自分のことを大切にしようと思った瞬間は数えるほどしかない。
エステに美容室、自己啓発と…世間の人が、ますます自分への関心を増大させるのと反比例するように、わたしとは異なる誰かのことをずっと考えてきた。
わたしが生きているのは、他の人が存在するからだ。
わたしを必要とするかしないかはともかく、他人をいたわりたい、優しくありたいという思いの中に、わたしの生きる根拠は存在する。
こんなわたしに、周囲の人は
「もっと自分を大切にしなさい」と、
防犯ベルをくれたり、食べ物をくれたり、市販の栄養剤をくれたりするのだけど、そういうものを目にするたびに、
「ああ。こんなに自分のことを考えなければならないのか。」とめまいがする。
昔の人は、今の人ほど、自分を大切にすることに関心がなかったのではないか、と思うときがある。
そうでなければ、「国家のための」戦争なんて起きない。
…ああ。なんだか、もう、無理なのかな。
「ダメだ」「ダメだ」と否定されつづけたって、わたしにはどうしようもない。
エステに美容室、自己啓発と…世間の人が、ますます自分への関心を増大させるのと反比例するように、わたしとは異なる誰かのことをずっと考えてきた。
わたしが生きているのは、他の人が存在するからだ。
わたしを必要とするかしないかはともかく、他人をいたわりたい、優しくありたいという思いの中に、わたしの生きる根拠は存在する。
こんなわたしに、周囲の人は
「もっと自分を大切にしなさい」と、
防犯ベルをくれたり、食べ物をくれたり、市販の栄養剤をくれたりするのだけど、そういうものを目にするたびに、
「ああ。こんなに自分のことを考えなければならないのか。」とめまいがする。
昔の人は、今の人ほど、自分を大切にすることに関心がなかったのではないか、と思うときがある。
そうでなければ、「国家のための」戦争なんて起きない。
…ああ。なんだか、もう、無理なのかな。
「ダメだ」「ダメだ」と否定されつづけたって、わたしにはどうしようもない。