さて、佐渡先生の解説も宴もたけなわなわけだが、
ここで佐渡先生は、「ここまでで何か質問のある人いる?」と、言った。
そんな勇気のある奴は、おるまいと思っていたところ、
端っこの方に座っていた、フジイ君が手を上げた。
あいつは、いつもモジモジしてるくせに、
「この答案のページ数じゃ、ぼくの情熱を表現できません」等の傲慢な発言を平気でする、
ある意味では、度胸のある奴なのだ。
「あのー・・・・・・。先生さきほど
『自由ないし権利は憲法上保障されている,
しかしそれも絶対無制限のものではなく,公共の福祉による制限がある,
そこで問題はその制約の違憲審査基準だ。』的なステレオタイプがだめだと
おっしゃいましたが、じゃあ、
『自由ないし権利は絶対無制限だから
違憲審査基準なんかどうでもよく、この規制は違憲だ』って書けば
いいんですか?」
・・・。フジイ、それは違う。
多分、佐渡先生が怒っているのは、
本当に『』内の表現を、本当にそのまま書いて、
権利の保障根拠も、保護範囲(保障内容)も、制約の認定も
何もしないで違憲審査基準の設定をはじめる答案なんだよ。
電撃戦答案というのは、
違憲審査基準の設定までは結構がんばっていい感じにくるのに
あてはめが三行で終わる答案である。
これに対し、佐渡先生がステレオタイプ答案と呼ぶのは
何の準備もなしに(『』内の1行で)、いきなり違憲審査基準に入る
出会いがしらの一撃答案なのだ。
佐渡先生は、フジイをにらみつけると、
「アナタ、脳みそあるの?」と一言だけ言った。
ツツミ先生は、「おい!憲法では、質問受け付けといて、
無視してもいいのか?」と言った。もちろん、ダメだ。憲法とか民法以前に人として。
うーん、例によって、ああいう言い方では、
もはや違憲審査基準も三段階審査をやめて、利益考量論一本でやれと言っているようなもんだ。
これは、芦部先生と小山先生に対する営業妨害・・・いや、
ほとんど全憲法基本書・演習書に対する営業妨害だろう。
さて、いいかげん疲れてきたので、隣の部屋に目をやると
刑事訴訟法のタケオカ准教授も中間試験の講評をしていた。
いま、「検察官の主張」と書くべき所で、「原告の主張」と書き間違えて
おちこんでいる院生の机のところまでゆき
「おいおい!書き間違えがなんだよ!大事なのはハートだろ!!
お前のハートがこもっていれば、検察官も原告なんだよ。
いや、ハートがあれば、原告だってビッグバンになるんだよ!!!
答案は、お前の宇宙創造だ!」とわけのわからない励ましをしている。
私も、著書で誤植が見つかったとき、タケオカ先生にそう励まされた。
意味が分からない上に、原告と書くべきところでビッグバンと書いたらさすがに不可だ。
しかし、なんとなく元気がでたので、私とツツミ先生は、佐渡先生の402教室
に目を戻した。
佐渡先生は、被告の反論についてコメントしている。
「アナタたち、被告の反論を表現する能力もさっぱりね。
判で押したように,独立の項目として「反論」を羅列して。
理論的な関連性が不明な項目の羅列。ほら、アカバネ立ちなさい。」
アカバネ君が立った。
「いい。「あなた自身の見解」の中で,自らの議論を展開するに当たって,
当然予想される被告側からの反論を想定しなきゃダメなの。
アナタみたいに、ばらばらな書き方をすると,非論理的になるの。
いや、違うわね。アナタがもともと非論理的だから、ああいう書き方になるのね。」
アカバネ君は、立ったまま当惑している。
佐渡先生は、続けた。
「アナタの答案、理論ってものがないわね。
ヘドロのたまった池で泳ぐミドリムシの夢みたいな答案だわ。
ほら、この反省文用紙に、『私はミドリムシでした』って
100回書きなさい。」
・・・そんなことやるくらいなら、優秀答案を模写させろ。
こう思っていると、ツツミ君は聞いてきた。
「なあ、こういう問題だと、設問2は、
<被告からは、こういう批判が想定される。→両者の主張に対し私は・・・>
って書くもんじゃないのか?」
「えーとだな、もちろんそれでもいいんだが、
原告の主張っていうのは、
①権利の保障根拠示して、②保障内容画定して、③制約認定して
④保障の程度と制約程度から違憲審査基準か、⑤統制密度設定して、
それで事案にあてはめて、っていう作業を全部やらなきゃいけないだろ。
でも被告の反論って、
いちいち表現の自由の保障根拠とかまで反論する必要はなかったりして
原告の言うことの一部でも、筋の通った反論を示せればいいわけだよ。
例えば、今回の問題で被告の独立の項目をつくると、
保護範囲論と目的審査のとこしか書かれなかったりする。
それに続けて、自身の見解は、まあ、原告とおんなじように
①から⑤全部書くよね。
だから、自身の見解で①から⑤を論じて言って、
被告の反論がありそうなところに、原告の主張に対しては
こういう反論があり得る、って挿入した方が
読みやすいってことなんだろう。」
「でも、佐渡先生の言い方だと、むしろ、『自身の見解』に対する
被告の反論を書けっていっているみたいだけど。」
「それは違うだろうなあ。だって、請求棄却の論証する場合って、
被告から反論こないだろ。
多分、あそこで言いたかったのは
『「あなた自身の見解」の中で,自らの議論を展開するに当たって,
当然予想される「設問1で答えた原告の主張に対する」
被告側からの反論を想定しなきゃダメ』ってことだろうな。
もちろん、請求を認容する場合には、自身の見解に対しても
被告、というより反対説からの批判があり得るから、
それに一言できていれば、より深みはますだろうけど。」
というわけで、佐渡先生の講評は、いよいよ法令違憲・処分違憲である。
・・・・・・・・・・・・・・・
今回の連載ですが、ちょっと説明させていただきます。
もともと、採点実感とは何の関係もなく、
ドSの佐渡教授が授業やってる状況というのが
面白そうだなあ、と構想をあたためていたところでした。
そして、採点実感を読んでみたところ、
誤解招くのも多いなあ、と思い、
佐渡先生のキャラクターをあてはめて、滑稽に解説してみようと思ったわけです。
ここに「採点実感は受験生に対するアカハラである」というメッセージを
こめようという意図は全くなく、
「これアカハラだろ」、というのは、
単純に「佐渡先生」へのつっこみにすぎませんでした。
ところが、読者の方から、
採点実感を書かれた試験委員に対するアカハラの指摘もあるのですか?
というご質問を受けまして、確かに、そう読める、と反省した次第です。
また、今回の記事は、思いの外、多くの方に読んでいただいているようで、
(昨日の閲覧数は普段の4倍でした)、
私の意図について、きちんとしたご説明が必要と思い、少し書かせて頂きます。
私は、採点実感には、批判があります。
採点実感の一部の記述は、観念的かつ抽象的にすぎ、
ここまで書いてきたような116答案・電撃戦答案・出会いがしら答案等がダメだ、
と言いたいはずなのに、
「違憲審査基準」「実質的関連性」「統制密度」などの言葉や発想を使うことが悪い
という印象を与える記述になっています。
当然のことながら、これらの用語・発想を使わずに、
法科大学院で憲法の講義をすること、憲法の基本書を書くことは不可能です。
もちろん、受験生の方は、採点実感を無視できませんから、
結果として、法科大学院の憲法講義や憲法基本書に疑念を持たざるを得ず、
他方で何に頼ってよいのか分からないという状況に置かれます。
数千枚の論述式試験答案に目を通すというのは苦しい作業だと思います。
しかし採点実感を書く際には、具体的に、
読み手の受験生の方に伝わるように書いてほしいですし、
実際、今回の採点実感の記述の中には、受験生の成長のために何が必要かを考え、
具体的にどういう答案を書いてはいけないのか、
実務家になるためにどういう能力を身につけてほしいのか、
を書いてくれているものも、多くあったように思います。
以上が、私の採点実感に対する批判です。
というわけで、批判はあるのですが、
採点実感をアカハラだと非難する意図はございませんので、
今回の連載のうち、アカハラ非難部分については
純粋に「佐渡先生」へのツッコミと思って読んでいただければと思います。
難しい問題・論点が多く、あまりてきぱきと書けないかもしれませんが、
しっかり完結させようと思いますので、暖かく見守って頂ければ幸いです。