KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

落ちこぼれでいるためのスキル

2008-05-13 18:49:14 | わたし自身のこと
先日、同じ研究室にる長期派遣研修生の小学校教員の方に、
「今の「いい子」って、公衆電話が使えないんですよ」
・・・という話を聞いた。

どういうことかというと、
どうやら、そっちゅう忘れ物をする「落ちこぼれ」な子どもたちは、
いつもテレホンカードか、名札の中に30円くらいの小銭を持っていて、
しょっちゅう、学校に設置された公衆電話で親などに連絡するため、
公衆電話は使い慣れたものなのだという。

で、ある日。
いつもきちーんと忘れ物もせず、宿題もやってくる「いい子」Aちゃんが忘れものをした。
担任の先生は、Aちゃんを公衆電話の前につれていって、公衆電話に10円を投入し、親御さんに連絡をとらせたのだという。

とりあえず、ここまでの段階で、Aちゃんは、公衆電話に10円を入れなければ電話が使えないことも、受話器をとってから10円を入れることも、ダイヤルの回し方もまったく知らず、ひとつひとつ担任の先生が「こうやってやるんだよ」と教えながらやってあげたのだという。

・・・そして、Aちゃん。どうやら親御さんに連絡がとれたらしく、先生も一安心。
ところが、である。

何十秒かたった頃、突然、Aちゃんがびっくりしたように受話器をガチャンと戻してしまった。

先生がAちゃんにどうしたのか、と尋ねると、
どうやらAちゃん、通話料10円分が終わりに近づいたときに鳴る「プーッ」という音に驚いて、受話器を切ってしまったのだという。
もちろん、親御さんに肝心の用件は伝わっていない。


その先生は、そのとき、公衆電話の教え方もちゃんと教えないとダメなんだなぁ、と実感したということだった。

確かに、公衆電話というのは、災害時における有力な連絡手段のひとつだし、
それを使えるようにしておく、というのは大切な教育内容に違いない。


それにしても、その先生が驚いたのは、それだけの複雑な内容であるはずの「公衆電話のかけかた」を、落ちこぼれたちはなーんにも教えずともやすやすとできていた、ということだった。
落ちこぼれたちだって、「初めて」公衆電話をかけるという機会はあったはずである。
そのときに、その担任の先生はなにもしなかった。
なにもせずとも、なんとなく、公衆電話をかけることができていたらしい。

だからこそ、それまで「公衆電話をかけられない子がいる」ということに、その先生は気づけなかったのだともいえる。


そう考えてみると、
「落ちこぼれ」でいることってけっこう大変なことなのかもしれない。

まあ、そりゃ次の日に必要なものとかぜーんぶ用意してくれて、
宿題の面倒なんかも見てくれちゃったりする親のもとで育つよりは、
なんにもしてくれない親のもとで育った子のほうが、やらなければいかないこと、学ばなければいけないことは多かろう。

何より、そういう「落ちこぼれ」の子どもたちが、「必要なことは自分で学ぶしかない」ということを学習しているのだとすれば、
それは何よりもの教育に違いないとすら思ったりする昨今である。


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