2014年1月27日、桐生市川内町の石尊山に行って
きました。またの名を仁田山といって、戦国時代に城が
設けられていた所です。川内町を、鳴神山登山口の駒形
へ向かって進む途中に三堂坂というバス停があって、
そこから登りました。頂上までの往復2h位でした。
これが石尊山です。右にちょこっと見える赤い屋根が、
三堂の一つの不動堂です。これが目印です。実は、この
写真は山を下りてきてから撮ったものです。山の形が、
よく見えるので最初に掲載しました。
不動堂と道路を挟んだ反対側の集会所敷地内にある、
三堂のもう一つの庚申堂です。山へ登る前に見ていきま
した。
山へは、駒形線の道路脇に立っている石燈籠から山側へ
(左折して)入って行きます。
入ってすぐの道端にはロウバイが咲いていました。きれい
ですね。これは、ロウバイの種類のうちの基本種でしょう
か?
どこが登山口かと探しながら進むと、何体かの石像が
道脇に並んでいました。川内町はいたる所でこのような
像を見かけることができます。趣深いですね。
道をさらに進むと栃久保ダムが出てきました。砂防ダム
にしては大きく迫力がありました。ここにきて、どうやら
道を間違えたと気づき、引き返すことにしました。
ここが登山口でした。燈籠を曲がって二つ目の石垣の路地
が、それでした。ダムから引き返す途中で出会った高齢の
御婦人に尋ねたら、案内してくださいました。バスの時間
を急ぐところ大変ありがとうございました。
ジグザクの急坂を上っていくと大きな倒木がありました。
ジグザクの道が尽きる辺りに、鳥居がありました。
鳥居のそばから、登る道の反対側(東側)の稜線を撮りま
した。吾妻山から鳴神山へ繋がる山々でしょう。
鳥居を過ぎると、枯葉が溜まるほぼ直登の道になり、やはり
倒木が目につきます。道は、全体として急な上に、荒れている
と感じました。
もうそろそろ頂上か、と思っていたら梵鐘が見えてきました。
鳴らすことができ、いい音色でした。
梵鐘の後には、不動明王像が据えられていました。右奥の
方には、石造りの社もありました。この一帯の後方一段
上がった所が頂上みたいでした。
頂上に着きました。樹木はありますが、平らになっています。
周りの見通しは、あまり効きません。
頂上を30m位行った先は掘り切りになっていました。写真
では、ちょっと分かりづらいかもしれませんが、敵の侵入を
防ぐために付けられたものです。この掘り切りが三本ある
らしいです。
樹の間西の方向に、赤城山の鍋割山が少し見えたので
撮りましたが、これも分かりづらいでしょう。
出発点に戻ってきて、集会所から道路脇の不動堂を撮り
ました。
残りの薬師堂を探したのですが、道路沿いには見当たり
ませんでした。地元の方に聞いたら、集会場側道路下に
お堂があるとのことでしたので、下りて行ったら、この堂が
ありました。これが薬師堂なのでしょうか?
薬師堂からさらに下って行くと、山田川に架かる橋があって
その上から鳴神山方面を撮りました。
また、橋の傍から撮った石尊山です。それにしても、この
シーンはのどかな感じがしていいでしょう。
同行したM氏が、橋を行った先の林に「ナニコレ、珍百景」が
あると言っているので、行ってみたらこれでした。二本の木が
繋がっていました。どうしてこうなったか、全然想像がつきま
せんでした。
最後に道路を駒形へ向かった先にある赤城神社(ここも
石尊山の登り口らしい)と、今源織物を見ていくことに
しました。写真の今源織物、現在は操業していませんが、
往時の隆盛が偲ばれる佇まいを見せていました。
川内町の石尊山、初めて登りました。距離は短く、短時間で
登ってこられますが、里山特有の急登と、道表示がないのに
は少し難儀しました。でも、独特の雰囲気があって、気持ち
よく登ってこられましたよ。
きました。またの名を仁田山といって、戦国時代に城が
設けられていた所です。川内町を、鳴神山登山口の駒形
へ向かって進む途中に三堂坂というバス停があって、
そこから登りました。頂上までの往復2h位でした。
これが石尊山です。右にちょこっと見える赤い屋根が、
三堂の一つの不動堂です。これが目印です。実は、この
写真は山を下りてきてから撮ったものです。山の形が、
よく見えるので最初に掲載しました。
不動堂と道路を挟んだ反対側の集会所敷地内にある、
三堂のもう一つの庚申堂です。山へ登る前に見ていきま
した。
山へは、駒形線の道路脇に立っている石燈籠から山側へ
(左折して)入って行きます。
入ってすぐの道端にはロウバイが咲いていました。きれい
ですね。これは、ロウバイの種類のうちの基本種でしょう
か?
どこが登山口かと探しながら進むと、何体かの石像が
道脇に並んでいました。川内町はいたる所でこのような
像を見かけることができます。趣深いですね。
道をさらに進むと栃久保ダムが出てきました。砂防ダム
にしては大きく迫力がありました。ここにきて、どうやら
道を間違えたと気づき、引き返すことにしました。
ここが登山口でした。燈籠を曲がって二つ目の石垣の路地
が、それでした。ダムから引き返す途中で出会った高齢の
御婦人に尋ねたら、案内してくださいました。バスの時間
を急ぐところ大変ありがとうございました。
ジグザクの急坂を上っていくと大きな倒木がありました。
ジグザクの道が尽きる辺りに、鳥居がありました。
鳥居のそばから、登る道の反対側(東側)の稜線を撮りま
した。吾妻山から鳴神山へ繋がる山々でしょう。
鳥居を過ぎると、枯葉が溜まるほぼ直登の道になり、やはり
倒木が目につきます。道は、全体として急な上に、荒れている
と感じました。
もうそろそろ頂上か、と思っていたら梵鐘が見えてきました。
鳴らすことができ、いい音色でした。
梵鐘の後には、不動明王像が据えられていました。右奥の
方には、石造りの社もありました。この一帯の後方一段
上がった所が頂上みたいでした。
頂上に着きました。樹木はありますが、平らになっています。
周りの見通しは、あまり効きません。
頂上を30m位行った先は掘り切りになっていました。写真
では、ちょっと分かりづらいかもしれませんが、敵の侵入を
防ぐために付けられたものです。この掘り切りが三本ある
らしいです。
樹の間西の方向に、赤城山の鍋割山が少し見えたので
撮りましたが、これも分かりづらいでしょう。
出発点に戻ってきて、集会所から道路脇の不動堂を撮り
ました。
残りの薬師堂を探したのですが、道路沿いには見当たり
ませんでした。地元の方に聞いたら、集会場側道路下に
お堂があるとのことでしたので、下りて行ったら、この堂が
ありました。これが薬師堂なのでしょうか?
薬師堂からさらに下って行くと、山田川に架かる橋があって
その上から鳴神山方面を撮りました。
また、橋の傍から撮った石尊山です。それにしても、この
シーンはのどかな感じがしていいでしょう。
同行したM氏が、橋を行った先の林に「ナニコレ、珍百景」が
あると言っているので、行ってみたらこれでした。二本の木が
繋がっていました。どうしてこうなったか、全然想像がつきま
せんでした。
最後に道路を駒形へ向かった先にある赤城神社(ここも
石尊山の登り口らしい)と、今源織物を見ていくことに
しました。写真の今源織物、現在は操業していませんが、
往時の隆盛が偲ばれる佇まいを見せていました。
川内町の石尊山、初めて登りました。距離は短く、短時間で
登ってこられますが、里山特有の急登と、道表示がないのに
は少し難儀しました。でも、独特の雰囲気があって、気持ち
よく登ってこられましたよ。