大峰奥駈七十五靡の名称と道程 宮城信雅
この三つを熊野三山(くまのさんざん)と云(い)ふ。古来中(こらいなか)に熊野詣(くまのまう)での盛(さかん)なりし所(ところ)である。もと聖護院三山検校宮(しやうごいんさんざんけんぎやうみや)の御支配(ごしはい)であつたのである。
現今(げんこん)の入峯修行(にふぶしうぎやう)では、吹越(ふきごえ)で護摩(ごま)をたき、川(かは)を渡(わた)りて本宮(ほんぐう)に致(いた)りて参拝(さんぱい)し、それより湯峰(ゆのみね)に至(いた)りて宿泊(しゆはく)し、薬師堂前(やくしだうまえ)にて採燈護摩(さいとうごま)を修(しう)し、翌日(よくじつ) 、川舟(かわふね)にて新宮(しんぐう)に下(くだ)り速玉神社(はやたまじんてや)に参拝(さんぱい)し、新宮(しんぐう)に宿泊(しゆくはく)し、その翌日、那智山(なちさん) 、飛龍権現(ひりうごんげん) 、那智観音(なちかんおん) 、夫順美神社(ふすみじんてや)に参拝し勝浦(かつうら)に出(い)で、汽船(きせん)にて帰(かへ)る事(こと)となつている。
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