天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第二十號 (大正十五年九月一日發行) - 大峰山の霊蹟に就て - 

2011年06月20日 15時14分48秒 | 大峰奥駈

大峰奥駈七十五靡の名称と道程        宮城信雅  

 六十九  二蔵宿(にぞうしゅく) 

 現今の百丁目茶屋(ひゃくちょうめちゃや)と云ふ所なり、吉野より百町ありと云ふ。これより小天井、大天井、蛇腹等の険阻(けんそ)を攀(よ)ぢて洞辻茶屋(どろつぢちゃや)に出(い)でたものであるが、現今では新道(しんみち)が出来て、小天井大天井(こてんじょうおほてんじょう)を通つてゐない。                

 本山入峰は金精明神(こんじやうめうじん)より右にとりて鳥住鳳閣寺(とりすみほうかくじ)に参拝し川戸(かほど)を経て米投峠(こめなげたふげ)を越え、洞川に至る。

 洞川   洞川は靡中(なびきちう)ではないが、吉野と共に今日の大峰登山者を迎える関門(かんもん)である。本山入峰では、洞川に着くと瀧泉寺(りうせんじ)に採燈護摩供(さいとうごまく)を修(しう)し、西村清五郎旅宿(にしむらせいごろうりょしゅく)に投(とう)ず、吉野より四里。


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