旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

ただ過ぎてゆく日々

2016年02月02日 22時17分31秒 | 日々のこと
去年、自分の周りの環境を変えたり、あちこち小さな旅にでることが多かったせいか
年が明けてからその“揺り戻し”のような、縮こまっている毎日がただ過ぎていく日々。
ぎゅっと目を閉じて、暗ーく、じっとりとただ耐えてるって感じがする。

食べたいものを食べられない。
着たい服を着られない。
歩きたいのに、歩けない。

この3つは本当に大きいんだな、と改めて気づく。

仕事は2月末まで。夕方、音楽を聴きながら電車に揺られているとシャッフルにしていた
アイポットからフェイオンの歌声が・・・
日本語でもなく英語でもなく、中国語の響きがなんだか心地よくて、「ああ、本当に私は
アジアの国に育ててもらったんだなー」としみじみ思った。

何をやってもしっくりこない時、心の底からへとへとに疲れている時、誰と会うのにも元気が
残っていない時、タイ語や中国語やクメール語の音楽を聴いていると無性に心が休まることを
思い出した。(クメール語にいたってはカセットテープ!!)
そうだった、そうだった、何の意味も分からないけど、アジアの言葉に包まれていると何かが
ゆるんでいくあの感覚。

ただ過ぎてゆく日々の中で言葉を紡ぐのは難しい。

違うな。

もう私は目をそらしたいんだ。本当は。
ブロックを積み上げては撤去される辺野古ゲートのことも、入れたい人が誰もいない選挙からも、
ゴミの行き場は決まっていないのに再稼働される原発からも、子どもをめぐるあまりにも厳しい
環境からも、私がこれらのことを口にするたび減っていく友だちからも、集団から浮いてしまう存在
であることを認めることからも、全てを直視することから逃げたいだけなんだ。本当は。

もう人間なんか滅びてしまえばいいのに、と思いながら、命をつないでいるこの矛盾。
私は一体なにをやっているんだろうか。伝えたいって誰に?何を?

ずっと昔からの友人に心配されていたことを、この前知った。「こうちゃん安易やから、大丈夫?」って。
そう、わかってる。私は安易だ。この安易な思考と、得体の知れない行動力で周りの人に迷惑をかけて
いるんじゃないか、と考えだすと、もう身動きが取れなくなってしまったのかも知れない。

書くことで辿り着ける場所はあるんだろうか。
どこかに抜けたい。ここに縮こまっていたら、このまま消えてなくなってしまいそうだ。