天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第二十號 (大正十五年九月一日發行) - 大峰山の霊蹟に就て -

2012年05月10日 12時32分55秒 | 大峰奥駈

  大峰奥駈七十五靡の名称と道程     宮城信雅 

 

 この三つを熊野三山(くまのさんざん)と云(い)ふ。古来中(こらいなか)に熊野詣(くまのまう)での盛(さかん)なりし所(ところ)である。もと聖護院三山検校宮(しやうごいんさんざんけんぎやうみや)の御支配(ごしはい)であつたのである。

 現今(げんこん)の入峯修行(にふぶしうぎやう)では、吹越(ふきごえ)で護摩ごま)をたき、川(かはを渡(わた)りて本宮(ほんぐう)に致(いたりて参拝(さんぱいし、それより湯峰(ゆのみね)に至(いた)りて宿泊(しゆはく)し、薬師堂前(やくしだうまえ)にて採燈護摩(さいとうごま)を修(しう)し、翌日(よくじつ) 、川舟(かわふね)にて新宮(しんぐう)に下(くだ)り速玉神社(はやたまじんてや)に参拝(さんぱい)し、新宮(しんぐう)に宿泊(しゆくはく)し、その翌日、那智(なちさん) 、飛龍権現(ひりうごんげん) 、那智観音(なちかんおん) 、夫順美神社(ふすみじんてや)に参拝し勝浦(かつうら)に出(い)で、汽船(きせん)にて帰(かへ)る事(こと)となつている。


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