園生活最後の運動会を迎える年長さんたちが
先生たちと 『クラス対抗リレー』 の最後の練習をしています
「できうる限りの準備をしてから
子どもたちを本番のグランドに送り出そう。」
今日の 『バトンの受け渡し』 の練習を少し遠くから見ていて
そんな気持ちが伝わってくるようでした。
そして
もしかするとそんな先生たちの真剣な気持ちを感じとっているのか
普段賑やかな子どもたちが
グッと集中して 先生たちの話を聞いています。
そんな姿を見ていて、
「よくぞ年長まで育ってきた」 と
ただただ誇らしく思います。
ほんの少しだけ時間をさかのぼってみます。
9月下旬のある日のこと。
年長さんが
「次の動きを示す先生からの言葉」 と 「太鼓の合図」 を頼りに
組体操の練習をグランドで繰り返していました。
立ち位置も 合図も 動きも
どれもこれも 一つひとつ覚えてきたからできることです。
この日 形が徐々に出来上がりつつある子どもたちの様子を見ていて
教室やホール、プレイコートで
何日も何日もかけて今日の姿の土台を作ってきたんだなぁ と
その 『努力の過程』 に感心させられました。
鼓隊全体を華やかに彩るカラーの動作も
鍵盤ハーモニカを奏する持ち手の角度も
今日の姿になるまでには
それ相応の努力の過程があったからだと
子どもたちの真剣なまなざしを
誇らしく思いました。
今日は10月3日。
運動会を2日後に控えた今日の子どもたちの様子を見ていると、
9月下旬から更に仕上がりが良くなってきている様子を見ていると、
基礎となる土台をしっかり作りあげていることで
まだ幼い子どもでも 最後にこんなに伸びるものかと
誇らしく思いました。
親心としては
練習の成果が本番で100%出てくれることを願ってしまいますが(笑)、
一方で こんなことも思います。
当日できてもできなくても、
本番で1等でもそうでなくても、
『先生たちは今日までの君たちの頑張りをちゃんと見てきたよ。』 と
伝えて(みとめて)あげたいです。
無事に運動会を終えたら
「今日までよく頑張ってきたね」 と伝えてあげたい。
しばらく先の未来では
学業やスポーツ、芸術など
結果が重要になる局面が確かにあります。
その時に
「そのことが好きかどうか」 「そのことが楽しいかどうか」 にかかわらず、
何かの形で結果を出せるかどうかは、
努力する価値を知っている子が
本当に努力するかどうかにかかってくると思うのです。
そう思うと、
そういった時を迎える前の この幼少期に
我々が彼らに伝えるべきは
運動会で嬉しい結果を共感することは勿論、
願った結果でなくても
「頑張ってきた毎日」 を振り返って褒めてあげることだと思うのです。
それが運動会の練習・本番期間における
我々大人の最後の仕事のように思います。
全ての行事に
成長の種まきがあるように思います。
さぁ 子どもたちの準備が整いつつあります。
あとはお天気...