旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

8カ月になりました

2016年02月07日 23時17分06秒 | 日々のこと
お腹の赤ちゃんの予定日は5月2日。
妊娠8カ月に入りました。

ゴンゴンと腹の内側から蹴られる感覚も当たり前になり、
「私の意思ではどうにもならない別の人がここにいるんだなー」と
不思議な気持ち。この感覚だけは一生忘れることはないだろうな。

ここからは孤独な闘い。
エベレスト3Dを観た時に「こっ、これは妊娠出産とまったく同じやん」と
衝撃を受けたのだけれど、ようやくベースキャンプに到着した感じ。

登り始めると、絶対に引き返せないところ。
登頂の喜びは一瞬で(でもその喜びは一生続く)登頂した瞬間から下山しなければいけないところ。
仲間はいるけれど、結局は自分でどうにかするしか方法はないところ。
どれだけ辛くても一歩をだすのは自分にしかできないところ。
やりたければやってみればいいし、やりたくなければやらなくてもいいところ。
やったからといって自慢するものでもないし、やらなかったからといって卑屈になる必要はないところ。

どれもこれも妊娠出産と似ていてびっくりした。
男の人に妊娠出産のしんどさを伝えるのは無理だと思い込んでいたけれど、登山を例えに説明してみると
いいかも知れない。

夜の眠りも浅くなり、得体の知れない不安に襲われることもあり、全てはホルモンのなせる業と分かっては
いても、なんだかもう自分が半分以上自分でないような浮遊感。
身体のバランスもおかしいから、しょっちゅうあちこちにぶつけている始末。自分の幅がどう考えても
おかしい!胸の谷間はちょっとだけ嬉しいけれど(笑)信じられないダサさのブラしかできないし、
パンツ(ショーツ)に至っては「これで興奮する男がいたら、間違いなく変態よな」と断定できる代物で
干すたび気分が萎える。ダンナ氏はどうなんだろ?普通に干してるけど。はかないけど(はけないけど)
Tバックとか混ぜてみた方がいいのかしら。

赤ちゃんは女の子。
桜がさいて、新緑の緑がまぶしい季節にこの世界にやってくる。最初にみせたいものはなんだろう。
この世界が幸せにあふれていることを伝えるにはどうすればいいだろう。
赤ちゃんの存在は希望そのもの。出産を前に望むことはどんどんシンプルになっていく。
「どうか無事に」「どうか幸せに」毎日それだけを祈っている。

仕事は残り3週間。
働く喜びも、尊さも、しんどさも、全部覚えていたい。産休、育休ではなく無職になる不安は大きいけれど
働く喜びを覚えていたら、また仕事の神様が私に何か役割を与えてくれる時がくると信じて。

土日はクマの日

2016年02月06日 22時43分46秒 | 日々のこと
土日はかあちゃん「クマの日」と宣言。

私 →「あのさぁ、くまごっこしようよ」
ちび→「いいよ!どんなん?」
私 →「かあちゃん、くまになってずーっと寝るの。
    ふくもあかりも一緒にくまになろうよ」
ちび→「・・・・いやや」
   「いつまで寝るの?」
私 →「春になるまで」
ちび→「かあちゃん、それはひとりでやって」
私 →「(望むところよ)」


明日は寒くなるらしい。洗濯バサミで干した大根がよく乾くことでしょう。
出汁と酢と唐辛子で和えると、とまらない美味しさでオススメ。冬の恵み。

台湾の友人からは朝一番にメール。
揺れが長かったけど、大丈夫。でも阪神大震災を思い出して寝付けなかった。と

こわかっただろうな。あの揺れだけは身体が忘れることができないのはみな同じ。
旧正月前の一年で一番賑わう時期に、なんでまた・・・心からお見舞いを申し上げます。

なんか違うと思うんだけど

2016年02月05日 21時05分58秒 | 日々のこと
時々目にする、耳にする「○○にはめられた!」って言葉。

ベッキーとか清原とか甘利氏とか、彼らは「はめられた」のか?
ちゃうやろ、いろんな背景はあるとしても「はまった」んやろ。

どうしてもこの言葉からは、あくまで悪いのは姿形の見えない何者かで
あって、自分は悪くないのだ。というニュアンスを感じて気持ち悪い。
そしてその何者かの正体は絶対に明かされない。明かすつもりもない。
(本人もマスコミも)

仕事でミスしたり、自分の能力がないがために成果がだせないのに
「あいつのせいだ」と言う人もしかり。

社会人としての経験が長くなればなるほど、みっともない言い訳は
したくないものだと横目でチラッと眺めながら思う金曜の夜。

何を眺めたのか。・・ふふふっ、それは言うまい。



エベレスト3D

2016年02月04日 23時22分35秒 | 日々のこと
去年の秋だったかな、「これは映画館で観なければいかん!」と
つわりゲェーゲェーやってたのに、這うようにして観に行った映画。

初めて3D映画。ヒマラヤの山並みやカトマンズの街が目の前に広がって
とても満足だった。タメル地区のごちゃごちゃした感じや(地震で崩れただろうな)
独特の混沌とした雰囲気が思い出されてしばしのトリップ。

ヒマラヤ登山に関する本を読むのが好きなのだが、やはり本での体験には
限界があり、いくら地図で説明されていてもやっぱり曖昧にしかつかめなかった。
ところがこの映画を観ることによって、ヒラリーステップがどのような場所なのか、
ベースキャンプがどんな場所なのか、イメージが鮮明にできるようになったことが
とても嬉しかった。

といってももちろん「知ってるつもり」になっただけなのだけど、本当に「知る」には
実際に体験するしかないのだから。・・・でも私が体験すると確実に死ぬな。ヒマラヤ登山。

初めての3D体験はとても素晴らしいものだった。
だけど本音を言えば、3Dでなくていいから、4Dでなくていいから、もっともっと映画を
安く、気軽に、誰でも観に行けるようにして欲しい。1,800円って高すぎないか?
朝早い上映や深夜の上映が増えると嬉しいのにな。赤ちゃん連れでも観に行けたらどこにも
行けない産後ママの気持ちもほぐせるのにな。(これは西宮ガーデンズで実施している。新開地の
映画館もごく普通に「いいですよー」と通してくれた)
若い人が「今日はヒマやから映画でも観に行くか」と日常の選択肢のひとつになればいいのにな。
読書もそうだけど、始まった瞬間にどこか遠くへ、あるいは心の奥深くへ、連れて行ってくれるものだから。

私はものすごく映画好きなわけではないし、俳優さんの名前はほとんど覚えることができないし
(カタカナだとまずお手上げ)何も偉そうなことは言えないけれど、あの2時間と少しの時間に
救われたことが何度あったことか。
現実の友は何よりも人生の支えだし、美味しい食べ物もお酒も心を満たしてくれるけれど、
忘れらないワンシーンやちょっとしたセリフがその後ずっと心を豊かにしてくれることもあるのだ。

さあ、今日も少しだけ本を読んで眠ろう。

本を読み始めると根を詰めて読み切らないと気が済まない私。気づくと夜中の3時、4時になることも
しょっちゅうだし、あまり大きな声では言えないが続きを読みたすぎて仕事を早退したことも
一度や二度ではない・・・(すいません)
どうやったら本一冊を大事に少しづつ読めるようになるのか、誰か教えて欲しいです。
おかげで物語の一番いいところに辿り着くころは頭の中がフラフラで、一番味わい深いはずの
エピローグなんてほとんど執念で読んでいる始末。ああ、もったいない。


鬼は外

2016年02月03日 21時32分53秒 | 日々のこと
福と星は保育園で節分を堪能した様子。
迎えにいくと鬼の面をかぶって登場。「豆まきしたよ」「鬼きたよ」と教えてくれた。

とても怖がりの二人。小さな頃は血相を変えて大泣きしていたので
「何もそこまでしなくても・・・」と複雑な気持ちになったものだ。
恐怖に震えながら部屋の隅で固まってまで鬼と対面する必要はないだろう。
「その恐怖を乗り越えることで、強い心になるのだ」そんなのウソだ。

少し成長してもう大丈夫になったのかな、と思いつつ私から特に鬼の話題を
持ち出すことはしなかった。
ところが、風呂の中で私がたまたまぼんやり天井の一点を集中して見ていたら
突然福が「かあちゃん、鬼のことみてるの?来るの?」と私にしがみつき、ギャーと
叫んだのでその声にびっくりした星まで「鬼こわいのぉー」と叫び始めたからびっくり。
「来ない、大丈夫。とにかく落ち着け」となだめても二人は取りつかれたように泣くばかり。

「大丈夫、大丈夫」
「福も星もいい子だから大丈夫、大丈夫」

落ち着きを取り戻した福が「かあちゃん、福たちは本当に鬼が怖いんだから、そういう風に
怖がらせるのをやめて欲しい。もう絶対にしないで」と怒っている。
「怖がらせるつもりはなかったんだけど、ごめん」と謝る私。

まだ6か月くらいの赤ちゃんの時、私が突然顔の表情を変えると凝視した後ギャーと泣く
こどもだった。多分一生変わらないんだろうな。

この子たちを「怖いもの」から守ってやれるのは私じゃない。
「でも大丈夫」と思える灯りを、一緒に過ごすこの短い“暮らし”の中で心の真ん中にどれだけ
ともすことができるのか。一瞬一瞬がその積み重ねなんだな、と思った出来事だった。
穏やかに、静かに、子どもの成長を見つめていきたいなと思った。