確かにその人が存在はしているのは事実なのだけれども、
その人が「確かに存在している」という実感が、果てしなく希薄な人がいる。
以前からいろいろな人に言っているが、
わたしは、眠っているときに見る夢の密度が、とても濃くて、
(あるいは、現実の記憶がとても薄いのかもしれない。相対的なものだから)
夢で見た内容と現実との境界が曖昧になることが、とても多い。
さらにいうと、物語でいつか見た内容との境界も曖昧になることがあって、
わたしにとっての「現実」というのは、本当にわたしが実際に体験した現実なのだろうか、と考えると、とても自信がない。
あるとき、
相手は覚えていないが、誰かに告白され、
なぜかわからないがパートナーに何か悪いことをしてしまった夢を見たことがある。
その後、すぐに「しまった!なんてことをしてしまったんだ!」と思って、ガバッと起き上がり、現在のパートナーに謝罪メールを打とうとして、ハッと我にかえり、「ああ、夢か」と気づいたのだが、こういうことがあること自体が自分でもよくわからない。
夢における自分の行動のコントロールができない、というのは誰しも抱える経験ではあるが、起きたあとにその行動に責任をとろうとした人はあまり聞かない。
それほど、わたしにとって夢と現実の境目は曖昧なのだ。
そんなわたしではあっても、
自分の存在が希薄であると感じたことは多々あっても、
他人のことをそのように感じたことは、これまで一度だってなかった。
だけどその人の存在といったら、あまりに希薄すぎて、
ぼんやり考えていると、
「あれ?いつか読んだ小説の登場人物だったかな…?」なんて、思えてきてしまう。
夢に出てきた記憶すらないから、そういう確信が深まってしまって、さらに質が悪い。
高校時代以来会っていない友人にも、
一度しか会ったことのない子どもたちにも、
そんな感覚は抱いたことがない。
だから、とても気持ちが悪い。
わたしって、そんなに現実感が危うい人間だったかなぁ。
その人が「確かに存在している」という実感が、果てしなく希薄な人がいる。
以前からいろいろな人に言っているが、
わたしは、眠っているときに見る夢の密度が、とても濃くて、
(あるいは、現実の記憶がとても薄いのかもしれない。相対的なものだから)
夢で見た内容と現実との境界が曖昧になることが、とても多い。
さらにいうと、物語でいつか見た内容との境界も曖昧になることがあって、
わたしにとっての「現実」というのは、本当にわたしが実際に体験した現実なのだろうか、と考えると、とても自信がない。
あるとき、
相手は覚えていないが、誰かに告白され、
なぜかわからないがパートナーに何か悪いことをしてしまった夢を見たことがある。
その後、すぐに「しまった!なんてことをしてしまったんだ!」と思って、ガバッと起き上がり、現在のパートナーに謝罪メールを打とうとして、ハッと我にかえり、「ああ、夢か」と気づいたのだが、こういうことがあること自体が自分でもよくわからない。
夢における自分の行動のコントロールができない、というのは誰しも抱える経験ではあるが、起きたあとにその行動に責任をとろうとした人はあまり聞かない。
それほど、わたしにとって夢と現実の境目は曖昧なのだ。
そんなわたしではあっても、
自分の存在が希薄であると感じたことは多々あっても、
他人のことをそのように感じたことは、これまで一度だってなかった。
だけどその人の存在といったら、あまりに希薄すぎて、
ぼんやり考えていると、
「あれ?いつか読んだ小説の登場人物だったかな…?」なんて、思えてきてしまう。
夢に出てきた記憶すらないから、そういう確信が深まってしまって、さらに質が悪い。
高校時代以来会っていない友人にも、
一度しか会ったことのない子どもたちにも、
そんな感覚は抱いたことがない。
だから、とても気持ちが悪い。
わたしって、そんなに現実感が危うい人間だったかなぁ。