女人禁制論
歌人川田順
この頃女人禁制(によにんきんせい)といふのはどうなつてゐます?
聖護院門跡執事宮城信雅
昔のまゝに女人禁制を守つてゐます。
川田
それについてもおもしろい事がある。大峰道(おおみねみち)のどこかに黒門の関所があつた。昔の関所です。明治四十一年でしたが、そこに私共通りかゝつた時に、洞川(どろかわ)の方から女人達がやつて来た、男が一人、女が五六人です。そこで止められたが、若い山男が入つちやいかんとかうやつた。そうするとそこで議論が始まつて、日本中で人間の行けない処があるかといふやうな理屈をいつた。女だつて日本の国民ぢやないかといふやうなことを云つてゐたが、さうするとその若い男は、千年の昔から女の入つたことのないお山だ、それをお前達が初めて穢(けが)すのである、入れるなら入つて見ろといつた。どうなることかと見てをつたら、その女連(おんなれん)はすごすごと帰つて行つたです。
登山家(大軌社員)上平辰雄
今も完全に行われてゐるのです。
川田
どう云ふ具合だつたかその連中は忽然(こつぜん)として現はれたんです。
登山家(大朝社員)藤木九三
男装して入つたといふものがあるんぢやないか。
登山家(堺高女教諭)成瀬春野女史
それは聞きました、大阪の芸者なんか連れて行つた人があるといふことで。
宮城
男装でもして登つたものは絶対にないとも云へんでせう。
奈良県観光課長坂田静夫
その大阪の芸者は裏道から登つて止められたのについて行きたいといふので、知らん間に小篠(こしの)まで行つた訳です。その時新聞にも出たやうに思ひます。
宮城
それを説得して帰つて貰ふのに骨が折れたと聞いてゐます。それで勿論上までは登らなかつたのです。
上平
処が弥山(みせん)などには登つてゐる女性もある。それでさういふ区域を決めて、はつきりすることが必要ぢやないかと思ふ。
宮城
私はかう思ふ。宗教的伝統からいふので、理想的としてはあの辺もずつと禁制にしたい。併(しか)し罰則がある訳でもない無理に登るのは仕方がない。法律でさへ無理に犯せば犯すものがあるんですから、けれども建前としては、あの辺もずつと女人禁制にしたい。行者の道筋でその目に止まらなければいゝと思ひます。
林学者江崎政志
一定の区域を限つて行場などはいかぬといふことにして・・・・。
宮城
道全体が行場といつてもいゝ位ですから、俗の見方ではどうか知りませんが、大峰に女人を登らせないといふことは大きな特徴であつて、宣伝価値といふとおかしいですが、そこに価値があると思ひます。
国立公園管理者 露木憲治
女の人に対しての一種の侮辱ですね。
成瀬
女の方が登られたことについていつか新聞社の方が私の意見を聞きに見えたことがございますが、私共の考へと致しましては、女が乗込んで行つて折角の御修業を妨げるといふやうなことは、山を愛するものとしてはそういふことはないと存じます。一種の職業婦人にはさういふことがあるかも知れませんけれども、私達本当に山を愛するものゝ気持と致しましては、道場といふやうなところもこめて頂いて、女でもこの辺りまでは差別ないといふやうなところを作つて頂いたらと存じます。
露木
しかし女が一人だつたらいゝぢやないですか、何も遠慮することはない。
藤木
今のお話のやうに夫婦連れ、一家族が一緒に登つて、上で女の行場、男の行場と分けるのも一つの方法はさういふ風に行くべきぢやないですか。
上平
今のところ別に婦人団体から開放を要求されてゐるわけでもないから、日本でこゝ一つしかないので、こゝの女人禁制を解いたら、さういふ山が日本に全然なくなる。
藤木
男だけの山があれば女ばかしの山もこしらへなければいかん。
上平
犯すとか犯さないとかかういふ言葉を使はれることが登山家としての女は非常に侮辱されるやうに感じられるんぢやないかと思ふ。
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