KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

いまのガッコー

2008-07-23 08:34:29 | わたし自身のこと
演劇部の合宿が中止になった。

OBもOGも現役も、すべての人たちに大切にされている幸せな演劇部合宿。
その合宿がなくなったことの背景は、もちろんいろいろあるけれど、
その中のひとつに、
学校の生徒指導部側の「言いがかり」があったことは明らかだった。

そのことを、
いつも利用させていただいている合宿施設の利用手続きをしていただいている先生にメールすると、こんな返信が返ってきた。


「「何かあったら困る」これが今の学校の姿です。
教育の自由が奪われ、教師のやる気がそがれ、生徒の体験の機会が奪われているのが今の学校です。
後半年でそんな場所からおさらばできるのは楽しみとなってきました。」


ああ。
しょっちゅう「心臓病だ」「心臓病だ」と言って、ニトログリセリンを手放さなかったM先生も、元気にご退職を迎えることができたのかぁ・・・としみじみするとともに、
これから、教育に関わっていかなければならない者として、絶望的なことを言われて、正直、とまどってしまった。
もちろん、そんなこと、前からわかってたはずだけど。


教育ってなんなんだろう。
学校ってなんなんだろう。

自分の身を守るために、生徒の教育の機会を奪うのが、学校なのだろうか。
だとしたら、生徒たちは、どこで学びの機会を得ればいいのだろうか。

なんだか、わたしには、よくわからない。

やっぱりダメそう

2008-07-18 00:36:08 | わたし自身のこと
やっぱり、ダメそう。

休まないと、自分を壊してしまいそうなので、
しばらく、いろいろなことと距離を置くことにしました。

自分が言い出したことなのに申し訳ないとか、
義理が立たないとか、
自分がやらなければいけないことなのに・・・とか、
いろいろ、引っかかることはあるけれど、
もうそれだけで動けない地点に来てしまったことは、確か。


ひたすら謝り続けても、
人に嫌われても、
今は、とにかく、ひとりで休む時間をとらないと、死んでしまいそう。

落ち込まない・落ち込まない・落ち込まない

2008-07-09 19:29:26 | わたし自身のこと
最近は、めっぽう心が弱くて困っている。

誰かから言われたさりげない一言とか、
なんとなく言われなかったこととか、
そういうことの意味について深く深く考え過ぎてしまって、
考えすぎてしまう結果、勝手に傷つき、落ち込んでしまう。

こんなときに、いつも思うことだけれど、
あまり頑張らないで、そういう場所から距離を取ったほうが良いのかなぁ。
やりたいことはあるし、やるべきことはあると思うのだけど、
どうにも、そんな小さな傷に耐えられなくなってしまう。
そんなとき、
わたしは、どうしたら良いんだろう。

小学校教員認定試験勉強中

2008-07-04 12:18:15 | わたし自身のこと
まったくブログをアップしておりませんが、
そんなに忙しそうに、何をしているかというと、

小学校教員認定試験対策の勉強をしております。

結局、受験科目は、
国語・算数・家庭科・図工・音楽・体育

の6科目にいたしました。
基本教科が「国語」と「算数」だけで、あとは実技という・・・
小学校時代のわたしが聞いたら、「正気か!!」と言いそうな科目ですが、「理科」「社会科」「生活科」はわたしには難しすぎるのだからしかたない・・・

音楽は、「ピアノやってるから平気だろー」となめてかかっていたら、
自分がまったく楽典を理解していないことに気づき、愕然としました。

今から頑張ります。

「うおっ!少女マンガ家!」

2008-05-18 13:51:25 | わたし自身のこと
「うおっ!少女マンガ家!」

・・・これは、さきほど、昼食を食べたあと、鏡を見たときのわたしの感想である。

グレーのボーダーTシャツ(長袖)を着て、
髪の毛が目に入るので、タオルで前髪をあげてしばって、
さらにメガネをかけていたら、
いつの間にか、「少女マンガ家」になっていたようです。

ちなみに、わたしの「少女マンガ家」イメージって、
『あさりちゃん』の室山真里子(室山姉妹の妹のほう)なんだけどね・・・(古)。
あるいは、『ママは小学4年生』かなんかに出てくる漫画家のお母さん。


ちょうど、「「腐女子」の成立」なんていう文章を書いていただけに、凹みます。

落ちこぼれでいるためのスキル

2008-05-13 18:49:14 | わたし自身のこと
先日、同じ研究室にる長期派遣研修生の小学校教員の方に、
「今の「いい子」って、公衆電話が使えないんですよ」
・・・という話を聞いた。

どういうことかというと、
どうやら、そっちゅう忘れ物をする「落ちこぼれ」な子どもたちは、
いつもテレホンカードか、名札の中に30円くらいの小銭を持っていて、
しょっちゅう、学校に設置された公衆電話で親などに連絡するため、
公衆電話は使い慣れたものなのだという。

で、ある日。
いつもきちーんと忘れ物もせず、宿題もやってくる「いい子」Aちゃんが忘れものをした。
担任の先生は、Aちゃんを公衆電話の前につれていって、公衆電話に10円を投入し、親御さんに連絡をとらせたのだという。

とりあえず、ここまでの段階で、Aちゃんは、公衆電話に10円を入れなければ電話が使えないことも、受話器をとってから10円を入れることも、ダイヤルの回し方もまったく知らず、ひとつひとつ担任の先生が「こうやってやるんだよ」と教えながらやってあげたのだという。

・・・そして、Aちゃん。どうやら親御さんに連絡がとれたらしく、先生も一安心。
ところが、である。

何十秒かたった頃、突然、Aちゃんがびっくりしたように受話器をガチャンと戻してしまった。

先生がAちゃんにどうしたのか、と尋ねると、
どうやらAちゃん、通話料10円分が終わりに近づいたときに鳴る「プーッ」という音に驚いて、受話器を切ってしまったのだという。
もちろん、親御さんに肝心の用件は伝わっていない。


その先生は、そのとき、公衆電話の教え方もちゃんと教えないとダメなんだなぁ、と実感したということだった。

確かに、公衆電話というのは、災害時における有力な連絡手段のひとつだし、
それを使えるようにしておく、というのは大切な教育内容に違いない。


それにしても、その先生が驚いたのは、それだけの複雑な内容であるはずの「公衆電話のかけかた」を、落ちこぼれたちはなーんにも教えずともやすやすとできていた、ということだった。
落ちこぼれたちだって、「初めて」公衆電話をかけるという機会はあったはずである。
そのときに、その担任の先生はなにもしなかった。
なにもせずとも、なんとなく、公衆電話をかけることができていたらしい。

だからこそ、それまで「公衆電話をかけられない子がいる」ということに、その先生は気づけなかったのだともいえる。


そう考えてみると、
「落ちこぼれ」でいることってけっこう大変なことなのかもしれない。

まあ、そりゃ次の日に必要なものとかぜーんぶ用意してくれて、
宿題の面倒なんかも見てくれちゃったりする親のもとで育つよりは、
なんにもしてくれない親のもとで育った子のほうが、やらなければいかないこと、学ばなければいけないことは多かろう。

何より、そういう「落ちこぼれ」の子どもたちが、「必要なことは自分で学ぶしかない」ということを学習しているのだとすれば、
それは何よりもの教育に違いないとすら思ったりする昨今である。

人間ドックという贅沢

2008-04-13 10:01:41 | わたし自身のこと
はじめて人間ドックを受けました。
28歳…というのは、わたしが勝手に設定していた「節目」の年でもあり、経済的に少しだけ以前より余裕がでてきたこともあって、
この機会に人間ドックを受けようと思ったのでした。

身体に関する不安を挙げれば数かぎりなくあります。
まず、丸1年間はかっていない身長と体重。
体重が減っているのも心配だけど、増えているのはもっとイヤ。
あと、高校3年間の拒食症時代の後遺症は、いま、どうなっているのか?…とか、
(あの頃は、ふつーに白血球が変形してました)
あとは、これが一番の心配どころですが、
ともかく、頻繁に胃腸を悪くするので、わたしの胃腸ははたして大丈夫なのか?…とか。

そんな不安を感じながら、人間ドックを受診したわけですが、
結果は、

「まったく問題なし!オールA!」(←医者の言葉そのまま引用)

でした。

先ほど挙げた不安をすべて伝えたんですけど、
拒食症の後遺症なんかもぜんぶきちんとチェックして、「問題ない」ことを伝えてくれました。

「いやー。いつもはメタボな人ばっかり相手にしてるから、
こんな正常値見るの久々だよー。
むしろ、自分が凹むわ。」

…とは、最後に言われたお医者様のことば。

どうも、わたしの住む地域には関西弁のノリの医者が多いような気がします。
…わたしがたまたま選んでいるだけかもしれませんが。


あらためて、
自分の健康状態を知って不安をなくすことができるなんて、
なんと贅沢なことだろう!
…と思い知ったのでした。

健康診断は、「就職活動のため」とかいろいろな理由がつくので、「やらされている」感じがありますが、
人間ドックは完全に自由意志だもんね。
自分のために、自分でお金を払って、自分の不安をなくすことができる。
わたしにとって、こんな贅沢なことは、ありません。


わたしくらい、若い年齢だとなかなか躊躇してしまいますが、
わたしは人間ドックおすすめします。

多忙きわむる

2008-03-21 19:09:50 | わたし自身のこと
多忙を極めています。
たぶん、ワタクシ、今、人生の中で一番忙しい!

以前、ある方に、
「kimistevaちゃんは、年をとればとるほど、「今、人生の中で一番忙しい」思うときが増えていくよ」
と、予言されたのを思い出します。
本当にそのとおりになりました。

1つ仕事が効率的にこなせるようになるほど、
次の仕事を自分で入れてしまうので、
どんどん忙しくなる。
やっている仕事の量がハンパじゃありません。

そんなことを思っていたら、本日、
わたし以外の原因でさらに仕やるべき事がドドンと増えてしまって、もはや笑うしかないような状況です。

ついに、これだけはやるまいと思っていた、
南房総の実家から、水戸芸術館への大移動を決行することになりそうです。
(いや、距離の問題じゃなくて、意識的な問題なんだけどね)


でも、きっと来年にはこれが常識にナッテタリシテ…、
次はきっと大多喜から水戸に大移動したりなんてこともあるんだろうなぁ、と思うと、笑うしかなくなってきます。

あっはっはー。忙しいって楽しいなー。

受信拒否しない生き方

2008-02-27 09:53:03 | わたし自身のこと
受信拒否(着信拒否とメール受信拒否)が嫌いだ。

なぜもともと迷惑メール対策のために使われていた機能が、
親しい人との間で用いられるようになったのか。
それはおそらく、ストーカーの登場と関係があるのだろうが、
それにしても安易に受信拒否が用いられ過ぎていると思う。


受信拒否する人は、自分が受信拒否されて傷ついたことがあるのだろうか?
それとも、受信拒否の文化みたいなものがあってそれに慣れてしまっているのだろうか?

それにしても、イヤだ。

まるでTVのリモコンでも扱うように、簡単にピピッと操作をして、一時的に関係を切断できてしまうというこの「お手軽さ」がイヤだ。
見たいときにはテレビをつけて、飽きてきたらテレビを消すかのように、
関係を持ちたいときには受信許可にして、めんどくさくなったら受信拒否。

・・・そんな文化、クルッテルヨ、とわたしは思う。



「関係を続けることはできません」と言って、
長らく受信拒否をしていたわたしの友人は、
先日、なにごともなかったかのように、
「立ち直りました」という文言とともにメールを送ってきた。

そのメールの中には、ずっと受信拒否していてごめんなさい、と一言だけ添えてあったけれど、
わたしはあらためて、そんな受信拒否の文化はイヤだなぁ、と思ったのだった。


立ち直って以前のことを忘れたら、すっかりもとどおり。
もう一度、リモコンを手にとって、TVをつける。
そんなものか、
・・・と思うと、自分の存在の薄さに絶望してしまう。


わたしはあまりにその事実が悲しくて、あまりに苦しいから、
それこそ、こちらから受信拒否してしまおうかとしばらく悩んだが、やめた。


わたしは受信拒否しない。
受信拒否しない生き方を選択したい。
複雑な網の目の中にあるはずの関係性を、リモコンのように操作することは、本来であればしてはいけないことのはずだから。