屋の3人がぐったりしている。夜中に部屋の中を歩き回る足音が聞こえ、息遣いが感じられるそうだ。現に朝になってその部屋で話していると、ドアの向こうの洗面所でシャワーの音がして、しばらくすると止まる。あれっこの部屋の三人の所在は分かっているのに、誰かいるの?「いや、出るんだよ。」うんざりしたように答える。えっ?だってシャワーだぜ。恐る恐る洗面所を開けると、誰もいない。えっえっ?外にたむろしているリキシャマン(自転車+人力車)に聞いてみると、ハハ、出たか。当たり前だ、このホテルは以前野戦病院だったんだ。
 バラナシのホテルのポルターガイスト現象は日々エスカレートして、最後の晩はベットに寝ていると、頭の上で生木がバリバリ裂ける音が聞こえた、という。これは大変危険な状態なのだそうだ。まあ頼んでも部屋は代えてもらえなかったけれど、チェックアウトすることによって危機は乗り越えた。もう一晩泊っていたら、どうなっていたんだろう。ちなみに僕らの二人部屋は何の異常も起きなかった。外国人と結婚したお姉さんも全然見ない、聞こえないと言っていた。
 で、次はタイ・ベトナム国境の街アランヤ・プラテートだな。井戸掘りボランティアとして俺らは民家を一棟借りていた。高床式で、一階に当たる部分は柱で支えられた物置きのスペースになっている。立って歩けるほどの高さだ。ここで大家の女性達が洗濯や、ご近所の噂話をしている。子供達もよく集まってくる。この家には不思議と男がいない。向かいの家に密輸団の若い男連中がゴロゴロしているが、彼らは夜の商売なので昼間は寝ている。年配の男どもは、庭にある墓の中でぐっすりと寝ているのかもしれない。
 宿舎の周りに似たような、もしくはより小さな小屋がいくつも建っている。小屋に囲まれた部分は中庭のようになっていた。そこには密輸団の車が置かれ、飼っている訳ではないが、この家に住みついたメス犬とその子供たちがいる。メス犬はひどい皮膚病にかかっていて、皮が半分剥けて赤紫になっている。宿舎の裏には小さな沼があって、釣り糸を垂らすと小魚が入れ食いになる。喰う所もない小魚だが、釣ると面白い。
 大家の婆ちゃんは相当な年に見えるが、かくしゃくとしていて、婆ちゃんの娘達が毎日集まり、俺らの炊事、洗濯、掃除をしてくれる。昼も彼女達の作った弁当を持っていく。たまたま日本のカレー粉を持参して赴任してきた若者がいた。その日は野菜と肉だけ切ってもらって、タイの香辛料は入れないでと繰り返し頼んだ。ところが夜そのカレーを食べると、何故かタイの味がした。ここで俺は三ヶ月ほど暮らした。あれは滞在が終盤に近づいた頃に始まった。
 夜は板敷きの床に薄い布団を敷き、タオルケットをかけて寝た。二人づつ蚊帳の中に入る。蚊帳の数と床のスペースの関係だ。最初に怖がり出したのは誰だったんだろう。霊が出ると言いだした奴がいた。俺も感じる、と別の男が応じる。当時7-8人で働いていたが、見ない/感じないのは、隊長、俺、一人いた女の子とアメリカ人。感じるのが二人三人と増えていくにつれ、部屋の隅でナベや炊飯器が突然ガチャガチャ鳴ったりし始めた。霊は感じなくても、食器がいきなり鳴るのは分かる。
 夜寝ていると、野犬が何かに向かって真剣に吠える。遠くからだんだん犬の吠え声が近づき、最後は直ぐそこの中庭で犬が怯えたように一声、ギャフっと吠える。蚊帳の中で隣に寝ていた兄ちゃんが、ギャーと叫んで飛び起きる。その声の方が怖い。「どうしたの?」「今、今、暗闇から手が二本ニュっと出てきて、首を絞められた。」と震えている。俺は何も見なかったけどな。
 あんまり怖がるので、隊長が大家の婆ちゃんに相談した。タイでは霊のことをピーという。次の休日にシャーマンのような(恰好は普通)小父さんがやってきて、ピーを静める儀式を執り行った。アメリカ人だけバカバカしく思ったのか参加しなかったが、全員、特に怖がっている連中は真剣に参加した。儀式といっても大したことはない。蝋燭をともし、何か並べて呪文を唱える。お供え物をして15分ほどで終わった。えっもうお仕舞い?
 終わってからミサンガのように手首に紐を巻かれ、自然に切れるまでそのままにするように、と言われた。やれ、これで一安心。ところがその晩も犬の遠吠えが遠くから近付き、最後に中庭でギャフン。何だよ、シャーマンよりピーの方が強いやんけ。ただピーの出現はそれ以上エスカレートする事はなく、俺は儀式の一週間位後、ラオスの国境近くチェンライへと移動した、その後の事はよく知らない。
 この二つの体験を通して思ったこと。それは、あー良かった、霊に鈍感な体質で、であった。