桐生トランピング情報

群馬県、特に桐生市周辺の山歩き情報をお届します。

谷根千

2016-02-20 11:04:11 | ブラ歩き情報
2016年2月16日、なにかと話題にのぼる谷根千こと東京
の谷中・根津・千駄木をブラ歩きしてきました。


日暮里駅北口を出て、御殿坂を歩き始め、最初に訪れた
のはすぐ近くにあった経王寺。


経王寺山門には、彰義隊と官軍が争った上野戦争の時の
弾痕跡が残っていました。


そのまま真直ぐ進んで、これは「夕焼けだんだん」。その
先がレトロぽい商店が並ぶ谷中銀座。


谷中銀座を通り抜け、少し回り込んで戻る形になった所の
岡倉天心記念公園。六角堂の中には金色の天心像が
据えられていました。


これは、その先を行った所の蛍坂。


蛍坂を上った所に咲いていたカワズザクラ。後の建物は
台東区立中央図書館谷中分室です。


これは、観音寺の築地塀。江戸時代の土塀ですね。谷中の
見所の一つになっています。


谷中霊園に向かって歩く途中にあった香隣舎という明治
時代の商家風建屋。元は酒屋で、今はイベント等に貸し
出しているみたいです。


谷中霊園にきました。向こうにスカイツリーが見えていま
した。


これは五重塔の跡。1957年に焼失してしまい、今は
垣根に囲まれた跡地が残っているだけでした。


谷中霊園を後にして、根津方向へ歩いていくと古民家が
固まる「あたり」という所へ出ました。写真の家はビアホール
として利用されていました。


裏へ回ると、そこにも同じような建物があって、右は
パン屋さん左はソフトドリンクを商っていました。


こちらは近くの角にあった、どうもお風呂屋さんみたいに
思える建物。今は、アートギヤラリーになっているみたい
です。


入り組んだ道を歩いて行くと、みかどパン店という看板の
古風な店があって、そばに大きな木が。これがヒマラヤ杉
でした。これも谷中名物の一つみたいです。


さらに真直ぐ行くと細い坂道が。三浦坂という表示があり
ました。


三浦坂の途中にあった「ねんねこや」という店。CAFEの
プレートがあったので、喫茶店でしょうか?


三浦坂をもう一度戻って大名時計博物館に行きました。
元勝山藩下屋敷だった所みたいです。これが東京かと
思うほど、樹木に覆われ荒れていて、ちょっと不気味な
感じがしたのですぐ退散しました。


外国人に人気のある澤の屋旅館。家族経営の下町旅館で、
戦後創業したみたいです。


根津神社に向かう道の途中で見かけた、古民家みたいな
感じのする表具屋さん。


根津神社にやってきました。


鳥居を潜ると白梅がきれいに咲いていました。


楼門が見えてきました。


こちらが社殿です。


上を見ると、金色の象と獅子の彫刻がありました。


これは根津神社の脇にある乙女稲荷神社へ向かう鳥居の
列。俗に千本鳥居といわれているみたいで、たしかに長く
並んでいました。


その千本鳥居の途中にあった六代将軍徳川家宣胞衣塚。


鳥居と根津神社との間にあった濠の中に、何か変わった
ものが見えました。丸い枠の中に石を敷き詰めたもの、これ
はいったい何なのでしょうか?


こちらは、駒込神社でしょうか?最奥部にありました。


根津神社から上野の方へ向かって歩いていると、一部
三階建ての木造の大きな家がありました。はん亭という
串揚げ屋さんみたいです。


こちらは池之端児童遊園といって、かっての都電の電車が
置かれていました。それ以外の遊具みたいなものは、特に
は見当たりませんでした。


上野不忍池に出ました。たくさんの水鳥がいましたが、
カモメがいるのには、ちょっと不思議な感じがしました。


池の反対側にあった下町風俗資料館。


昔の家屋を館内で再現展示していました。


こちらは、寛永寺の清水観音堂。京都清水寺の舞台を
彷彿させますね。


その舞台の上までのぼりました。実際の松が茅の輪みたく
なっていました。傍の表示には、「安藤広重月の松」と
ありました。


これは上野公園内に咲いていたカンザクラ。たくさんの人が
写真を撮っていました。


国立西洋美術館。実は上野へきたのは、世界遺産に認定
されるかもしれないこの建物を見るためでした。現在は、
館内整理かで閉館中でした。


もう一度谷根千へ戻るため電車で千駄木へ行きました。
団子坂を歩いて行くと森鴎外記念館がありました。鴎外
が住んだ観潮楼があった所です。


そのまま真直ぐ進んで行くと光源寺というお寺があって、
そこの大観音堂です。何か、教会みたいな感じですね。


これはその先の清林寺。狛犬でなく象が立っているのが
変わっていると思いました。


本郷通りまで行って戻ることにし、途中裏道へ入ったら、
ドームみたいな屋根が見えました。それは、専西寺という
お寺の仏舎利塔でした。


また、違う脇道ではこんなに大きなお地蔵様が立って
いました。銅造地蔵菩薩立像の表示がありました。

谷根千、一回で見切るのは難しく、見落とした所がまだまだ
いっぱいありそうです。また、機会を捉えていきたいですね。
それにしても、谷中にはお寺が多いですね。改めてその数に
びっくりぽん、です!!
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足利赤雪山

2016-02-10 10:31:37 | 山歩き情報
2016年2月9日、足利市松田町の、地元ではあけき山と
呼ばれている赤雪山(あかゆきやま)へ行ってきました。足利
で2番目に高い(620.6m)山になります。松田ダム上の駐車場
に車を置き、駐車場先の東コースから登るつもりだったので
すが、倒木のため通行禁止になっていたので、戻りにとる予定
であった西コースを往復することにしました。2h弱の行程で
した。


ダムサイドの道を歩きながらダム湖を撮りました。


ここが登山口です。ここから入って、ヒノキ林の暗い中、
ジグザグだったり直登だったりする急坂を、しばらくの間
上って行きました。


ヒノキ林を抜けて一段上に出ると、前方に赤雪山が見えて
きました。急坂はこの後もまだ続きます。


同じ所から左手には、仙人ケ岳から猪子峠に連なる稜線
が見えました。


赤雪山の頂上が近づく辺りまで上ってきたら、道脇に雪が
残っていました。実は現地まで走ってきた県道脇に雪が
あったので、心配しながら登ってきたのですが、ここまで
歩いてきた道にはまったくありませんでした。


頂上下の最後の急坂。結局、最後まで急な道が続きました。


赤雪山頂上に着きました。東屋前に立つ標識に、右は
名草巨石群3.2km、歩いてきた後の方向が松田川ダム
1.7kmと表示されていました。東屋を通り抜けると、その
先が仙人ケ岳の方向でした。


ちょっと霞んではっきりしませんが、真ん中辺りが頂上から
見た松田町です。


東屋の先に延びる仙人ケ岳への道です。雪の残る険しい
感じがする道でした。


戻りの途中で、最初に上ってくるときに見た雪の所へ下りて
きました。その雪は斜面全体を覆って下へ大きく広がり、
こんなにも残っている、と驚くほどのものでした!!


また、仙人ケ岳~猪子峠の稜線もよく見えました。


ヒノキ林の中を真直ぐに長く下る道、こんな斜面を上って
きたのでした!!


ダムサイドの道を通って駐車場へ戻ってきました。駐車場
隅には東屋があります。


最後に、その東屋から山間に見えるダム湖を撮りました。

赤雪山、距離は余りありませんが、その分急な上りが続き
ます。冬場の訓練には、いいかもしれません。気候が良く
なれば、仙人ケ岳まで足をのばしても良いような気がしま
した。
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足利両崖山~行道山

2016-02-08 10:42:38 | 山歩き情報
2016年2月5日、足利の両崖山から行道山までを往復して
きました。織姫公園に駐車し、両崖山へ向かいました。両崖山
から大岩山(剣ケ峰)、行道山へ行き、戻りは途中で毘沙門天の
最勝寺に寄って同じ道を戻ってきました。全工程6hでした。


登り始めて二つ目の見晴しが利く広場から、足利の朝の
市街を撮りました。気温は低かったものの、無風のすが
すがしい朝でした。


岩場の多い道をしばらく歩いて行くと、両崖山が見えて
きました。


両崖山頂上手前に設けられた見晴し台から、南西方向を
撮りました。


両崖山頂上に着きました。


御嶽神社の隣にあった大黒天の像です。足元に傘の
お化けが!、と思ったのは、よく見ると笠と蓑でした。


両崖山を後にし、一息つける見晴しの良い所へ出る
と遠くに大岩山(中央)、行道山(右)が見えました。


そこから約90度左には天狗山が…


ちょっと右に戻すと、遠くかすかに真っ白な浅間山
が見えました。


かたくりの里のお地蔵様。そこは、ちょうど工程の
中間地辺りで、谷間の十字路になってます。


毘沙門天最勝寺上の駐車場へやってきました。


これが大岩山。写真中央の案内板の後ろから上って
いきます。その右は、浄因寺へ回る道です。


大岩山(剣ケ峰)頂上へきました。周りの見通しは、余り
よくありません。通過点みたいな感じです。


尾根道を行道山へ歩く途中、視界が開け赤城山が
よく見えました。


行道山頂上に着きました。出発から3hでした。


その頂上から見た赤城山。手前には足利の山で、石尊山
から深高山への連なりがよく見えています。


戻りは、大岩山を下りから最勝寺に寄っていきました。
日本三毘沙門天の一つです。最近、ここで行われた
悪たいまつりがTVで放映されたみたいです。


境内のすみには天然記念物のスギがありました。胴回り
が7mもある巨木です。


本堂前から階段を降りて行くと、山門裏に鐘が置いて
あるのが見えました。鐘楼の鐘は別にちゃんとあるので、
なぜ一つの寺に二つもの鐘があるのかと不思議に思った
のですが、そばへよってよく見ると、置いてある方には
ヒビが入っていました。それで取り替えたのですね。納得
しました。


山門を表から撮りました。仁王門ですね。


かたくりの里まで戻ってきました。この後、この階段を
上って行きます。数えたら、行道山からの戻り道にはこの
ような階段が全部で9箇所もありました。あぁー、大変!!


最初に写真を撮った見晴し場へと戻ってきて、最後の1枚
を撮りました。中央辺りに車を置いた織姫公園の駐車場が
見えています。

この日、朝は冷え込んだものの日中は風もなく、大変暖かな
とても二月とは思えないに日になりました。たまには、こう
いう日もあってもいいですよね!?

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鹿島神宮・水戸

2016-02-03 10:24:28 | ブラ歩き情報
2016年1月28日、茨城県の鹿島神宮に行ってきました。
その後、大洗、水戸を経て戻ってきました。


鹿島神宮の大鳥居前です。朝まだ早かったせいか、人影
がまばらです。鹿島神宮はずうっと前から名前は知って
いたものの、訪れるのは今回初めてでした。


大鳥居から入るとすぐに、前方に楼門が見えてきました。
日本三大楼門の一つに数えられるそうです。


楼門を潜ると、すぐ右手に拝殿がありました。写真右の
櫓状のものは節分の準備で組まれたものでしょうか。


少し裏へ回って本殿を撮りました。厳かな感じです。


この後、楼門から真直ぐ続く道を通って奥宮へ向かい
ました。奥宮への境を入ってすぐに写真の燈籠があり
ました。元和五年(1619)に安藤対馬守より奉納された
と、立札に書いてありました。


奥宮へ向かう奥参道です。森閑とした空間に心が静まり、
歴史の深さが感じられました。伊勢神宮と同様だと感じ
ました。


奥宮です。伊勢神宮とは違って、拝殿とともに直接お参り
できました。


奥宮のさらに奥にある要石を見に行く途中にあった石像。
ナマズに乗って地震を抑えるている神様を現わしているの
でしょうか。


要石です。もっと大きな岩を想像していたのですが、真ん中
が窪んだ30cm足らずの石でした。表面に出ているのは
僅かでも、地中はものすごく大きくて、ナマズの頭を抑えて
いるのだそうです。


もう一度奥宮へ戻り、その前の坂道を下っていくと御手洗池
に行き着きました。静かに水を湛え、池の上には大きな木が
張り出し覆っていました。


奥に回ると、水を注ぎこむ清水の湧き出し口がありました。


池の先を進み振り返って全景を撮りました。


奥参道へ戻って、楼門方向へ歩くと途中鹿園がありました。
神獣として飼育されているのでしょうか。


そのそばにあった「さざれ石」です。君が代に出てきますね。


こちらは、丁度拝殿の真向かいに当たる場所にあった
仮殿です。元和五年(1619)建立みたいです。


仮殿を右折れ、すなわち拝殿から真直ぐの所にあった
社務所と祈祷所です。


その奥は武徳殿でした。剣道場です。塚原卜伝と何か関係
あるのでしょうか。


もう一度楼門を裏から撮って、鹿島神宮を後にしました。


国道51線を大洗へ行き、アクワワールドへ寄ることにしま
した。写真は入館手前で撮った大洗の海、太平洋です。
海なし県に住む者とって、海にはどうしても憧れみたいな
ものかあって、海を見るとなんとなくうれしくなり、思わず
写真を撮ってしまいますね。


中では、大きな水槽で水中ショーをやっていました。


アクアワールドの売りは、このマンボウとサメみたいで
した。丁度お昼どきみたいで、マンボウに餌をやる手が
真ん中辺りに出ているのが分かりますか?


こちらは大きなサメが回遊しているところです。この水槽
だけでなく、たくさんの種類のサメを見ることができました。


施設の中で一番の高所のデッキから、また海を撮ってしま
いました。左が、大洗の買物市場があったりする所です。


最後にイルカとアシカショーを見てきました。


この後水戸へ行くのですが、ひたちなか市に寄って、写真
の常陸那珂反射炉を見ていくことにしました。安政年間に、
鉄製の大砲鋳造を目的に徳川斉昭によって築造されたもの
みたいです。炉の前に大砲が据えられていました。


こちらは炉のレンガを焼くための窯を再現したものです。


水戸は弘道館へやってきました。天保十二年に徳川斉昭
によって創設された藩校だった所です。水戸城の三の丸に
建てられました。昨年日本遺産にも認定されました。写真
はその正門。


その右にあるこの門から中へ入りました。中に見えている
のは事務所。ここでチケットを買いました。


弘道館の正庁・至善堂です。建物内部を見学できました。


正庁の中は撮影禁止と出ていましたが、庭ならいいかな
と思い、梅の咲いている所を撮りました。見学が終わった
処で、撮影禁止は資料室だけだったのが判明しましたが、
後の祭りですね。


弘道館を出て、水戸城址は二の丸跡へ歩いて行くと、水戸
市立第二中学校の前に、水戸藩二代目藩主水戸光圀(義公、
水戸黄門)が大日本史編纂のために建てた彰考館跡の碑が
ありました。隣は、大日本史編纂之地碑です。


さらに進むと、塀際に大シイの木が立っていました。この
城址には、幼稚園から高校までの学校があって、皆昔ながら
の土塀に囲まれていました。最近新しく整備したみたいです。


城址をぐるっと回って下りてきた所に、義公誕生の地が
あって、黄門神社になっていました。


さらに町中へ歩きJR水戸駅前を真直ぐ行くと、東照宮
が出てきました。


こちらがその社殿。葵の紋が見られます。


境内端の方の建屋には安神車が納められていました。
徳川斉昭が考案した戦車で、上の窓から鉄砲を撃った
みたいです。ただ実戦に使われたかは不明。


社殿に相対して、真直ぐ進んだこちらが正規の参道みたい
でした。


町中をさらに進んで三の丸跡、最初の弘道館の後ろ側へ
きました。写真は三の丸の空堀、土塁跡です。


中へ入って行くと見えたのは茨城県三の丸庁舎。何となく
歴史を感じさせてくれました。


左手遠くにドームみたいな丸屋根が見えました。後で傍を
車で通りましたが、低区排水塔だそうです。


庁舎の右側から奥へ歩いて行くと、何やら碑が。種梅記碑
といって、周辺に梅を多く植えた理由を記していました。


こちらは、弘道館記碑が納められた八卦堂。


さらに右奥へ進むと、鹿島神社。鹿島神宮から分祀された
神を祀っているみたいです。


そこから反対側の左へ進むと、弘道館敷地内の裏の
一画に孔子堂が見えました。


その前にあった学生警鐘。学生に時を知らせたものですね。


弘道館の脇道。右に見えているのが孔子堂。ここを歩いて
一番最初の弘道館正門へ戻りました。


最後に偕楽園に寄っていくことにしました。南門先の第2
駐車場に車を止め、エレベータのついた梅桜橋を渡って
歩いて行くと、偕楽園の標識が立っていました。傍には
梅が咲いていました。


梅林へ行く途中にあった好文亭。徳川斉昭が設計、文人・
墨客を集めて宴を催した所みたいです。もう、この頃には
西日が射してきました。


好文亭へ入って行く所の芝前門。


梅林内を歩いて、江南所無という梅の木前で撮りました。
予想通り、梅の花にはまだ早く、殆ど咲いていませんで
した。梅まつりは2月20日からとチラシに書いてありました。


東門近くにきたら、白梅がよく咲いていました。咲いて
いたのは、この木の外数本だけでした。


こちらが一般的な入場門の東門。


東門から千波湖へ向かって下っていく途中の脇道にあった、
大日本史完成之地の碑。


さらに行くと、この日一番の紅梅を見ました。遠くに見えて
いるのが千波湖です。


千波湖に渡る偕楽橋の上から撮りました。


千波湖にも、白鳥やカモ類がたくさん泳いでいました。


こちらはカモメでしょうか、すぐ近くに集まっていました。


最後、駐車場手前にあった護国神社です。

鹿島神社、いつかは行きたいと思っていたのが今回実現
しました。厳かな気分に浸れました。やはり、人の少ない
朝早く訪れるのがいいですね。水戸は、今まで偕楽園だけ
だったのが、今回初めて市中の歴史遺産を見て回れて、
これもよかったです。
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結城・土浦

2016-02-01 10:43:53 | ブラ歩き情報
2016年1月27日、伝統的建造物を見に茨城県の結城市、
土浦市に行ってきました。


結城市は健田須賀神社周辺に見世蔵が多く残っています。
最初は、キヌヤ薬舗。明治中頃に建てられたみたいです。


次は、紬問屋だった奥順壱の蔵。


こちらは奥庄。やはり紬問屋で、昭和初期の建物です。


JR結城駅に繋がる道路に出て、赤荻本店。お茶を販売
する見世蔵です。


最初の道とは一本南側へ入って、小西商店。明治初期
築造。


これが健田須賀神社。社殿は右手奥になります。


干瓢を商う桜井長太郎商店。建てられたのは、明治後期
だそうです。


最初の道とは一本北側の道へ行き、これは鈴木紡績。
これも明治後半。


秋葉喬庸商店。元は農業資材の店舗で、明治末築造。


また、JR結城駅に繋がる道路へ出て河野商店。紬問屋
で、明治中頃の築造。
まだまだ、たくさん見る所はあったのですが、結城を
後にして土浦に向かいました。


土浦は、最初に亀城公園に行きました。土浦城があった
所で、市立博物館脇に駐車し歩き始め、写真の西櫓の所
から公園内へ入りました。


こちらは城内からの出口、櫓門。この後、歴史の小径を
歩きました。


歴史の小径に設定されている中城通りに出て、こちらは
山口薬局。


続いて、吾妻庵というお蕎麦屋さん。


土浦まちかど蔵「野村」。江戸時代からの商家だそうです。


土浦まちかど蔵「大徳」。江戸時代末期の見世蔵。観光協会
のアンテナショップが入っていました。


こちらは琴平通りの琴平神社。


もう一度中城通りに戻って、こちらは保立食堂。お昼に、
かきあげ丼を食べましたが、おいしかったですよー。


これは保立食堂の角にあった「桜橋」の標識と土浦の基点
となった「土浦町道路元標」。


中城通りと並行する裏道へ回って、大徳を裏から撮り
ました。蔵など幾つもあって、豪壮な感じがしました。


この後、大徳の観光協会アンテナショップに寄ってから、
中城通りを突っ切って等覚寺へ行きました。この鐘楼の
銅鐘は重文指定だそうです。


等覚寺の本堂。前には立派な松が枝を伸ばしていました。


こちらはすぐ隣に位置する、東光寺。江戸初期の開基。


東光寺の瑠璃光殿。十二支の透かし彫りが印象的です。


この後、少し離れた亀城公園の北西の所にある郁文館正門
に行きました。土浦藩の藩校だった所で、現在は土浦第一
中学校の一部になっています。


その郁文館正門の斜向かいにある神龍寺。土浦藩主
土屋家の菩提寺にあたります。


山門へ歩く途中に、霞ヶ浦海軍航空隊航空殉職者供養塔
がありました。


これはバルナバ協会。駐車場へ戻る手前で、尖塔が覗いて
いたので撮ってきました。
この後、土浦総合公園に行きました。


公園に着き、岸辺が開けている所があったので近寄ったら
白鳥、サギ、カモ類、カモメなどの水鳥がいっぱいいました。


これは、風車の展望デッキから撮った霞ヶ浦の風景。
さすが、広くて大きかったです!!


土浦を後にして、稲敷市の大杉神社へ行きました。夢を
叶えてくれる夢むすび大明神ですね。通称「あんばさま」
といわれています。鳥居の傍に大きなカラス天狗(向かっ
て右)が睨みを利かしていて、かない天狗と表記されて
いました。


この門を潜って境内に入ります。


入ってすぐ、左側の麒麟門が目立ちました。色鮮やかで
した。


真直ぐの景色。突き当たった所は神楽殿。


少し進んで、振り返って撮りました。入ってきた門、
神輿殿(右)、社務所(左)などが見えます。左端に一部
見えているのが社殿。


社殿正面の拝殿。夢を叶えてもらえるよう、よーく
お願いしてきました。


こちらは、麒麟門に戻って彫刻を撮ってきました。名の通り
キリンがいっぱいでした。皆、みごとです!!


扁額の透かし彫り。中国の物語でしょうか? 


こちらが本殿です。手前社殿周りの囲いには、二十四孝の
透かし彫りが施されていました。


大杉神社のすぐ隣は安穏寺というお寺で、こちらは
まったく正反対に、質素な佇まいでした。


その境内には、きれいな花が咲いていました。名は分かり
ません。


表に回って撮りました。大杉神社は、まったく国道125
号線の際に建っています。麒麟門が見えますね。


最後、潮来のあやめ園の夕暮れ。もちろん今は誰も訪れて
いません。潮来の伊太郎の像がぽつんと立っているだけで
した。

茨城の各地、忙しく回ったので見落としがいっぱいあるとは
思います。でも、歴史的、伝統的な建造物群を幾つも見られて
よかったと思ってます。


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