桐生トランピング情報

群馬県、特に桐生市周辺の山歩き情報をお届します。

桐生鳴神山

2017-04-28 10:53:28 | 山歩き情報
2017年4月25日、鳴神山へアカヤシオを見に行って
きました。いつものコース、駒形から鳴神山へ登り、赤柴
へ回って下りてきました。所要時間は3.5hでした。期待
した通りにアカヤシオは咲いていました。


現地へ着いたら車がいっぱい。遠くへ置いたことから、
登山口へ歩くまでの間に、道端にこんな石仏があった
のに気が付きました。見渡せば結構あったのです。


こちらは山側の斜面にあったもの。


こちらは橋の袂にあったもの。不動明王みたいでした。
(4月14日に撮影)


登山口から歩き始めると、マムシグサが群生していました。


保護されたオオウバユリが葉を出していました。大きな
花を付けるのは7月頃でしょうか?


エイザンスミレです。スミレの宝庫の名を冠する鳴神山、
この日もたくさんのスミレを見ることができました。


ニリンソウ。長い期間見られますね。


ヒトツバエゾスミレ。鳴神固有種のナルカミスミレは
このヒトツバエゾスミレの白花ですね。


トウゴクサバノオ。ちょっと小さいのしか見ませんでした。


ヒトリシズカ。名に反して群れていました。


ハルトラノオ。こちらは群生することが多いですね。


ユキザサが、第二石門を過ぎた辺りで出始めていました。


カタクリはさすがにもう終わっていたのですが、唯一
この一輪が倒木の空洞の陰で咲いていました。


ヒゲネワチガイソウ。気が付かず通り過ぎてしまう処でした。


肩の広場まで上りました。休憩用の丸太が組まれていま
した。右に見えるのが吾妻山までの縦走路の道です。


反対側の一段下がった所に、何やら小屋らしきものが
建設中でした。


神社裏の最後の上りで、フモトスミレが咲いていました。


頂上すぐ下で、期待通りアカヤシオが咲いていました。


これも同じ所でです。


桐生嶽頂上です。


一番最初に花を付ける頂上のアカヤシオも見事に咲いて
いました。


いつものよう川内町方面を、アカヤシオ越しに撮りました。


仁田山嶽頂上付近のアカヤシオ。


アカヤシオは青空を背景にすると、よりきれいですね。


これもそうです。


第一展望台からもアカヤシオがよく見えました。これも
アカヤシオを入れて川内町方面を撮ったもの。


同様に赤城山を撮りました。この日、霞んでいて赤城山は
よく見えませんでした。


ちょっと近くへ寄って撮りました。


第二展望台からも赤城山ははっきりしていませんでした。


椚田峠に着いて赤柴へ下りる前に、反対のコツナギ沢へ
の道に下りてカッコウソウの状況を見て行くことにしました。
芽は出ていましたが花はまだでした。後二週間位みたいな
感じでした。


赤柴への林道にも花がいっぱい咲いていました。これは
オカスミレみたいでした。


ミツバツチグリです。


こちらは似ていますがキジムシロでしょう。


ヒイラギソウは、蕾を付け始めた処でした。


赤柴を過ぎ、駒形までの林道でもいろいろ咲いていました。
こちらはマルバスミレでしょう。この後もいっぱい咲いて
いました。


ミヤマツボスミレですね。


これは、ネコノメソウみたいです。


こちらもネコノメソウだと思うのですが、先ほどとは
種類が違っているみたいです。


タチツボスミレ。この日、最初から最後までずうっと咲いて
いましたが、これが一番でした。


ナルカミスミレを発見!と思ったのですが、どうでしょう?


こちらも同様に、ちょっと?が残ります。

鳴神山のアカヤシオ、狙い通りに咲いていて大満足でした。
いつもこのようにいくといいのですが、自然相手はなかなか
思い通りにはいきませんよねー!
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新潟三条・新潟

2017-04-24 14:17:46 | ブラ歩き情報
2017年4月19日、新潟ブラ歩きの二日目、この日は
三条市と新潟市に行きました。


最初に、三条市の吉野屋という所の石動神社に行きました。
地図上に道がない所をさんざん迷いながら、ここまで辿り
着つことができました。


鳥居を潜ったとき何か悪い予感がしたのですが、この石段
をずうっと上って行くことになりました。辺りに人気は
まったくありませんでした。


どの位上ったでしょう。ようやく社殿の前に着きました。
ここに、今回の主目的にもなった石川雲蝶の彫刻がある
のです。


向拝の龍の彫刻、まさしく石川雲蝶ですね。拝礼もそこそこ、
早速撮らせてもらいました。


屋根裏破風の浪間に亀と鯉が隠れているのが分かります
か?木鼻部分も象ではなく獅子なのですが、こちらから
ではちょっと形がわかりませんでした。


左脇障子には加藤清正と高麗人の彫刻があったのですが、
ガラス戸が嵌められていて、写真では光を反射しはっきり
見えませんでした。


右脇障子は、神功皇后と武内宿禰ですが、こちらはもっと
はっきりしていません。でも、両者とも実物はしっかり見て
きました。


拝殿内部欄間中央(二つ)には、源頼光四天王の蜘蛛退治
(右)がありました。左右には、龍神と俵藤太(左)、
源頼政の鵺退治(右)もありました。


こちらは左の蜘蛛退治です。


このおびんずる様も雲蝶だそうです。


石動神社を下りてから本成寺に行きました。法華宗の
総本山で、ここの雲蝶の彫刻を見るために寄りました。
また、雲蝶の墓もありました。写真は赤門(三門)。


水門。ここから境内に入りました。


水門近くにあった変わった形の鐘楼。


こちらは多宝塔。鐘楼共々、江戸中期再興されたものみたい
です。


寺務所から入った奥の間に雲蝶作の牛が安置されて
いました。明治の火災ですべて焼けてしまい、これ
しかないとの説明でした。何となく安心感を与えて
くれる牛でした。


その隣の白い牛は、雲蝶弟子の作でした。


境内太鼓門から外に出た所にあった六角の千仏堂。


近くには牛の石像もありました。何を意味しているの
でしょうか?


三条市を後にして、新潟市へやってきました。こちらは
信濃川沿いのみなとぴあにあった旧新潟税関庁舎。現在
工事のため閉鎖中でした。


こちらは、旧第四銀行住吉町支店。


内部1Fはレストランになっていました。独特の雰囲気が
ありました。


2Fには会議室。


同、こんな和室もありました。


こちらは新潟市歴史博物館。


傍を流れる信濃川。対岸には佐渡へのフェリーらしき
船が泊まっていました。この日は風が強くて欠航した
みたいです。左へ行った先が河口。川の中にカモメが
浮かんでいるのが分かりますか?


中央区の官庁街にやってきました。この通りは
地獄極楽小路。


傍の屋敷の中をちょっと覗いてみました。後で調べたところ
では旧齋藤家別邸の一部ではないかと思います。


その前は白壁通り。白い石畳になっていました。


その通りを中ほどに歩いてきた所にあった旧齋藤家別邸の
入口。


さらに先に行くと、新潟大神宮という神社がありました。


その神社参道中ほどに、思いもよらず坂口安吾生誕の碑
がありました。桐生には終焉の碑があり奇しき縁というのか、
不思議な感慨をもちました。


こちらはカトリック新潟教会。大きな教会でした。尖塔が
見えているのに、道が複雑に入り組んでいて、なかなか傍
へ行けませんでした。
この後、白山公園に向かいました。



県民会館近くの駐車場に車を止め、公園と思う方向に
歩いて行くと、歴史を感じさせる建物がありました。
重文の新潟県政記念館でした。


その左手を歩いて行くと赤い鳥居が見えてきました。
白山神社の鳥居ですね。


白山神社の参道です。先ほどの赤い鳥居は右手になります。


左手には忠犬タマ公の銅像がありました。雪崩に巻き込ま
れた主人を二度も掘り起こして助けた犬だそうです。えらい
ですね。


参道を歩いてきて振り返る形で左手の池を撮りました。
池の中の塔はラジオ塔。


白山神社楼門。


社殿です。


その横手に石が祀られていました。説明板には、「御神石
白山くくり石、霊峰白山遥拝所」と書かれていました。
石川県白山市より贈られた石」みたいです。


こちらでも、池の淵にミズバショウが咲いていました。


傍にあった遊神亭。市民茶亭らしいです。


隣り合ってあった燕喜館。明治期の大商家、斎藤家の本邸
の一部を移築再建したもので、登録文化財。茶会などに
利用。この齋藤家は、白壁通りと同じ齋藤家です。


公園内に架けられた高架歩道の上から撮った燕喜館。


高架歩道を下りて、県民会館の前にあった
「みちびきの像」。


最後、萬代橋を撮って新潟市を後にしました。このとき、
風がものすごく、立ってられないほど吹かれました。

新潟は広いですねー!見る所がいっぱいあるのに、移動等に
時間がかかり、計画をしていた個所を何か所もとばしてしまい
ました。残念です。いつの日かまた行けるといいのですが…
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新潟上越・長岡

2017-04-23 09:09:32 | ブラ歩き情報
2017年4月18日・19日、新潟県の上越市から新潟市
までの日本海沿いの各所をブラ歩きしてきました。今回は、
初日の18日についてです。


最初に訪れたのは、上越市の海近くの五智という所の
五智国分寺。越後に配流された親鸞の配所があった
所です。ただ、現在の国分寺は上杉謙信が再興した
ものみたいです。五智如来の旗が立っていました。


古びた山門がありました。


ずうっと奥へ行った所から撮った境内の様子。右が本堂。


その撮った脇にあった親鸞聖人御配所草庵。竹之内草庵
と呼ばれているみたいです。


その傍にあった親鸞聖人腰掛石。


さらに親鸞聖人像も立っていました。


さらに行った先にあった三重塔。


その三重塔には、十二支の彫刻が施されていました。
右から亥、子、丑で、四面に三つずつ干支が刻まれて
いました。最初右のは象と思ったのですが、よく考えた
らイノシシだったのですね。


五智国分寺の後、近くの国分寺別院へ行きました。
こちらは、竹ヶ前草庵といわれ、一年後に国分寺
からここへ移ったとのことでした。


境内にあった銅像。糸魚川から船でこの地に来た親鸞が
最初に降り立った居多ケ浜の情景を再現したものです。
同じ境内には、親鸞袈裟懸けの松跡もありました。


本堂内陣の格子天井。


襖絵もきれいでした。
この後、上杉謙信ゆかりの春日山へ向かいました。


最初に、春日山麓の林泉寺に寄りました。越後国守護代
長尾氏その後を継いだ上杉氏菩提寺ですね。写真の総門
は、最近修復されたばかりの処みたいでした。


立派な山門が立っていました。


その山門には、天井に龍の図(双龍図)が…


本堂脇に歴代の墓所へ延びる道がありました。


その道を登って行くと、川中島戦死者供養塔がありました。


その右方には上杉謙信の墓がありました。


さらに奥の方へ上がって行くと、何やら石をくり抜いた仏像
らしきものがありました。後で調べたら、江戸期の藩主一族
の松平綱賢の墓みたいでした。


この墓所の道端にはスミレが咲いていました。マルバスミレ
のように見えました。この他に、もう終わっていましたが
カタクリも咲いていたようでした。


林泉寺からぐるっと道を回り込んで春日山城趾にきました。
謙信像が立っていました。今回のブラ歩きの主目的の一つ
です。


そこから右へ歩いて行き、春日山神社へきました。
上杉謙信を祀った神社ですね。


拝殿です。


お参りした後、横へ回ったら、心柱あるいは棟持柱で
しょうか外に出ている柱を目にしました。反対側も
同様に外に出ていました。


この春日山神社の脇から春日山本丸趾まで登れる道が
あったので、そこを上って行きました。初めは写真の
ような旧階段が続きました。


道の端にカタクリが咲いていました。こちらのカタクリの葉
には斑(まだら模様)がなく、葉の表面が緑一色できれいで
した。カタクリの隣のとんがり帽子はマムシグサですね。


上る途中で出てきた空堀。二本とも普通の山道に見えます
が空堀との説明がされていました。


エンレイソウが咲いていました。それも数多くです。何だか
通常の山登りの様相を示すようになってきました。


本丸(頂上部)が近づいてきた所に直江山城守趾がありま
した。直江兼続の屋敷ですね。


さらに上って行くと、こんどはイカリソウソの群落が…


こちらは毘沙門堂。TVなどでは上杉謙信が洞窟に籠る
シーンが多いですが、実際はお堂だったのでしょうか?
現在立っているのは復元されたお堂です。


さらに先にいくと、謙信が戦勝祈願した護摩堂趾があり
ました。


その右をちょっと上ると諏訪堂趾、さらに奥に毘沙門堂趾の
碑が立っていました。


また少し上って、本丸趾へ着きました。


本丸と続いた先に天守趾がありました。その先はもう
ありません。


本丸からの景観。内陸側でしょうか?


こちらは天守からの景観。目の前の雪が残る山は妙高と
思うのですが…


本丸から下り始めたとき、横手から天守趾を撮りました。
自然の地形をうまく活用した山城であったことが、納得
できました。


ここは直江邸近くの二ノ丸趾辺りですが、崩落していま
した。そういえば虎口から二ノ丸へ行く道は閉鎖されて
いました。


春日山城趾の次に、浄興寺へ行きました。親鸞開山の
お寺です。写真はその本堂(重文)。


こちらは聖徳太子堂。このお寺では、当初は親鸞聖人
が自作した聖徳太子像を本尊とし、後に釈迦如来に
代えたといわれています。


境内の様子。右にちょこっと見えているのが太子堂、
同様左が本堂です。


本堂続きの先にあった聖人御本廟拝堂。


その裏に回った所の御本廟。親鸞聖人の御頂骨が安置
されています。


唐門の彫刻。柏崎の名匠・篠田宗吉作みたいです。


同様に、門扉とその脇の彫刻。


山門が最後になってしまいました。


山門を出た所の道路端に立っていた説明板。この一帯は
寺が密集していて、越後高田の寺町界隈といわれてる
みたいです。
この後、高田公園に行くのですが途中で旧今井染物屋
を見ていくことにしました。


旧今井染物屋は、江戸時代に建てられた町屋で、古い
形式の雁木を備えています。


高田公園にきました。徳川家康の六男、松平忠輝の居城
として築城された高田城の跡に造られた公園です。写真
はその西堀と西堀橋。


公園内にはいくつものブロンズ像がありました。写真は
地元彫刻家岩野勇三作(作品名不明)。


内堀越しに三重櫓が見えました。


本丸にはこの極楽橋を渡って入りました。


極楽橋の袂で咲いていたヤエベニシダレザクラ。高田公園
では、この日の前日17日までさくらまつりをしていました。


本丸跡です。


三重櫓を近くによって撮りました。


外堀と内堀の間にあった小林古径邸の本邸。登録文化財
です。


これは門柱を残すのみですが、旧陸軍第十三師団の跡。
ここまでで上越市を終え、この後長岡市へ向かいました。


長岡市では最初に火焔土器を見に馬高縄文館(火焔土器
ミュージアム)に行きました。館内を見学し、火焔土器が
こんなにも数多く出土していることを知って驚きました!


一緒に展示されていた土偶。ミス馬高だそうです。


次に、悠久山公園に行きました。ちょうど桜まつり開催中
でした。


駐車場から蒼紫神社へ向かう道脇にミズバショウが咲いて
いました。こんな町中なのに、です!


蒼紫神社です。長岡藩主牧野氏所縁の神社みたいです。


その神社の高明門。こちらから登ってくるのが本道。


ここではサクラがいっぱい咲いていました。


公園最上部にあった長岡市郷土資料館。長岡城を模して
作られたみたいですね。ただ石垣は本物を使用している
ようです。


戻る途中、河井継之助の碑があるのに気が付きました。


これは、蒼紫神社社殿に併設される形であった牧野家歴代
御霊所、悠久山招魂社河井継之助・山本帯刀墓碑です。

以上で、まだまだ見たい所がいっぱいあったのですが、
この日は時間がなくなったので終わりにしました。それ
にしても、たくさん見て廻ったものだと思いました(ここに
掲載していないものもたくさんあります)。
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桐生鳴神山

2017-04-15 15:21:25 | 山歩き情報
2017年4月14日、桐生市川内町の鳴神山へ行ってきま
した。いつもと同じで、駒形から登り、赤柴へ回って下りて
きました。時間は3.5hでした。


鳴神にもようやく春が訪れました。広土橋から林道を歩き
始めるとすぐにスミレが咲いていました。タチツボスミレで
すね。


こちらはミツバツチグリ。黄色が鮮やかでした。


これは何でしょう?マムシグサが芽をだした処ですね。


エイザンスミレも咲いていました。


沢に架けられた橋。白滝橋の表示があります。ここを
渡ると、本格的な山道になります。


しばらく上って行くと道を塞ぐようにして沢沿いに岩場が
出てきます。傍の木に「第一石門」の札が下がっていま
した。写真左の大きな岩の左を上って行きました。


岩場を越えると山側にカタクリが咲いていました。


結構たくさん咲いていました。以前はこんなにはなかった
ような気がします。


沢の中にはニリンソウの群落も。この後もずうっと道沿いに
葉が出ていたりして、今年は数多く咲いてくれそうです。


ハルトラノオもたくさん見ることができました。


こちらはちょっとはっきりしないのですが、オカスミレみたい
でした。


トウゴクサバノオが大きく咲いていました。


中腹を過ぎた辺りに出てくる岩場。先ほどが第一石門で
あれば、こちらは「第二石門」ではないかと思っていたら、
近くの木にその通りの札が下がっていました。この岩場は、
この後夏にかけてコバギボウシやイワタバコ、レンゲショウマ
などの花が咲いてきます。


第二石門を過ぎた所のカタクリは標高が少し上がった
せいか、まだ小さく、これからが期待されそうでした。


鳴神山桐生嶽の頂上に着きました。驚いたことに石祠の
前に立派な鳥居が立っていました!木彫りの狐も鎮座し、
「雷神嶽神社」の額も付いていました。


頂上から袈裟丸山、皇海山の方向を撮りました。左端には
雪に覆われた武尊山も見えました。


少し右に目を向けて、こちらは日光男体山の方向。空には
雲が三つ浮かんでいました。


反対方向の桐生市川内町です。左に吾妻山山系が延びて
います。


この日、アカヤシオはまだまったく咲いていませんでした。
いつもは真っ先に咲きだす、この頂上のツツジも蕾の状態で
した。


仁田山嶽頂上にも鳥居が付けられていました。
「鳴神山神社」の額が付いていました。


そのすぐ傍の第一展望台から赤城山を撮りました。この日
は風もなく、気温も上がったのでちょっと霞んでいました。


こちらは、少し下がった所の第二展望台からの赤城山です。


椚田峠にも鳥居がありました。この後、左の赤柴方面に
下りて行きました。


山道を抜け林道を歩いているとスミレが…。固有種の
ナルカミスミレではなく、原種のヒトツバエゾスミレ
みたいでした。


こちらもよく見ると、ヒトツバエゾスミレみたいでした。
この他にもいくつか咲いていました。


これはハシリドコロでしょうか、沢沿いに咲いていました。
見ることができたのは、この株だけでした。


最後は、ネコノメソウです。

鳴神山、本当はアカヤシオを目当てに登ったのですが、頂上
付近はまだ冬の状態から抜けていませんでした。もう少しの
辛抱ですね。あと一週間くらいでしょうか…
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城巡り3

2017-04-10 06:32:40 | 旅行
2017年4月5日、バスツアー「桜の名城9選」の最終日
は、まずは日本初の重伝建である妻籠宿を見学して、
それから国宝松本城に行きました。


国道256号線沿いの第1駐車場でバスを降り、家並の
細い路地を通り抜けて、妻籠宿の町並みへ出る処です。


町並みへ出た所で見た左側。


こちらは右側。まずは、こちらを歩いて行くことにしました。


歩き始めてすぐに出てきた梅の古木。苔に覆われて
いました。


少し先へ行くと右側に脇本陣奥谷(重文)がありました。


横に付けられたこの門が、どことなく趣がありました。


こちらは脇本陣の対面側にあった妻籠宿ふれあい館。
無料お休み処の札が下がっていました。


中に雛人形がいっぱい飾ってありました。いったい
何体あったのでしょう?


その並びの妻籠宿本陣。島崎藤村が務め、藤村の母の
生家だったようです。


敷地の中をちょっと覗いて撮りました。建物内には入り
ませんでした。


こちらは進行右側の郵便資料館。藤村の『夜明け前』にも
開局当時の様子が描かれているみたいです。


こちらはその斜向かいの観光案内所。明治・大正期らしさ
を感じさせる建物でした。


その観光案内所の所で道が分岐していました。左へ行く
と光徳寺、真ん中の道はやがて右の道と合流、右の道を
歩きました。


ちょっと坂を下るとシダレザクラが出てきました。


その先の町並み。宿屋が何軒か並んでいました。


松代屋という宿屋さん。表の戸が開いていたので、中を
撮らせてもらいました。今も営業しているみたいです。


道が合流する所にあった下嵯峨屋。裏で宿屋をやって
いるみたいです。


合流した道が少し高くなるので、下嵯峨屋の屋根を撮る
ことができました。昔懐かしい石を葺いた屋根でした。


これはちょっと先に行った所の石仏「寒山拾得」像。
双体像が珍しく、国内唯一のもの。


その隣の延命地蔵。江戸後期光徳寺住職が安置したと
いわれています。


上嵯峨屋。江戸半ばの木賃宿。


寺下の町並み。この先で町並みが終わるので、ここから
戻ることにしました。


戻りは上の道を行くことにしました。歩いて行くと
光徳寺に突き当たりました。


境内隅にあった地蔵堂。横に、光徳寺の鬼瓦が立て
かけてありました。


光徳寺の裏に何やら木造校舎のようなものが見えたので
行ってみました。旧妻籠小学校でした。


近くを通りかかった御婦人に尋ねたら、南木曽小に
合併されて、今は皆そちらにいっているみたいです。
子供がいなくなった、と嘆いておられました。


最初の地点まで戻り、こんどは反対側の町並みを歩き
ました。右に水車小屋、その前の熊谷家住宅、真ん中
に見えるのは高札場です。


いろいろな高札が掲げられていました。


その先を行った所に、口留番所跡という表示が立って
いました。関所の跡みたいですね。


さらにその先の鯉岩。余り鯉には見えないのですが、
地震で頭の部分が落ちてしまったそうです。ここ迄で
妻籠宿の見学を終了し、バスへ戻りました。


最後のお城、国宝松本城へ向かう処です。周囲一帯は
松本城公園になっています。


こちらは天守裏側になるのでしょうか、内堀に浮かぶ
ような形で堂々たる姿を見ることができました。この
後、時計と逆回りの方向に歩いて行きました。


斜めの方向から見る位置にきました。


これは横からの位置ですね。


本丸への入口近くまできました。


入口から入って、この黒門を抜ければ本丸です。


本丸にきて、正面から松本城天守を撮りました。


天守内に入って、使っている梁の太さに驚き、思わず
撮ってしまいました。


突上戸から下に見えた本丸を撮りました。


天守最上部中の様子。


鴨居に国宝指定書が掲げられていました。それによると、
天守五棟が昭和27年3月29日に国宝指定されました。


こちらは中層部(四階)の御座所。四方の格子から光が
入ってきます。


月見櫓の内部。ここから夜空に浮かぶ、あるいは内堀に
映す月を眺めたのでしょうか?


外からその月見櫓を撮りました。


最後、埋橋を前に斜め方向から天守を撮り、今回の城巡り
を終了させました。

今回の9城巡り、移動距離が長く、中々一カ所で時間を
とれなく、見残した所がいっぱいあったと思います。
それでも少しは、日本の築城技術の粋を垣間見ることは
できたかな、とも思っています。こうした企画があれば、
また参加したいですねー!?
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