KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

らくがき万歳!:「有馬かおるのらくがき教室」

2008-02-16 16:31:25 | フィールド日誌
「まちの駅・みと」(水戸市南町三丁目)で開催していた、「有馬かおるのらくがき教室」に参加してきました。
【まちの駅×アート】プロジェクト

有馬かおるさんの「有馬」を「有間」と書き間違えて凹むこと複数回。
それでも、有馬さんの作品も、有馬さんがやろうとしていることも、
有馬さん自身も大好きなわたし。
有馬さんが教えてくれる「らくがき」なんて、こりゃ行くっきゃない!・・・とばかりにおしのびで水戸へGO!

「らくがき教室」でやる内容は、
有馬さんが描いた絵を見ながら、ダラダラと自分が扇子に描きたい絵を紙に書いてから、それを扇子に写す・・・と、至ってシンプル。

それまでに有馬さんが書いた絵の中で自分が好きなものがない場合は、
「カエルがいいんスけど・・・」と言えば、
(なぜか)その場で有馬さんが書いてくれる。
・・・で、それを真似して書いてみる。


至ってシンプル。


そんなわけで、できた扇子がコレ。
カエルの乗っている葉っぱがいろいろ間違ってる、これは蓮だから蓮、
・・・と有馬さんに指摘されましたが、
ソンナノ キニシナーイ。


これまでアート系のワークショップはいろいろ参加してきたつもりですが、
「らくがき教室」は、すごく、よかった。
アート系のワークショップってどうしても、
「みんな違ってみんないい」というところに落としどころを求めがちだけど、そうじゃないのが良かった。
有馬さんは、「これじゃ竹に見えん」とか「ハンコの位置はここがいい」とか、いろいろアドバイスしてくれるし、
「らくがき教室」に参加している人たちも、「これ灯台じゃなくて花火に見えるよー」とかいろいろ言ってくれる。

明らかに、「こっちのほうがいい」という方向性はあるんだけど、
それが単なる技術伝達とか、そうならなくて、
誰もが自分なりの基準で「こっちのほうがいい」と言える、そんな感覚の空間。


それはきっと、「らくがき」の本質が、
「誰かにその意味が通じる」という、そこだけに求められるからなのかもしれない。

その場にいる人に「カエル」に見えればそれは「カエル」だし、
「カエル」に見えなければ、それは「カエル」ではない。
誰もが、そのことについていろいろ言ったり、「こうしたほうがいい」と言うことはできるわけで、
有馬さんは、たまたま、「こうしたほうがいい」というそのレパートリーをたくさん持っているというそれだけに過ぎない。
それがすごく、いいなぁ、と思った。


そんなことを思っていたら、とても象徴的な出来事があった。

有馬さんが、参加者に求められて何枚もカエルのイラストを描いていたところ、
通りすがりのおじちゃんが、そのカエルの絵を一枚とりあげて、
「これ、あなたが書いたの?」
と、わたしを見た。
その場にいた参加者たちは爆笑。
有馬さんは「自分が書いたって言いたくない・・・(笑)」とちょっと下を向いて、笑っている。


いや、でも、本当に「らくがき」ってそんなものだし、
それだから、いいんだよね。
・・・と一人の「らくがき」好きとして思う。


「らくがき」はひとつのゆるやかであたたかな公共圏を作るよ。
らくがき万歳!!


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