KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

知恵と魔法でできています

2006-08-30 14:08:07 | わたし自身のこと
友人がネット上で「人名解析ソフト」を見付けた。
そして、そのソフトでわたしの本名を解析した結果を送ってきてくれた。
その結果が以下のとおり。

kimsitevaの93%は知恵で出来ています。
kimistevaの7%は魔法で出来ています。

「天才は1%の才能と99%の努力からできている」といったのは誰だっけ?
わたしは93%の知恵と7%の魔法からできているらしい。
……似たようなものだ。

どうでもいいけど、どうしようもないくらい、RPGっぽい。
ドラクエで言えば「賢者」だな。

祝!!全国誌掲載

2006-08-29 17:16:44 | 研究
今日はとてもめでたいことがあった。

ついについに、わたしの論文が掲載された日本D学会の学会誌が届いたのだ!
これで卒業要件は揃った。
あとは博士論文を書くだけだー!

………それにしても長かった。
このインタビューしたのって何年前だっけ?

一番うれしいと思えるのは、当時インタビューした二人と、いまだに会うことができているという事実。
………というか三日前くらいに会って、直接、彼女らに報告しました。

何年たっても、ふつうに話ができるなんて、ステキ。
わたしにとって、変わらない人間関係はなによりもの財産だ。

去りゆくものがある一方で、変わらないものがあるからこそ、
わたしはわたしでいられる。
変わらないものに固執してはいけないけれど、
やはり何かかわらないものを見て、人は安心することができるのだと思う。

移ろいゆく美しさも、
不変の美も、どちらもかけがえのない価値を持っているとわたしは思う。

少なくとも今は、ずっと変わらないことに、とてつもなく大きな安心感を覚える。
変わらないでいてくれた、あなたたちに、果てしなく感謝。

演劇部合宿終了いたしました!:「ピア・グループ」再考

2006-08-28 14:57:27 | 趣味
ついに今年の演劇部合宿終了です。

実はわたし、合宿に行く直前まで博士論文の第四章を書いていたのですが、
そこに以下のようなことを書いていたんです。

学習環境としての「ピア・グループ」(peer group;仲間集団・同類集団)とは客観的指標ではかれるようなデザインではなく、相互行為や人間関係といった、主観的要因に大きく依存するデザインである。

だからこそ、「ピア・グループ」の参加者の語りを研究する必要があるのだ…と。
(※「ピア・グループ」というのはわたしの研究の鍵概念です)


今回、演劇部合宿を終えてみて、この発想が演劇部合宿から来ているということを実感しました。

われらが演劇部は、「来るもの拒まず、去るもの追わず」が暗黙の原則。
今回、メーリングリストが設置されたせいで、これまでまったく顔を出さなかったOBがきたり、世代的に雑多な集団がきたりしました。
これは、これまでの合宿とは傾向が違います。

これまでは、口コミだけでメンバーを集めていたので、現役に直接連絡がとれる少数の人たちとその仲間たちで合宿を行っていたのです。だから、世代的にそれほどばらつくことはなかった。

だけど今回は違いました。
世代もばらばら。会ったことがないばかりか、年齢不詳な人たちが一同に介して、誰がどんな関係者なのかよくわからない状態。

ただわかっているのは、みんな「O高校演劇部」とい集団あるいは場所になんらかの関心を持っていて、そこで何かがしたい、集まりたいと思っているということ。それだけです。

そのことを評して、とあるOBが「あなたもわたしも演劇部」と発言しました。
…名言だと思います。

個人の属性(出身やら)によって参加資格が判断されるのではなく、その場に参加していることそのものが参加資格になる。
そんな空間が形成されているようです。

…そんなことを思ったのは、今回が初めてでしたけど。
これまでは世代的な塊があったので、メンバーが相互にお互いの参加資格を暗黙の前提にしているところがありました。
今回、世代的にバラバラな人が集まったせいで、そういうことがわかった。これは大きな発見でした。

その場に参加することそのものが参加資格である、ということは、
誰にも参加のチャンスを与えるという肯定的な側面もありますが、
その分、自分が参加しているということを維持しなければならないという大変さもあります。
そして、自分の参加表明、「自分がこの集団の参加者である」ことをするために、参加者が自分ができる小さな仕事をそれぞれができる範囲で行っていく。
この小さな仕事が集団を維持していくようです。

このような集団は、常にメンバー全員に、「わたしなんて、いなくてもいい」という不安感を持たせるようです。
合宿中、何回かそんなような言葉を耳にしました。
個人の属性によって参加資格が判断されるわけではない。
逆に言えば、なにものもその人の参加の正当性を保証してくれるわけではない。
ただ、自らその場に身を投じて、自分の場所を確保していくことでしか、自分の参加資格を表明することはできないわけです。

自分自身の行動によって、自分のネットワークを形成していくこと。
そのことがすべてなのです。そんなある意味シビアな世界。
それこそが、「ピア・グループ」なのかもしれません。

誰かわたしを「タスケロン」:ドラえもん

2006-08-23 20:02:58 | エンターテイメント
久々にこの前、アニメ『ドラえもん』を見たら、「タスケロン」という道具が出ていた。

この「タスケロン」という薬。
飲むと、(本人の遺志には関わらず)困っている人を助けざるを得なくなってしまうという恐ろしい薬。

のびたくんは、ジャイアンとすねおにこの「タスケロン」を飲ませようとして、逆に飲ませられてしまう。…さぁ大変!

…というお話だった。

何がいいたいかというと、このお話、結局はハッピーエンドで終わる(しずかちゃんが「のびたさんんってエライのね。わたしがのびたさんの宿題をてつだってあげるわ♪」…とか言ってめでたしめでたし)のだが…。

のびたが「助けたくないのにー」といいながら、困っている人と出会ってしまい、できるだけ目をあわせないように、声をかけられないようにする様があまりにリアル。見ると助けたくなっちゃうからね♪


これは、すごくよくわかる。
見えてしまった自分に「ばかばかー!」と叫びたくなること、過去数十回。

「タスケロン」なんて飲まなくてもなー。
自分の意思と無関係に困っている人を見ると助けざるを得なくなるような人間だっているんだぞー!
善意とかそういうもの超えて、すでに強迫観念になってしまってる人間だっているんだぞー!

お願いです。
誰か、解毒剤を開発してください…。

今はきっと、そっちの方が実用的には大切だと思う。
強迫神経症の女性で、そういう人って、いそうだもんね。

必殺!嘘笑顔

2006-08-23 08:56:35 | わたし自身のこと
ついに日本D学会での発表を終えました。
どう評価されるか不安でしたが、おおむね、好評でした。
よかったよかった。

司会を担当していた担当教官T先生が、問答無用にベルを押す様には愛情のかけらも感じられませんでしたけど。
…まぁ、そんなことは、瑣末なことです。きっと。

それはともかく、
学会あとの2次会で言われたこと。
「メガネつけると目が鋭くなるよね。」

…そして、衝撃発言!

「あの笑顔がすごい。「そんなくだらねー質問してんじゃねーよ!」って笑顔がすごい!」

ががががーん!

そうなのか?こんなに毎日を謙虚に生きているわたしが、そんな傲慢な発表姿を見せていたとは…恐ろしい限りです。

でも考えてみると、確かに、わたしって、質疑応答のときに質問に答えたあと大体、終わりのところで「ニコッ」って笑うんですよね。

まぁ、一番多いパターンは、
「…いかがでしょうか?(ニコッ)」

これについて、「忍法くだらない質問封じ」と呼ばれたこともありました。

別に質問を封じたりしようなんて、思ってないのになぁ。
そんなに傲慢に見られているのかしら。ドキドキ。

そういえば、研究室のY氏に、
「Yくんがいるおかげで、いつも仕事が助かるよー。ありがとう(ニコッ)」と言ったときに、
「…もう…そのkimistevaさんの、その嘘笑顔が、ホントに、なんだかね。」
と苦笑されたことがありました。

人をほめると、すべてアイロニーにとられてしまうという、この運命。
ふだん、口が悪いと、こういうときに苦労します。
狼少年のようなものですかね。

ああっっ!それでも、いとおしい!わたしの毒舌っっ!

「何かの技術で食っていく」

2006-08-20 16:20:14 | わたし自身のこと
ついに明日は、日本D学会大会である。
昨年から会員数も発表者数も激減し、今年は実にこじんまりとした感じになるようだ。

それでも、日本D学会はわたしが直球勝負を挑んでいる学会なので、手は抜けない。
本来ならば、国語教育を先行する院生は、わたしが入っているもう一つの学会である、全国大学国語教育学会に全力投球なのだが…、
わたしの場合、「いかに国語っぽくするか」にほとんどのエネルギーを費やしてしまい、研究内容的にはそこまで直球で挑めないというのが本音である。

その点、日本D学会はほとんど制約がないので、毎回毎回、好きなように好きなことを全力投球でやっている。
これで、人がもっともっと入ってくれば、すごくエキサイティングな学会になるはずなのにな…、と毎回思う。

それはともかく、発表のためにあらためて発表資料を作成していて、思ったことがある。
それは…
「わたしのフィールド・ノートはなんと素晴らしいんだ!」
…ということだ。

なんといっても内容が細かい!
それがフィールドワーカーに必要な技術なのだから、と言われてしまえばそれまでだが、よくもまぁ、当時のわたしは水戸に通い、帰ってきて疲れているのに、あれだけの文章を書けたものだと思う。

過去の自分!すごい!

昨日、父親に、
「何かの技術で食っていく…ってのは、それだけですごいことだ。」
…と言われたけれど、
わたしは間違いなく、フィールド・ワークの技術で「食っていく」ような気がする。

研究なんて、お金にならないけれど、そこで見つけたものを、
例えば、教育の場に還元したりすることはできるだろう。
自分に「何か」があれば、そこからすべてを始めることができる。
自分に何もなければ、自分の進むべき道すらわからない。

自分が持っている「何か」がある…ってこと。
それに気づけただけでも、すごいことなんじゃないか…って思う。

わたしは高校からずっとずっと、他の人にはない「何か」を持つ自分に憧れてきた。
その「何か」は、きっと、わたしの場合、文章を書くことだったり、フィールド・ワークをすることだったりするのだろうな…って、今なら思える。

それでいいや。
わたしは、これで一生生きていきたい。
文章を書いて、フィールドワークをして、人を育む現場にいながら、これからの生涯を過ごすんだ。

「恋して殺した」

2006-08-17 20:55:05 | ニュースと政治
ジョンベネちゃん殺害事件の犯人が、ついに特定されたみたいですね。

実に初めから最後まで、気持ちの悪い事件でした。
犯人もだけど…彼女の両親もね。

ニュースで、ジョンベネちゃんの美少女コンテスト(?)の映像が流れるたびに吐き気がしてきます。
あの笑顔を見るたびに、居たたまれない気持ちになります。
「医者か、看護婦になりたいの。」と彼女が微笑むたびに絶望的な気持ちになります。

セクシーなドレスを着てカメラ目線で微笑むジョンベネちゃんと、
北朝鮮のニュース番組で、笑顔で微笑みながら楽器を演奏したり、踊りを踊ったりするあの子たちと、
いったいどこが、どう違うっていうのでしょうか?

彼女たちを統治する主体が違うだけでしょ?

アメリカではファミリー。
北朝鮮は「将軍様」。

誰の幻想(妄想)の中にいるかが違うだけ。
幻想(妄想)の中で殺されている点では一緒でしょ。

…そんなことを思っていたら
某ニュース番組の、この事件を紹介するためのテロップで、

「恋して殺した」

と出てきて、わたしは息をのみました。
パッと見た第一印象で、わたしは、「間違いなくこれは両親のことだ!」と思った。
…もちろん違ったけど。

ジョンベネちゃんの両親は、殺害の疑いをかけられたときに、
「わたしは殺してない。わたしは彼女のことを愛している。」
と言っていましたよね。
今回、容疑者が捕まったときの容疑者の台詞もほとんど同じだった。
「わたしは殺してない。彼女が死んだのは事故だ。わたしは彼女のことを愛している。」

この共通性は、あまりにも重大な事実を指摘していて、あまりにも不気味。

誰もが「わたしは愛している」と口にする。
そして、誰もが、愛という名のもとに、彼女を殺している。

「恋して殺した」
この事件は、初めから最後まで、これに尽きていたのだろうと思います。

わたしは、最後まで誰かの幻想(妄想)の中で生きるしかなかった彼女を思うたびに、あの有名な思想書のタイトルを思い出すよ。

『サバルタンは語ることができるか』。

「アキハバラ@DEEP」映画化

2006-08-16 17:47:17 | 趣味
ついに恐れていた事態が実現してしまいました。
石田衣良『アキハバラ@DEEP』映画化。

いつか来る、いつか来るとは思っていたんです。
この「アキハバラ」ブーム。「Aボーイ」ブーム。
そして、石田衣良の作品なら、なんでも映画化・ドラマ化してしまえ…というこの風潮。

そんな中、『アキハバラ@DEEP』が今まで映画化されてこなかったのは、奇跡的な事態であるともいえます。
だから、しかたない。
しかたない…のですが、この作品に、ものすごく思いいれがあるわたしとしては(ブログのタイトルをみれば一目瞭然ですが)、やはり、悲しみを隠せないのです。

しかも、監督のコメントを見て、さらに悲しみが深まりました。
どうやら、この監督。この作品を「青春映画」として撮影するらしい。
今まで日の光があたらなかった人びとの「青春」。

そうですよ。間違いないですよ。
国語のテストだったら、90点以上はいける正確な読み方してると思います。

だけど、そうやって、アキハバラをめぐる人たちを漂白してしまうことにどんな意味があるんですか?
キレイにコーティングされた、アキハバラ物語をこれ以上、増やさないでほしい。
現実にいる人たちのこと、少しでも見てほしい。
これ以上、表象の渦の中でオタクたちを振り回さないでほしい。

小説『アキハバラ@DEEP』をわたしが好きな理由は、文章の隙間にふっと表れる汚さでした。
物語だけ見ると、(さすがは石田衣良さんというべきか)、あたかもアキハバラ・ゴレンジャーのような、快活なエンターテイメント作品なのですが、文章の端々にある冷淡な視線がなによりも、この作品を面白いものにしている重大な要素だと思うのです。

大会社の社長に金で買われ、睡眠も排泄もすべて見通すことのできるガラスの部屋の中でスクール水着を着る少女。
自らレイプ事件にかかわりながら、そのレイプ現場にいたことで女性嫌悪になる男性。
吃音であるというそれだけの事実によっていじめられる男性。

そういう端々のエピソードからこぼれでる、どうしようもなく殺伐とした世界は、映画の中できちんと表象されるのだろうか。
…それは、すごく謎です。
たった2時間の作品でできること。それはきっと、どこか欠点を抱えるものたちが力をあわせて悪をやっつけるというゴレンジャー的なエンターテイメントでしょう?

物語を語るその肌理そのものに対して、あまりにも無自覚な人が多すぎる。
キレイに漂白された物語を、そんなに多くの人びとが求めているのでしょうか。

レースクイーン!着たい!着たい!!

2006-08-16 14:13:32 | エンターテイメント
とある方から、レースクイーンの衣装をもらってしまいました。
黒と赤のビニール製。
たしかに胸はあまるけど、細さはバッチリです!

着たい!着たい!着たい!!
みんなの前で着たい!!!

ああ。でもこれで学校行ったら、絶対T先生に怒られる。
ゴスロリチックな服着ていっただけで、
「なんだそれは!!」
…って立ち上がって注意するくらいの先生だからなぁ。

オタク研究会の飲み会とかだったら、許されるかなぁ…。
さすがにM先生も、研究会全体の逆セクハラ現象に嫌気がさすかしら。
それはイヤだなぁ。

どんどん、オタク研究会が、わたしのストレス発散の場になっていきます(汗)

Am I 猛禽類??

2006-08-15 16:16:51 | 趣味
一昨日、久々に仙人様に会いに行きましたよ。
そのときに、漫画を貸してもらいました。
月刊アフタヌーン連載中の『臨死!!江古田ちゃん』です。

もちろん、貸してもらったときは、中身なんて読んでないわけですが、
昨日、読んで、愕然としました。

以下、理由。

一昨日、会ったときに…、
「いやー。わたしって、八方美人って言われるんですよねー。すごい凹むー。」
…とか、なんとか愚痴っていたわたしですよ。

なんでですか?
なんで、「八方美人」とか言われるんですか?挙句の果てには「偽善者」とか言われるんですか?

そんなに、誰にもかれにも良い顔した覚えなんてないんですけどね。
本当ですよ。

…まぁ、そんなこんなで昨日読んでみました。『臨死!!江古田ちゃん』

その中に、「猛禽」と呼ばれる種族の女どもが出てまいります。

「ぶりっ子」の次世代進化バージョン。「猛禽」。

小林よしのりは、「「ちょうだいね」ぶりっ子」に対置して、「「守ってね」ぶりっ子」と呼んでいましたね。

そんな、誰に対しても愛らしく、文句も言わず、下ネタにも受容的。そんな「守ってね」オーラの中で誰からも愛される女ども。

…それが「猛禽」!!


結論。
…これって、嫌味ですか??仙人様。
だって、八方美人の話、してましたよね。あたしたち。

そんなわけで猛烈に凹みました。
わたしは猛禽類…なのかっ!??

でも、その割にはいろいろ擦れ過ぎてる気がする…。