KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

想像力の貧困

2008-05-21 18:18:10 | 研究
少女マンガ研究とか、やおい研究をネットで探していると、
卒論・修論レベル(嫌味ではなく、「卒論」や「修論」をそのままアップしたものが多いのよ)の研究にけっこうヒットします。

そういう研究って、だいたい、

1950年以降の少女マンガの歴史をふれて~の、
初めての少女マンガは、手塚治虫の「りぼんの騎士」ですね~の
1950年代半ばには少女マンガ雑誌誕生ですね~の、
1970年代は「少年愛ブーム」ですね~で、
「JUNE」誕生、やおい誕生にふれて~の、
1990年代からBL出ましたね~の、
最近は拡散傾向ですね~。
お わ り。

という部分が(だいたい同じような記述で)あるのは、なぜ?
しかたないといえばしかたないけど・・・、そういうものなのかな。
いやだって、少なくとも「JUNE」ってそんな(全部の研究がそっちに回るほど)、オンナノコが全員読んでるようなもんじゃないでしょ?
(言っておきますが、わたしは 読 ん で ま し た !!)

海外の人が見たら、
「OH!ニホンノジョセイハ ミンナ 10代で ゲイ・マンガに ふれるのですか!」
・・・って驚かないかなぁ・・・。

閑話休題。
そんな論文のなかのひとつ(どこかの大学の卒論)を読んでいたら、
「1950年代半ばには『りぼん』や『なかよし』など、低学年向け少女マンガが誕生した」(ちょっと文章変えてます)
という記述があって、ひとりの研究者としてショックを受けました。

・・・というのも、そのときわたしが延々とやっていた作業というのが、『花とゆめ』創刊号(1974年)に掲載された漫画を調べることだったからです。

なにが言いたいかというと、
きっとこの文章を書いた方は、きっと、『りぼん』や『なかよし』が「低学年向け」なのは、疑うこともできないくらい、「あたりまえ」のことだったんだろうなぁ、ということ。

『りぼん』は創刊1955年。『なかよし』は創刊1954年です。
戦争が終わって、まだ10年くらいしか経ってないんですよ。
わたしには、この時代のことが「想像できない」「なんにもわからない」と思う。
戦争から10年くらいたったとき、どのくらいの人たちがマンガ雑誌を買えたのかも、はっきり言ってわからない。


そんなわけで、
1974年の『花とゆめ』創刊を、わたしは「10代後半向けのマンガ雑誌が誕生した」と解釈したいけど(今の『花とゆめ』の位置づけはそんなかんじだから)、本当にそう言えるのかどうか、すっっっごく考えた。
どうやったら、どういう資料が手に入ったら、それが言えるのかも、一晩中考えた。


でも、そんなことを思いつきもしない人がいることを、わたしは初めて知った。


「想像力の貧困」というのは、「想像しようとしてもできない」ことではなく、
そもそも、「想像すべきである、ということすら思いつきもしない」ことなんじゃないかと思う。


それってすごく恐ろしいことではないかしら。
こういうことが起こるたびに、
星新一さんが、「本当に恐ろしいのは、「ワレワレハ チキュウヲ セイフクスル」と言ってくる宇宙人ではなくて、何の気なしにゴミを捨てていたら実はそれが地球に届いていてものすごく地球にとってものすごい有害物質だった・・・というような宇宙人だ」というようなことを言っていたのを思い出します。

有害物質を地球に捨てる宇宙人。
その宇宙人には、地球にそのゴミが有害であることも・・・いや、地球という星があって、そこに人間が住んでいることすら「想像できない」のではないでしょうか。
そんな「想像できない」宇宙人も、
「あたりまえ」を疑えない人間も大差ないという気がします。

「男と女がつきあうのなんて「あたりまえ」じゃん!」というその言葉が、多くの人たちを傷つけてきたように。

千葉マント

2008-05-21 11:08:48 | 研究室
この写真は、けして、還暦をお迎えになった方々の祝賀会の写真ではありません。
千葉大学の卒業式の風景です。


つい先日、千葉大学には、「千葉マント」という謎のマントがあるらしいという噂を聞きました。

どうやら、博士課程卒業者は、卒業式にそのマントを着せられ、
希望者はそれを買い取る(10万円以上するらしい)らしい・・・。
しかも、そのデザイン&制作は、なぜか、九州のとある地方の企業(?)で、卒業式にはなぜかマントのデザイナーまで壇上に出席するらしい・・・。

そんな、千葉大にとって欠かせない、
・・・というか、ほとんどシンボルマーク化している「千葉マント」とは!

と、思っていたら・・・・・・これ。


マントというより、「赤いちゃんちゃんこ」に見えるのはわたしだけ?
恐るべし千葉大。

相手のことを意識して「書く」

2008-05-19 21:30:46 | お仕事
「ウーマン Train in マン is ノー」

これ。
今日の授業中に出た謎解答です。
・・・あ。ご存じのとおり、わたしの授業は「論理的思考」であって、「英語」ではありませんよ。

わたしの授業では、今年から、「相手のことを意識して書く(話す)」トレーニングを意識的に取り入れています。
国語科の作文教育では、よく、「相手意識」というのが言われるのですが、
本当に「相手意識」を真剣にかんがえた実践や教材にはあまり出会ったことがありません。

なんか、結局、「相手意識」=敬語を正しく使える/日本語を正しく使える
・・・というところに収斂してしまうところが、ネックなんだと思います。


そんなことを考えているときに、『日本語を書くトレーニング』『日本語を話すトレーニング』(野田尚史・森口稔著。ひつじ書房)というテキストに出会って、今ではいろいろとこのテキストを重宝しています。

このシリーズのテキストでは、「問い合わせのメール」とか、「雑談をする」「お願いをする」とか、本当にふだんから使えるような場面の問題がたくさんのっていて、
さらに重要なことは、
このテキスト。「解答」がひとつものっていないんです。

そういう方針が、本当にもう大好きで、看護学校でなくて大学の基礎科目や市民講座だったら、絶対テキストに指定したいなぁと、思ってます。


よく考えたら、当たり前ですよね。
相手のことを考えはじめたら、いつまでたったって、「正解」なんてあるはずないんですから。
相手によって答えは違うし、状況によっても違う。
しかも、その言葉を使う当の人間がどういう人かによっても違ってきます。

だから、「相手のことを意識して書く(話す)」ことを学習するためには、
ある問題状況を与えて、それに対してどう思うか、その問題状況を解決するためにはどうしたらいいかを、いろいろな人たちが考えて、いろいろな人たちが自分なりの意見を言って、そのいろいろな意見を聞きながら、
「なるほどー。そういう考えを持つ人もいるのかー。」
・・・と、考えていくしかないわけです。

ものすごく、まだるっこしいけど、
あっさりした正解のある人間関係なんて、わたしはつまらないと思う。


人間関係は、果てしなくまだるっこしいし、めんどくさい。
そのまだるっこさに、ポジティブシンキングで付き合ってみましょうか!・・・というのが、わたしの授業(前半)のテーマになっています。

そんなわけで、タイトルの謎解答ですが、
これは、「日本語があまりわからない人」に向けて、女性専用車両のステッカーを作る・・・という課題についての解答でありました。

でも、英語がわからないなりに、なんとか伝えようとするその精神を考えれば、
この解答も、まさにひとつの「解答」だな、と思うわけです。
ぶっちゃけ、もしかしたら、伝わっちゃうかもしれないしね。

「ねばねばなっちぃの歌」発見!

2008-05-19 20:58:43 | フィールド日誌
きゃー!!
わたしも大好き。みんなも大好き。
五軒ゆかりお姉さんの「ねばねばなっちぃの歌」がYou Tubeで見られるようになりました!
(futureさん。情報ありがとうございます!)

「ねばねばなっちぃの歌」

一応、解説をすると、水戸芸術館現代美術センターの「クリテリオム」という若手作家を紹介する企画展で、紹介された作品です。

水戸芸術館で出会った作品で、わたしに衝撃を与えた作品はいくつかありますが、まさに、その中のひとつです。
その熱のあげっぷりは、こちら参照のこと。

あらためて見てもステキっ!
みんなぁ!見てねぇ!

「うおっ!少女マンガ家!」

2008-05-18 13:51:25 | わたし自身のこと
「うおっ!少女マンガ家!」

・・・これは、さきほど、昼食を食べたあと、鏡を見たときのわたしの感想である。

グレーのボーダーTシャツ(長袖)を着て、
髪の毛が目に入るので、タオルで前髪をあげてしばって、
さらにメガネをかけていたら、
いつの間にか、「少女マンガ家」になっていたようです。

ちなみに、わたしの「少女マンガ家」イメージって、
『あさりちゃん』の室山真里子(室山姉妹の妹のほう)なんだけどね・・・(古)。
あるいは、『ママは小学4年生』かなんかに出てくる漫画家のお母さん。


ちょうど、「「腐女子」の成立」なんていう文章を書いていただけに、凹みます。

ふたたび、オタク研究へ:窪田光純『同人用語辞典』

2008-05-16 21:47:26 | 研究
水戸芸術館のフィールドワークと、学会発表原稿の準備がようやく一段落したので(学会発表は今月末ですが)、
ふたたび、オタク研究へ舞い戻ってきました。

実は今年の9月までに、共著で「腐女子」論文を書く予定なのです。
うーん。久々のオタク関連仕事。
超がつくほど、うれしいです。

・・・というわけで、数年ぶりに資料をあさるためネット・サーフィンしてたら見つけちゃいました。

窪田光純『同人用語辞典』(秀和システム)

発行日は2004年8月17日。

わたしが本格的に「やおい」の研究をしだしたのが、2004年4月。
修士論文を出したのが2005年1月ですから、ちょうどリファレンスしにくい時期だったんですね。(さすがに修士論文提出まであと半年になってからネットサーフィンをする余裕は・・・たらーっ(汗))
しかもそのあとも怒濤のごとく、文化部調査だ、水戸芸術館の調査だと走ってまいりましたので、ゆっくり文献探す暇もなかったような気がします。

そんなわけで、今の今までその存在を知らぬままにきてしまった『同人用語辞典』。
これがあったら、どれだけ論文執筆を楽に進められたことか・・・!
と、ガックリきました。
・・・いや、もう最近だと『現代用語の基礎知識』にも出てるし、フリー百科事典Wikipediaの定義を論文に引用しても(サブカル研究界では)認められるような風潮になってきたし、それほど問題にはならないんですけどね・・・。

『ニューデイリー新語辞典』か何かで無理矢理調べていたころがなつかしい・・・。

しかし、この『同人用語辞典』。
なにが面白いって、ヲタ(男オタク)用語も腐女子(女オタク)用語もどちらも掲載されていることです。イラストはめっちゃヲタ向けなんだけど、内容はそれほどヲタ向けではなくて、「やおい」の語源が、1979年に発行された同人誌『らっぽり やおい特集号』でのフリートークだという・・・イマドキの腐女子の中には、けっこう知らない人がいるような情報まで掲載されています。
(「やおい=やまなし・おちなし・いみなし」だということはけっこう知っているらしい。)

そんなわけで、パラパラ読んでると、ヲタ用語にも詳しくなってきて、なかなか異文化体験です。
実を言うと、この本で
「♪つるつるぺったん もちぺったん♪」
の「つるつるぺったん」=「つるぺた」の正確な意味を知りました。
てっきり「巨乳」の対義語だと思ってたら、
どっちかっていうと「ロリ」の類義語だったのね・・・。

「わたしは「貧乳」ではあるけど、「つるぺた」ではない」ということを理解しました。
・・・なんだかこの文、例文として使えそうでイヤだなぁ。

オーディエンスの男オタクのみなさん。
この用法、合ってますか?

落ちこぼれでいるためのスキル

2008-05-13 18:49:14 | わたし自身のこと
先日、同じ研究室にる長期派遣研修生の小学校教員の方に、
「今の「いい子」って、公衆電話が使えないんですよ」
・・・という話を聞いた。

どういうことかというと、
どうやら、そっちゅう忘れ物をする「落ちこぼれ」な子どもたちは、
いつもテレホンカードか、名札の中に30円くらいの小銭を持っていて、
しょっちゅう、学校に設置された公衆電話で親などに連絡するため、
公衆電話は使い慣れたものなのだという。

で、ある日。
いつもきちーんと忘れ物もせず、宿題もやってくる「いい子」Aちゃんが忘れものをした。
担任の先生は、Aちゃんを公衆電話の前につれていって、公衆電話に10円を投入し、親御さんに連絡をとらせたのだという。

とりあえず、ここまでの段階で、Aちゃんは、公衆電話に10円を入れなければ電話が使えないことも、受話器をとってから10円を入れることも、ダイヤルの回し方もまったく知らず、ひとつひとつ担任の先生が「こうやってやるんだよ」と教えながらやってあげたのだという。

・・・そして、Aちゃん。どうやら親御さんに連絡がとれたらしく、先生も一安心。
ところが、である。

何十秒かたった頃、突然、Aちゃんがびっくりしたように受話器をガチャンと戻してしまった。

先生がAちゃんにどうしたのか、と尋ねると、
どうやらAちゃん、通話料10円分が終わりに近づいたときに鳴る「プーッ」という音に驚いて、受話器を切ってしまったのだという。
もちろん、親御さんに肝心の用件は伝わっていない。


その先生は、そのとき、公衆電話の教え方もちゃんと教えないとダメなんだなぁ、と実感したということだった。

確かに、公衆電話というのは、災害時における有力な連絡手段のひとつだし、
それを使えるようにしておく、というのは大切な教育内容に違いない。


それにしても、その先生が驚いたのは、それだけの複雑な内容であるはずの「公衆電話のかけかた」を、落ちこぼれたちはなーんにも教えずともやすやすとできていた、ということだった。
落ちこぼれたちだって、「初めて」公衆電話をかけるという機会はあったはずである。
そのときに、その担任の先生はなにもしなかった。
なにもせずとも、なんとなく、公衆電話をかけることができていたらしい。

だからこそ、それまで「公衆電話をかけられない子がいる」ということに、その先生は気づけなかったのだともいえる。


そう考えてみると、
「落ちこぼれ」でいることってけっこう大変なことなのかもしれない。

まあ、そりゃ次の日に必要なものとかぜーんぶ用意してくれて、
宿題の面倒なんかも見てくれちゃったりする親のもとで育つよりは、
なんにもしてくれない親のもとで育った子のほうが、やらなければいかないこと、学ばなければいけないことは多かろう。

何より、そういう「落ちこぼれ」の子どもたちが、「必要なことは自分で学ぶしかない」ということを学習しているのだとすれば、
それは何よりもの教育に違いないとすら思ったりする昨今である。

Stigma

2008-05-10 14:35:10 | 趣味
スティグマ【Stigma】
①汚名・恥辱
②《古》(奴隷・罪人などに押した)焼印・烙印
③[the stigmata]《キリスト教》聖痕。St.Francis of Assisiなどの身体に現れたという十字架上のキリストの傷に似た傷跡。


 昨日、「先生のためのツアー」の一環として行われた「Counter Skin」(「宮島達男|Art in You」公式ウェブサイト参照)のワークショップに参加。
宮島達男さんご自身が行われたワークショップの成果については、こちらのブログを見ていただくとして、ここでは、わたしが勝手に自分勝手なコンセプトで楽しんだ「Counter Skin」を。

この写真、ほとんど消えかかっていてよくわからないですが、
デジタル数字の「3」が水色に白(?)抜きで描かれています。

なんでわざわざ、こんなに消えかかってから写真を撮ったかというと、
わたしが「Counter Skin」という作品に対して率直に持っていたイメージを記録しておきたかったからです。

昨日、「先生のためのツアー」のトークを担当なさっていたトーカーさんが、
「この数字を、ナチスによるユダヤ人収容のときに、ユダヤ人が肌につけられた焼き印だと思う人もいるようです。」
・・・と言っていましたが、
わたしの印象もきっと、これに似ているのだと思います。

わたしが思い出したのは、リストカッターの女の子の「手首の傷」でした。
「手首の傷」は、「リストカッター」の「烙印」であり「聖痕」、つまり【Stigma】です。
でも、考えてみれば、そういう【Stigma】と無縁の人はいないわけで、
わたしたちは、なんらかの【Stigma】を背負って生きているわけです。


肌に浮き上がるデジタルナンバーは、
そんな消したくても消せない【Stigma】を示しているような気がしたのは、きっとわたしだけなのかもしれませんが、
それでも、そのイメージをどこかに残しておきたかったので、左胸の鎖骨と胸の間にデジタル数字「3」を書いてもらい、自分で写真を撮りました。


なお、「3」という数字は、わたしの誕生日になぞらえてもいますが、
それ以上に、サミュエル・ベケットの作品に影響を受けています。

欠点という個性

2008-05-05 22:42:54 | 趣味
わたしのGW中のイベントはただひとつ。
南房総にある本多忠勝城のふもとにある高校の演劇部に行くことだけでありました。

…というわけで久々に演劇部に顔を出してきました。

新入生歓迎シーズンが続いたため、長々とかかってしまいましたが、どうにかこうにか今日から立ち稽古に入ったようです。
よかったよかった。

今回の芝居は、応援団芝居。
そのため、オープニングは「オス!」(応援団らしくね♪)という掛け声から始まるのですが、
オタクと2ちゃんねらーの多い我らが演劇部。


「ゾッス!ゾォッス!」
「ゾッス!ゾォッス!」


…と、某企業で行われているともっぱらの噂の掛け声大合唱から、稽古は開始いたしました。
ゾッス。

もう「光りもの」の話もここらで収束かと思っていたとたん、これだもんなぁ…(汗)
…ったく、毎日、楽しくてしかたないよっっ(汗)


話はさておき、
高校時代に演劇部に入部してから、はや10年以上。
そろそろOGとしてかかわり始めて10年目を迎えようとしています。

その中で、現役からいままでずっと確信してきたことがあります。
それは…

欠点とは紛れもなく、その人の個性だということ。

キレイごとのように聞こえるかもしれませんが、違います。
もし、「キレイごと」としか受け取れない人がいるのなら、「舞台の上では」というくくりで話を聞いてください。

身体的な欠点とか、
その人の性格的な欠点とか、
欠点にはいろいろなものがあるわけですが、
どうにも稽古を始めるためには、この「欠点」をとっかかりにしないと進めないなぁ、という確信があるのです。

「欠点」というよりは、「偏り」といったほうが正確でしょうか。

あらゆる点でバランスよく、
何事もそこそこできるけど、特に何を特化してできるわけでもないという人ほど、とっかかりにくい人はおりません。
その人の立ち位置をどのように確保してあげていったらいいのか、
その支援の仕方も、その人自身がどうしたいのかもまったくわからなくなってしまうのです。


これは、いろんなことに興味はあるけど、特段、何に夢中になれるわけでもない人が、就職活動でものすごく苦労するのと似たところがあるのかもしれません。


現代は、いろいろなものが過剰に「わかりやすく」、過剰に「使いやすい」時代で、素人でも、ちょっと良い機械や環境をそろえれば、プロ並みになんでもできてしまいます。
わたしの知人の写真家は、「プロの写真家がアマと違うのは、結局、自分の写真を「商品」にできるかどうかだ」と言い切ります。
そして、「今は、プロよりアマのほうが、むちゃくちゃ良い機械使ってるしね」と失笑します。


過剰に「わかりやすく」、
過剰に「使いやすい」時代の中で、
何かのプロフェッショナルになるということはいったいどういうことなんでしょう。


わたし自身の考えを言えば、
このとき、最終的な手がかりになるのは、自分の「欠点」ではないかと思うのです。
わたしは大学四年のときに自分の進路を考えました。
そのとき考えたのは、「自分に何ができるか」ではなく、「自分は何ができないか」ということでした。

わたしの欠点は、いろいろありますが、
社会生活にまで支障をきたすわたしの欠点といえば、
「考えすぎること」。
これに尽きます。

そこまで考えてあと、
自分のできることを考えるのは簡単でした。
だって、「考えること」の自由を保障される職なんて、ほとんどありませんから。
ましてや、「考えすぎ」て、鬱になって寝込んでしまう人間なので、ほっておいたらただのニートですよ。

そう思った結果、今のわたしがあります。


わたしは進路に迷う人に会うたびに、「この人はいろいろできる人でいいなぁ」「いろいろな可能性があっていいなぁ」と思っていました。
でも、きっと「いろいろできる」から、「なんでもバランスよくできてしまうから」こそ困ることも、きっと多いのだろうと、今になると思います。


そして、やっぱり「欠点」って大切だなぁ…、とあらためて思うのです。

「コール・トゥ・ラブ」&「愛・イー・グループ」:恐ろしきグーグル検索

2008-05-03 21:45:05 | ニュースと政治
この件で大変世話になった友人から、
「コール・トゥ・○ブって、伏せ字の入れ方が「コール・トゥ・ラブ」みたいだね、と指摘をいただきましたので、そのままタイトルに使わせていただきました。
ついでに、同じく評判の悪い光通信の子会社「○イ・イー・グループ」というのもありましたので、ゴロ合わせに一緒にタイトルにしておきました。

世のため人のためを思うと、タイトルは伏せ字ではないほうが良いのかな、とも思うのですが、今のままでも十分すぎるほど悪評情報があるようなので、いまさらこのブログの記事がなくても大丈夫でしょう。

さて、さきほどの記事の続きですが、
契約書類一式が返送されてきたその日、父親から報告の電話があったとき。
父が「しかし、コール・トゥ・○ブ。俺が検索かけてみたらフツーだったんだけどなぁ」と言っていたので、恐らく父が検索をかけてみたであろうYahoo!で検索をかけてみました。
Yahoo!での検索結果

これ見て、驚きました。確かにふつうだわ・・・!
一般名詞「光通信」も出てくるあたり、なんとも心憎い感じです。

ちなみに、わたしが父から依頼を受けて検索をかけてみた結果はこれ。
Googleでの検索結果

「いいからググれよ」とはよく言ったもんです(?)
Google恐るべし。

「コール・トゥ・○ブ」の営業マンYさんは、帰り際、
不信がる父親に、「そこは信用してください」と言ったそうですが・・・、
Googleでの検索結果を見る限り、何を信用していいのか、まったくわかりません。
「(商品はシャープ製だから)信用してください」・・・だったのかなぁ。

・・・でも、まあ、きちんと解約申し込みをしたら書類はかえってきました。
かえってきた途端、他の「光りもの」から、OA機器リース営業の電話かかってきたから、光通信系の名簿使い回し疑惑はさらに高まりましたけど。


それにしても、疑問に思うのは、
「コール・トゥ・○ブ」の電話アポイントの人が、実際に我が家に来るまで、会社名を一切言わなかった(らしい)という事実です。
電話アポを受けた直後の電話で、
父は「シャープの人が来る」と言い張ってました。
きっと、電話アポでは「シャープの代理店の者ですが・・・」としか言ってなかったんだろうなぁ。
まあ、シャープの代理店であることには違いないのだろうけど、最初に会社名を言えない会社なんて、ろくな会社じゃないよね。


ちなみに、今回あきらかになったYahoo!とGoogleの検索結果の違いは、
看護学校のレポート作成法授業(「文献の調べ方」)にて例として出させていただきました。
転んでもタダでは起きない教員魂です。