2010年8月6日(金) 横浜に住む友と、私の郷里、土佐の里山に来て、今日で4日目である。 友は晴れわたった天気の朝、鮎釣りを楽しみに、近くを流れる仁淀川に出かけて行った。
私どもは、私の実家のある佐川町から国道33号を松山方面に北上して、四国山脈の山のふところ深くに囲まれた、四国八十八箇所霊場の岩屋寺に行くことにした。
国道33号は高知と松山を結ぶ主要国道で、松山街道、土佐街道ともいわれているが、最近は高知自動車道の開通により、長距離定期バスの主役ルートが高速道に変わってきている。
私どもの佐川町からは、岩屋寺まで約70kmの距離で1時間半ほどの行程である。
国道33号は四国山脈を横断するように流れ、四国第三の河川である仁淀川に寄り添うように造られた道路である。
この道路は山沿いの急傾斜地を這うように造られているが、道幅も広くドライブを楽しむにはもってこいのコースである。
私達も今年の春に購入したトヨタラクテイス(1500cc)で、ドライブを楽しみながら出かけて行った。
実家を出発してから、坂本竜馬たち脱藩の志士が合流した佐川町赤土トンネル付近を過ぎると、越知町に入る。
越知町では、こじんまりとした街並みや、支流の桐見川と仁淀川本流が合流し、河幅も一段と広くなっている。
奥には黒森山(標高1017m)がひと際高く美しい山容を見せている。
越智町街を過ぎると、急斜面の続く山が両側にせまり、中央に仁淀川を形成、川の法面を這うように国道33号が造られている。
ドライブを楽しみながら山沿いの町、仁淀川町を通過して、しばらく走行すると大きなダムが見えてくる。
21年の歳月と780億円をかけて国土交通省が多目的ダムとして造った大渡(おおど)ダムである。
大渡ダムを過ぎると、まもなく県境を越え愛媛県内に入って行く。
県境を過ぎてしばらく走行する。 すると、川向こうに川の浸食で出来、軍艦の様な形をした石灰岩の美しい奇岩が見えてくる。
ここは、仁淀川と面河川(おもごうがわ)の合流地点である。 川の向こうには、こんな奥深い山の中にと思うような近代的な建物が見えている。
私達は国道33号から別れをつげ、紅葉の渓谷美で知られる面河川方面の県道に入って行く。
この県道を走行していると岩屋寺の交通案内板があり、20分ほどで周りを全て山で囲まれた岩屋寺駐車場に到着する。
しかし、駐車場からは、どちらを見てもお寺らしい建物は全く見えてこない。
お寺はどこにあるのかと、案じていると、山側の道から白いお遍路装束を身にまとった人達が下山してくるのが見えてくる。
尋ねてみると、岩屋寺は、ここから山道の参道を20分程登った所にあるとのことだった。
聞くところによると、岩屋寺は、四国八十八箇所の札所のうち、バス、自家用車等を利用しても、境内まで最も長い距離を歩かなくてはならない寺であるとのことだった。
岩屋寺の麓にある集落、手前の参道には数件のお店があり、お土産などを販売している。
駐車場から参道脇にある土産物店を過ぎると、参道の両脇に石碑が立てられ、石碑の上には小さな仁王像が私たちを迎えてくれている。
小さな仁王像の石碑が両側に立つ入口
林の中の参道 山門から続く石段
仁王像を過ぎると、うっそうと老樹が生い茂る中に参道が造られ、266段の石段を登って行く。
すると立派な山門が建てられている。この山門が堂々とした威風を放っている。
山門の右柱には、「第四十五番岩屋寺」 右柱には「本尊不動明王」と書かれ、中央には「海岸山」と書かれた額が掲げられている。
海岸山と書かれた山門
山門のある石碑には、当山の縁起は 弘仁6年(815年=平安時代)に、弘法大師がかつて修行の霊地を求めて投げていた明王鈴の音をたよりに当山に巡錫されて
「山高き 谷の朝霧 海に似て 松吹く風を 波にたとえん」
と詠われ 山号を 海岸山岩屋寺(かいがんざんいわやじ) と名づけ、自ら 不動明王を刻んで開封されたものであります。
※海岸山は山中の霧を海にたとえて詠まれたものである。
本 尊 不動明王 弘法大師御作
開 基 弘法大師
宗 派 真言宗豊山派
と記されている。
また、寺伝によれば、弘仁6年(815年)霊地を探して山に入った空海(弘法大師)は、山中で神通力を備えた法華仙人という女性に出会う。
仙人は空海に帰依して山を献上する。
空海は不動明王の木像と石像を刻み、木像は堂宇を建立して本尊として安置、石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏とし、岩山全体を本尊としたと伝えられている。
山門をくぐり石段を登って行くと、参道左手の岩の上から不動明王が迎えてくれる。
そこから左側の岩山を胎蔵界、右側が金剛界と呼ぼれている。
石段の頂には不動明王が立ち私達を迎えてくれる。
木漏れ日の差す参道 大木に囲まれた参道
巨木の老樹の生い茂る中に造られている参道がしばらく続きゆっくりと登って行く。
参道脇には歴史の深さを感じさしてくれる苔に覆われた石仏が立ち並んでいる。
参道には紅い欄干の架かる極楽橋があり、その向こうには小さなお堂と多数の石仏が並んでいる。
参道脇に並んで立てられている無数の石仏群
無数の石仏群の横にあるお堂には「のぞみ弥勒」が祀られている。
のぞみ弥勒のお堂の前を通ると、巨木の中にできた参道が続き、参道脇には「南無大聖不動明王」と書かれた赤や青の幟が立てられ、巡礼に訪れるお遍路さんのムードを一層高めてくれている。
山道の参道をさらに登って行くと、前方の法面には無数の石仏が整列良く並びんでいる。
青と赤の幟の立つ参道が続く 山からの法面には無数の石仏群が並べられている。
伽藍の上に聳える奇岩の岩山、下の岩壁には方丈という建物が寄り添う様に建てられている。
弘法大師御修業所の石碑から境内を観る、右の石段を登ると本堂や大師堂がある。
奥には鐘楼も見える境内
参道をさらに上って行くと、左に水子地蔵尊、鐘楼、右に手水場、庫裏・納経所がある境内に出る。
伽藍の上にある珍しい奇岩の岩壁、修行僧が座禅などに利用できそうな奇岩に幾つかの窟が見えている。
さらに石段を上がると岩山の真下に本堂があり、左手に大師堂がある。突き当たりの方丈の建物には直接岩山が接している。
大師の掘ったといわれる井戸があり、この洞中にお参りすることを"穴禅定"という。窟の中に出来た楼に向かって木の梯子が掛けられている。
大師が掘った霊水の湧く「穴禅定」(あなぜんじょう)や境内の奥山には大師の行場「迫割禅定」(せわりぜんじょう)がある。
梯子の上には10畳ほどの大きさの板間があり、その奥にはこのようなものが祀られている。
さらに少し上ると本堂が、その左のほうには大師堂がある。
岩屋寺本堂、奥には窟の中にある回廊に向かって木の梯子が掛けられている。
本堂拝殿 大師堂拝殿
細かい造作が施されている本堂拝殿、手前には上記写真の木の梯子が、奥には大師堂がある。
西洋建築様式を隋所に取り入れて建築された大師堂
大師堂は、まだ新しく大正9年(1920年)に建立されている。
設計は愛媛県出身で大蔵省営繕管財局技手などを務めた河口庄一、大工は窪田文治郎らである。
宝形造、銅板葺きで、正面の向拝の柱は左右とも双子柱とし、母屋の四隅は3本組の柱とされている。
これは伝統的仏堂建築にはみられないもので、向拝柱は上部を細くした様式とし、柱上部にはバラの花と房飾りを彫り出し、柱下部には溝彫りを施すなど、随所に西洋建築の設計思想を取り入れている。
伝統的仏堂建築に新様式を取り入れた、近代仏堂の代表作として、2007年に国の重要文化財に指定されている。
国の重要文化財に指定され、西洋建築様式を取り入れた大師堂の拝殿
歴史の深さを感じさしてくれる奥の院への風格のある楼門
本堂から楼門を過ぎ、山を入っていくと 坂道を300m程上り、岩をくぐって 鎖をたより梯子を登った岩山の頂上に大師の行場跡といわれる迫割 禅定(せりわりぜんじょう)・鎖禅定がある奥の院に至る。
山門から奥の院への参道
初めて訪れた四国霊場45番札所の岩屋寺。岩屋寺は平成16年1町3村が合併して出来た久万(くま)高原町にある。
私は松山と高知を結ぶ国道33号線を何回か行き交っているが、訪れるのは今回が初めてである。
久万高原は四国の軽井沢と呼ばれ、標高も800m程あり、四季を通じて観光客が訪れている。
岩屋寺は四国最高峰の石鎚山の麓に位置する久万高原町の一角にあるお寺である。
入口から本堂まで山道を20分ほど登った奇岩の下に本堂が造られたお寺で、何か修業僧には、もってこいの静寂な自然環境を備えているように感じる。
今回も急に訪れることを決めて、気ままにやって来た旅であるが、さわやかな高原の空気が流れる、癒し効果のある旅を感じながら下山して行った。
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奥の院はまた鍵をかりてはいっていく、わくわく感たっぷりで岩に登ったり、あのたのしさ味わいにまたいくことにしました。記事ありがとうございました。
本堂奥にある、木の梯子は、登り始めると、良く揺れて怖かったですね。
梯子の揺れよりか、私の足の震えが大きく感じたことが思い出されます。
私は奥の院には、行くことができませんでしたが、コメントを読ましていただいて、機会があれば、是非、行ってみたいと思います。
再度、訪れた、感想などコメント頂ければ、嬉しく思います。
越智姓や水軍の関係でよくやりますが
高岡郡越知町です。
則面も法面と思います
私の勘違いがあったようです。
法面が正しいのはわかっていましたが、則面も間違いではないように思っていましたが、誤りだったようです。