桐生トランピング情報

群馬県、特に桐生市周辺の山歩き情報をお届します。

桐生鳴神山

2016-04-27 09:49:37 | 山歩き情報
2016年4月22日、アカヤシオを目的に桐生市川内町の
鳴神山へ行ってきました。いつものように、駒形から鳴神山
を登り、赤柴に回って下りてきました。約4hの行程でした。


現地に着いたら、駒形の広土橋前が、車の方向転換の
ために駐車禁止になっていました。写真中央辺りから
入って行きます。左は赤柴への道。


マムシグサが出始めました。


杉林の中の道を上って行くと、いろんな花が出てきました。
これはタチツボスミレですね。


こちらは、マルバスミレみたいです。


沢の中の岩場を上ると、ニリンソウが増えてきます。
ちょっと数が少ないような気がしますが、群落も岸辺
に姿を現します。


こちらは大きく咲いていました。


ミツバツツジが咲いていました。こんな所で咲くなんて
今までなかったような感じがしました。


ヒトリシズカが、もともと光沢のある葉に陽の光を
受けて咲いていました。


これは、ちょっとはっきりしないのですが、鳴神山固有種
のナルカミスミレかも?


ハルトラノオ。大きな岩の間を通り抜けた所で撮りました。
あまり形がよくありません。以前はもっとたくさん咲いて
いたのですが、このところ数が減ってきています。


これはワチガイソウですが、何となく疑問もあってネットで
調べたらヒゲネワチガイソウらしいと思いました。


トウゴクサバノオ。小さな花で、ザラ場とはいわないまでも、
小石が多く混ざった道脇に咲いていますね。


ユキザサ。まだ出始めですね。肩の広場へ向けて急勾配
になる辺りから顔を出します。


エイザンスミレ。これも同様です。


ミツバツチグリ。黄色が鮮やかです。


ヒトツバエゾスミレ。ナルカミスミレの原種です。


肩の広場へ着きました。神社の前のサクラが咲き始めた
ところでした。


神社の裏を上るとすぐ頂上で、そこへの道にフモトスミレが
咲いていました。


桐生嶽と仁田山嶽の分岐点に出ました。目指すアカヤシオ
は咲いていました。


桐生嶽頂上に到着。頂上のアカヤシオが花をまだ付けて
いたので、おもわずすぐ撮ってしまいました。


袈裟丸山、皇海山の方向(北)の景色。右端に見える日光
男体山には、雪はもう無かったです。


左へ目を移して、アカヤシオに覆われた仁田山嶽を撮り
ました。


さらに左へ回って(南方向の)川内町、吾妻山山系を撮り
ました。


先ほどの分岐点まで下りて、見上げて撮りました。


ここでは、ヤマザクラが咲き始めていました。


仁田山嶽頂上前の第一展望台から赤城山を撮りました。


下を見たら、アカヤシオが固まって咲いていました。


頂上と同じ構図で川内町方向を。


椚田峠へ下りて行く道もアカヤシオがいっぱいでした。


近くに寄って一枚!!


余りにもきれいな色合いを一枚!!


大分下りてきましたが、まだまだ咲いていました。


第二展望台から赤城山を。


これはオカスミレでしょう。赤柴へ向かって林道を歩いて
いるとき見かけました。


少し行った先の窪地に、ヒイラギソウが咲き始めていま
した。

この日はまだまだ他にもいっぱい撮っているのですが、限定
して載せました。鳴神山、これからも花が続きます。カッコウソウ
ももうすぐ。待遠しいですね!!
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鶴岡~庄内松山藩跡~酒田

2016-04-25 14:30:58 | ブラ歩き情報
2016年4月18日、山形県の鶴岡市、酒田市をいろいろ見て
歩きました(この日も実際は前日からの続きでした)。


最初に訪れたのは、鶴岡市街から酒田市へ向けて、
112号線を海方向へ走った所の善寶寺でした。
龍神様のお寺として有名な曹洞宗のお寺です。


参道を入ってすぐの所に大きなお地蔵様が立っていました。


反対側に五重塔が見えました。前日の羽黒山の五重塔と
比べても、遜色はありませんでした。


総門です。


鴨居部分に象の彫刻が施されていました。


前へ進んで、こちらが山門。


山門の手前右側に五百羅漢堂がありました。


中を覗くと、着色された羅漢様がいっぱいおられました。
また、清浄殿の額がかかっていました。


山門には、通路を挟んでそれぞれが対峙する形で仏像が
立っていて、こちら(向かって右側)は毘沙門天。


反対(同左)側は韋駄天でした。普通は網などが架かって
ていますが、ここはそのまま露出していてお姿をそのまま
お参りでき、それが大変いいな、と思いました。


山門を潜って左側にあった大きな彌勒菩薩様。


本堂へは長い階段を上って行きました。


こちらが本堂。


本堂の裏にあった龍王殿。


本堂の前を左側へ下った所の鐘楼の傍に、ヤマザクラ
でしょうか、きれいに咲いていました。
善寶寺を見た後、酒田市、実際は庄内松山藩のあった
松山町(住所は酒田市字新屋敷)へ向かいました。


松山城跡は、現在松山歴史公園になっています。因みに、
松山藩は江戸期最後、桐生を領有していました。


全体に緩やかな勾配がついていて、塀に沿って下って
いきました。見えている門は、松山文化伝承館への入口
になっています。


さらに下ってこちらの冠木門から中に入りました。


中に入ってすぐの様子。道の右手に大手門が見えました。


こちらは、左手にあった馬出跡土塁。


大手門側へ曲がって進みました。大手門左奥に見える
建物は、松山文化伝承館。


大手門無手前右の水堀傍にきれいなサクラが咲いて
いました。


大手門を通り抜け、裏側から撮りました。


敷地を仕切る石垣。それらしく整備されていました。


一番上まで歩いてきて振り返って撮りました。この広場が
本丸跡みたいです。


こちらは、一旦公園の外に出て、下って振り返って
撮ったもの。


昔の堰みたいな感じがする堀もありました。


周りの城下町だったのではないかと思える一帯を歩いて、
また一番上まで戻ってきました。


角の所に、物見櫓跡の表示が立っていました。


その角を真直ぐ進んで、大手広場の反対側(裏)にあたる
所にあった本丸の土手。


また少し戻って、大手広場・文化伝承館の裏手方向から
撮った光景。
この後、酒田港近くの酒田市内中心街へ向かいました。


新井田川が酒井港へ注ぐ所にあった山居倉庫。米を入れる
ための倉庫で、全部で12棟あり、手前2棟が観光物産館
になっていました。写真は川に面した側。


奥へ歩き始めた所に、舟の停留小屋がありました。この船
を川へ繰り出し、物流したのでしょうね。


中間地点まで歩いてきて、倉庫が途切れた路地へ入って
屋根を撮りました。二重構造の屋根が独特ですね。


これは12番目の倉庫で、庄内米歴史資料館になっていま
した。


裏側へ回って、欅並木と一緒に撮りました。この風景も
趣がありますね。


この後、川の反対側へ行って、大通りに面した本間家
旧本邸を撮りました。本間家三代光丘が庄内藩主酒井氏
のために建造した邸です。本間家は、「本間様には及び
はせぬが、せめてなりたや殿様に…」とまで歌で読まれる
程の豪商で、日本一の大地主でした。


その庭の一部。


こちらは大通りを挟んで反対側にあった別館。奥へ向けて
蔵などいっぱい建物が立ち並んでいました。


こちらは旧鐙屋。廻船問屋で、酒田三十六人衆として町政
にも参画、江戸時代 の日本海海運の大きな役割を担った
家です。国指定史跡。


続けて、山手へ向かって行き、こちらは海向寺。空海開基
といわれているみたいです。


本堂脇にあった即身佛堂。庄内6体の内、2体の即身佛が
このお堂に祀られているのだそうです。


続いて、海向寺に並んで位置する日枝神社へ行きました。


階段を上った所にあった光丘文庫。本間家の蔵書を中心
に、有志家による数万点の貴重な蔵書を集めて、大正時代
に建設されたもの。その後、市の図書館へすべてを寄贈。


日枝神社社殿。この後気付いたのですが、ここまでどうやら
脇道から上がってきてしまったみたいでした。


社殿屋根を支えるサルの彫刻がありました。おもしろいで
すねー。


階段を下りて、舞子坂と称される坂を歩いて行くと香梅咲
といった額を掲げたお店がありました。料亭なのでしょう。


その隣は、相馬樓といったこちらも料亭みたいで、舞子の
踊りが見られるみたいです。女将みたいな人がいたので話
を聞いたら、一見でも入れて、誰でも見られるとのこと。
時間がないので、飛ばしましたが…


少し横へ移動し、山王くらぶへ行きました。明治期に料亭
として建てられたもので、つるし飾り傘福などを展示して
います。二階の窓ガラスに見えているのが分かりますか?


こちらはその先にあった上喜元という造り酒屋。
じょうきげん、と読むのでしょうね。


山側へ戻った所の魚屋さんの店頭光景。鱒みたいで、群馬
では見られない光景なので、おもわず撮ってしまいました。


山の頂上にある日和山公園に移動、道路を挟んで反対側
のここが日枝神社の正面みたいでした。


随神門です。


近くにあった小幡という旧割烹。「おくりびと」の撮影に
使われたとか…


日和山公園の入口。ここでもサクラまつりを開催中でした。


公園内を真直ぐ進むとあった常夜燈。


さらにその先にあった展望台から、市の中心街の方向を
撮りました。


こちらは、その反対方向で、六角の木造灯台の向こうが
海になります。


入口の方へ戻りかけたとき、皇大神宮の傍にあった錨。
海の中から引き揚げてきたものではないか、と想像します。


日和山公園入口まで戻って、今度は下の広場の方へ
下りて行きました。


池に千石船が浮かんでいました。これで帆がついていれば
申し分なかったのですが…


公園の反対側、日枝神社の横にあった旧白崎医院。どこ
にあるのかと車で探しに出かけたのですが、何ていうこと
はない、駐車していた場所からすぐの目の前にあったの
でした。大正期に建てられた酒田市唯一の木造洋風建築
ですね。


中へ入ったら、受付の人が爆睡中、そのまま入口で写真
を撮っただけで、戻ってきてしまいました。
ここまでで山形のブラ歩きを終了。この後、6時間かけて
桐生へ戻ってきました。

酒田市も大忙しで見て回ってしまいました。もう少しゆっくり
歩き、町固有の雰囲気、文化を味わえたら良かったなと思って
います。それにしても、山形奥深いですね、歴史、生活、風俗
など群馬とは明らかに違いますね。またいつの日か、時間を
かけて回ってみたいと思いますが、叶うでしょうか?
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山形~鶴岡

2016-04-24 15:17:43 | ブラ歩き情報
2016年4月17日、山形県の山形市、鶴岡市をブラ歩きして
きました(実際は16日からの続きです)。


最初に、山形市の繁華街七日町大通りを突き当たった所に
ある山形県郷土館の文翔館へ行きました。写真は旧県庁舎
だったルネサンス様式の大正期建物です。因みに、七日町
大通りは花笠まつりのパレードコースになる所みたいです。


旧県庁舎からつながるレンガ造りの旧県会議事堂です。


前庭に咲いていたシダレザクラ。きれいでしたよ!!


文翔館の裏の方に見えた山形六日町教会。


文翔館の前の道を東南方向へ歩くと教育資料館(山形
県立博物館分館)がありました。旧山形師範学校の校舎
として明治期に建てられたものです。


中に入って近くから撮りました。


その校舎の斜め横にあった講堂。年代を感じさせます。


これは守衛所でしょうか、門近くにありました。


教育資料館の前の方(南)へ歩いて行った所の専称寺の
本堂。大きな本堂でした。


その専称寺の墓地の奥には、駒姫の墓がありました。
駒姫は、最上義光の娘で、豊臣秀次の侍女であった
ことから非業の死を遂げた女性です。なお、専称寺
一帯はお寺がたくさん集まった所でした。


専称寺から七日町へ戻る途中でみかけた千歳館。明治
から140年続く、日本料亭みたいです。


街の中にひっそりと佇む長源寺。江戸開闢期、最上家改易
後の藩主鳥居忠政に因んだお寺みたいです。


山形七日町二郵便局。元は洋品店で大正14年に建てられ
ました。


七日町御殿堰。江戸初期に整備された山形五堰の一つ。


こちらは山形まるごと館紅の蔵。旧家の蔵屋敷を活用して
農産物などを販売する店。

この後鶴岡へ移動したのですが、途中の月山~湯殿山は
まだ雪が多く残っていて、まったくの冬の状態だったの
には、予想していなかっただけに、本当にびっくりしました。


鶴岡に着いて最初に訪れたのは致道博物館。鶴ケ岡城
三の丸あたりで庄内藩の御用屋敷になっていた所です。
門の左は、旧鶴岡警察署庁舎(重文)で、現在修復中。


敷地内に立つ、明治創建で重文の旧西田川郡役所です。


同じく重文の田麦俣の(から移築した)民家。豪雪地帯の
多層(三層)民家。


奥の方にあった酒井氏庭園。国指定名勝。


致道博物館を出てから、隣の鶴岡公園(鶴ケ岡城址)へ行き
ました。こちらもサクラ祭り開催中でした。


堀に沿って歩いていくと橋が架けられていてその先に、
大寶館がありました。鶴岡市先人の資料が収められて
いるみたいです。


ここでも花見が盛んでした。


公園の敷地が尽きた辺りの角に、国指定史跡庄内藩校の
致道館がありました。


致道館の中に入った所の光景。


これは講堂。


講堂の中をずうっと見て歩きました。


公園から先の市役所を通り越して入った道を歩いて行くと
鶴岡カトリック教会天主堂がありました。入口の武家門と
その中の尖塔を持った天主堂のアンマッチが、何ともいえ
ない味わいを醸していました。


明治期に完成の天主堂。重文指定です。


聖堂には、黒い色の聖母マリア様がおられました。


窓にはステンドグラスみたいな二枚ガラスに挟まれた
窓絵が嵌っていました。


天主堂への道を前に歩いて行くと、旧風間家住宅丙申堂
がありました。庄内藩の御用商人であった風間家が、明治に
武家屋敷跡を住居と営業の拠点用に建てたものです。こちら
も重文ですね。


反対側へ回って撮りました。石をまんべんなく置いた屋根
が分かりますか?珍しいですね!!


こちらは、無量光苑釈迦堂。丙申堂の別邸として建てられ
ました。


鶴岡公園に戻ることにし、中央辺りの地点から入って
荘内神社へ向かいました。


こちらが荘内神社社殿。酒井氏歴代藩主を祀った神社で、
鶴ケ岡城本丸跡地に建てられました。


サクラを見ながら本丸周辺を撮って行きました。


ぐるっと回って、旧西田郡役所が見える所まできました。


この後、羽黒町へ向かい、途中松ケ岡開墾場に寄りま
した。維新後、旧藩士3,000名で開墾した所です。
ここもサクラまつりをしていました。


道の両側に大きな建物が並んでいて、こちらは第一蚕室
で、現在は松ケ岡開墾記念館になっています。


こちらは庄内映画村資料館として使われていました。


反対側にあった新徴屋敷。庄内藩江戸取締の際に配下に
した浪士組組織「新徴組」の人達が庄内に移住してきた
ので、明治3年に藩が建てた住宅です。ここも屋根に石
が敷いてありました。


これは庄内農具館となった建物。建物の構造がよく分かり
ますね。


車道を挟んで反対側にあった松ケ岡本陣。


羽黒山山頂にある出羽三山神社へ通じる参道の入口に
きました。


随神門を潜ると下りの石畳が続いていました。両側は杉林。


下りて行くと出てきた須賀の滝。手前は祓川。


その先に出てきた爺杉。樹齢1,000年以上、胴回り
8mを超えるそうです。周りには雪が…


こちらが、国宝の五重塔。平将門の創建といわれていま
すが、現在の塔は600年前に建てられたもの。厳かな
佇まいをみせていました。この後、参道を出羽三山神社
へ歩くのは大変なので、車で行くことにしました。


出羽三山神社へきました。神社ですが鐘楼がありました。


こちらが三神合祭殿ですが、現在修復中で、よく見ることは
できませんでした。


三神合祭殿の前の鏡池。雪が池の中にはみ出てました。


三神合祭殿を過ぎていった所の蜂子神社。出羽三山の
開祖と伝えられる蜂子皇子を祀った社ですね。


こちらは隣り合わせで並んでいた厳島神社。


柱には大きな龍が巻き付いていました。


その傍の参道。五重塔からの道を歩いてくると、ここへ辿り
着くことになります。

この日も、いっぱいサクラを見たり、いろんな場所へ行った
りと、盛りだくさんでした。おまけに、雨が降ったり、陽に照ら
されたりもしました。
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米沢~山形

2016-04-24 10:11:55 | ブラ歩き情報
2016年4月16日、山形県米沢市、天童市、山形市に
行き、今が盛りのサクラや歴史遺産などをみて歩きました。


最初に訪れたのは、市のほぼ中央に位置する松が岬公園
(米沢城址)。上杉城史苑に車を置き、歩き始めるとこの
松岬神社がありました。上杉鷹山を祀った神社です。


松岬神社を過ぎて行った所が、上杉謙信を祀る上杉神社。
丁度サクラの見頃を迎え、たくさんの人が訪れていました。


サクラ、きれいですね!!


境内を進むと上杉鷹山の銅像が。傍らには、「成せば成る、
成さねば成らぬ何事も、成らぬは人のなさぬなりけり」の
碑が添えてありました。


上杉神社社殿です。


社殿の右側へ回り込んだ所に宝物殿である稽照殿があり
ました。


稽照殿の裏から城の外郭を回るように歩きました。これは
稽照殿の反対側、上杉神社左手の光景です。地元の人が
撮影スポットだと教えてくれたので、撮ってきました。


これは、先ほどの写真を撮った位置から道を渡った先の
上杉伯爵邸(米沢市上杉記念館)の庭。


伯爵邸を出て上杉城史苑の方へ歩いた所にあった置賜の家。
この地では、成年前にこの家で過ごす風習があったみたい
です。後に見えているのは、上杉博物館。


次に、上杉神社から少し離れた国指定史跡の上杉家廟所
に行きました。


歴代の当主(藩主)が眠っていました。この右側にも同様に
して並んでいました。


丁度真ん中の少し奥まった所が上杉謙信の廟でした。


こちらは、その手前左一番目の二代上杉景勝の廟。


上杉家廟所の真ん前にあった法音寺。上杉家の菩提寺で、
古い塔や景勝に殉死した家来の墓などがありました。


また少し離れた所の旧米沢高等工業学校本館を見に行き
ました。明治43年に建てられ、国の重文に指定され、現
山形大学工学部内にあります。群大の同窓記念館に似て
いますが、建築様式はルネサンス様式だそうです。因みに
群大はチューダー様式です。


真正面から撮りました。趣がありますねー!!


中に自由に入れて見学できました。これは階段方式の
教室。この他にも、いろいろな資料室に応用された教室
などがありました。


こちらは、山形大学工学部に隣接した林泉寺。直江兼続
夫妻の墓などがあるお寺です。


またちょっと松が岬公園へ戻る方向に行き、この造り酒屋
東光の酒蔵を見てから、米沢を後にし天童へ向かいました。


天童市の、山寺こと立石寺の根本中堂へ来ました。重文
です。


お堂の入り口真ん中に、大きな木彫りの招福布袋尊が
鎮座していました。


根本中堂の左に、芭蕉句碑がありました。「閑さや 巌に
しみ入 蝉の聲」ですね。奥に見えるのは清和天皇御宝塔
です。


さらに左へ行った所にあった亀石。お金に名前を書いて
石の上に置くと願いが叶うみたいです。


こちらは芭蕉像。右近くに曾良の像もありました。


さらに左へ進み、山門を潜って奥宮へ向かいました。
ジグザクの急階段が続きます。そそり立つ岩壁もすごい
ですね。


せみ塚です。さきほどの句を短冊にしたためこの地に埋め、
石垣を建てたものです。


大分上にあがった所にあった最上義光の御霊屋です。


800段位を上って、奥の院に着きました。


奥の院下横に重文の三重塔があるとの表示を見て、向かっ
たのですがそれらしきものが見当たりません。よく見ると、
この岩の中に納められている小三重塔がそれみたいでした。


さらに、横道を開山堂へ向かいました。その途中の風景。
絶壁にお堂が幾つも見えました。手前の大きな建屋は
性相院。


開山堂です。右の石段を上ると五大堂。左の岩の上には
小さな納経堂が立っていました。


五大堂から眺めた下の光景。


登ってきた道へ戻り、下りの途中で通った仁王門。


道脇にスミレがきれいに咲いていました。


奥の院への入り口の山門を出て、本坊の方へ歩いていくと
門があり、そこを潜ってから振り向いて撮りました。抜苦門
という名が後で分かりました。両側にサクラが咲いていて、
突き当たった左が奥の院への山門になります。


こちらが、立石寺本坊です。


立石寺の天童市から山形市へ向かい、サクラまつり開催
中の霞城(かじょう)公園(山形城址)へ着きました。花見
の人、とくに若い人たちで賑わっていました。


東大手門前の広場へきました。櫓の中も見学することが
できました。


広場にあった最上義光像です。


大手門の先、高麗門を出てすぐの所から北の方向を撮り
ました。サクラが堀の水面まで伸びていました。


これは土塁の上に残る置き石。この石の上に塀を立てた
みたいです。大手門から左の方へずうっと延びていました。


山形市郷土館(旧済生館本館)。大手門から南にきた角地
にありました。明治期に県立病院として建てられたもの
みたいです。


その郷土館左斜め前辺りの本丸一文字門です。


空堀がくっきりとしていて、よく分かりました。


本丸内へ入ると、古井戸の跡がありました。


本丸の石垣です。

この日、欲張っていっぱい見て回ってしまいました。各地で
サクラもいっぱい。十分満足いくものでした。
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佐野三床山

2016-04-01 14:07:53 | 山歩き情報
2016年3月29日、佐野市戸奈良町の三床山へ行ってきま
した。鹿嶋神社駐車場から三床山へ登り、二床山へ向かう
途中から折れて小三床山、烏ケ岳、つつじ山、桜山と回って
一床山へ行き、二床山から高松へ下って、元へ戻ってきま
した。全行程4.5hでした。


鹿嶋神社前の登山口です。標識の右へ行くと三床山ルート、
真直ぐ行くと一床山ルートになります。三床山ルートをとり
ました。それにしても、鹿嶋神社の前の畑だった所は一面
ソーラパネルで埋め尽くされていました。いつの間にできた
のでしょう?


鹿嶋神社です。鳥居の柱には弘化五年(1848)の文字が
刻まれていました。


神社横の道を歩いて行くのですが、そこから見えた社殿の
本殿です。


道にはネコノメソウがいっぱい咲いていました。


最初の分岐で、真直ぐ進んで左へ回る道が三床山尾根
コース、手前左へ折れるのが同沢コース。今回は沢コース
にしました。奥の木の幹には「熊注意」の張り紙が…


沢沿いの林道をしばらく歩いて行くとやがて分岐が出て
きて右へ。ここから本格的な山登りになりました。


道がだんだん急になってきた辺りでスミレが咲いていま
した。タチツボスミレですね。


こちらは、ジュウニヒトエの赤ちゃんみたいでした。


これは、ヤブレガサでしょうか。


崩れ易い足元に注意していた目を、ひょいと脇に向けたら、
ミヤマウグイスカグラの枝が伸びていました。


滑りやすいザレ場状の急斜面を上り切って、やっと尾根道
に出ました。右が三床山頂上へ、左が二床山への道になり
ます。


三床山頂上へ着きました。


木の切れ間から田沼方面がよく見えました。


驚いたことに、アカヤシオが咲いていました。早いですね!!
思ってもいなかったので、得したような気持ちになりました。


三床山から二床山へ向かう尾根道では、こんな岩場が
出てきました。赤い矢印に従って、左へ巻いて進みました。


出流町方面ですか、尾根道を歩いていて視界が開けた所
から見えた景色です。


二床山への途中で出てきた分岐。こちらを右に曲がって
桜山を回って行くことにしました。三床山頂上で出会った
方から、こちらの方が花が咲いている、と聞いたことから
の予定変更でした。


コースを曲がってすぐの小三床山の頂上。分岐の表示では
所要時間5分と書いてありましたが、そんなにもかかって
いない気がしました。ここを左へ折れて烏ケ岳へ。


烏ケ岳です。


その頂上へ着きました。つつじ山へ右に向かいました。


アカヤシオ。道のすぐ傍で咲いていたのでズームアップ!!
しました。


こちらはミツバツツジ。これも早いですね!!


またまたアカヤシオ、きれいですね!!ここまでいくつも
咲いていましたよ。


つつじ山頂上です。


ヤマザクラ。桜山が近くになってきた証拠でしょうか。


ヤマツツジ。当日は、この他にもたくさん目にしました。


桜山頂上に着きました。ひっそりした感じです。ここから
祠の前の道を通って、一床山へ回ります。


桜山頂上から下りてきて見えた景色。飛駒方面でしょうか。


どんどん下りて行くと、きれいに咲いたミツバツツジに
出会いました。


沢沿いの林道まで下りてきました。ここを右に行きました。


周辺にカタクリの葉がたくさん見えたので、花を探した
のですがありませんでした。唯一、沢の水辺に咲いて
いたのを発見、傍まで下りて撮りました。


林道を下ってきて分岐に。ここを左に折れ、一床山へ
上りました。手前の筒みたいのは何なんでしょうね?


分岐を曲がって山道に入ると、たくさんカタクリが
咲いていました。


ずうっと上って行って、左手に見えた桜山(左)から
つつじ山(右)の稜線。


一床山頂上に着きました。左後に桜山が見えています。


90度右に回って二床山を撮りました。


さらに右へずれて田沼方面。


これは二床山から派生する高松。この後、ここへ下りて
行く予定です。


一床山を下りて二床山へはすぐです。頂上は狭く、ぼやっ
としていると気づかずに通り過ぎてしまうかも?


二床山すぐ下に高松への分岐があります。


分岐で折れて下って行くと三床山が見えてきました。左へ
伸びる稜線が二床山への道筋です。


高松への上り斜面で振り返り、二床山(右)から一床山の
稜線を撮りました。


高松です。ここからさらに鹿嶋神社へ下りて行きます。


山道を下り切った辺りで咲いていたスミレ。当日見たスミレ
の中で、これが一番!!


出口に着きました。右は一床山への道、左が鹿嶋神社
です。この辺りにもソーラパネルがいっぱいでした。

三床山、こんなにも花に恵まれている山とは思っていません
でした。歩く道も、いろんなコースをとることができ、また、
岩場ありと変化もあって、たいへん面白い山とつくづく感じ
ました。


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