さて、前回のツアーが刺激になり、早速日本橋川を歩いてみた。正確には神田川から分流して隅田川に注ぐまでということになるのだが、船から見て気になった所を見て歩いた。これも撮影は2009年10月31日。まずは鎌倉橋である。この橋には第二次世界大戦中の米軍機による機銃掃射の痕跡がはっきりと残されている。鎌倉河岸は陸上からは障害物が多くて、よく見えない。お堀の石垣だが、首都高の出入り口の下など、いい加減に崩されたままの箇所もあって、あの時代の凄まじさも感じる。
そして、常磐橋。橋の上は徒歩で通行可能。ただし、路上生活者の方々が多いので撮影には気を遣った。
年輪を感じる親柱。周囲は常盤橋御門の痕跡が公園になっている。石垣は一部復元されている。ここに立って、江戸城の総構えを考えると城のスケールがよく分かる。
一気に霊岸島へ。雁木が分かるだろうか。階段状になっているので、潮の満ち干があっても船を着けることが出来る。
今も船があると、かつての湊の雰囲気を感じられる様な気がする。木村荘八のエッセイに、昭和の初め頃にここから三浦半島の三崎へ行く船が出ていたという記述がある。
雁木と船の様子が分かるカット。最近見たら、どうも少し様子が変わっていたように見えたけど、どうしようとしているのだろう?ちょっと心配。
この短い運河は亀島川というのだが、隅田川に注ぐ最後の橋は南高橋という東京で最古の鉄橋である。この橋は明治36年に両国橋として架けられた鉄橋である。木橋だった両国橋で川開きの花火で大勢の人出があり、欄干が崩落するという大事故が発生し、鉄橋に架け替えられた橋がこの橋であった。関東大震災で一部が被災し、両国橋は架け替えられたのだが、その部材を再利用してこの南高橋となった。
常磐橋と江戸湊、どちらも江戸時代以来の歴史を持つ場所で、どちらも今は少し忘れ去られている場所。そこが面白い。
そして、常磐橋。橋の上は徒歩で通行可能。ただし、路上生活者の方々が多いので撮影には気を遣った。
年輪を感じる親柱。周囲は常盤橋御門の痕跡が公園になっている。石垣は一部復元されている。ここに立って、江戸城の総構えを考えると城のスケールがよく分かる。
一気に霊岸島へ。雁木が分かるだろうか。階段状になっているので、潮の満ち干があっても船を着けることが出来る。
今も船があると、かつての湊の雰囲気を感じられる様な気がする。木村荘八のエッセイに、昭和の初め頃にここから三浦半島の三崎へ行く船が出ていたという記述がある。
雁木と船の様子が分かるカット。最近見たら、どうも少し様子が変わっていたように見えたけど、どうしようとしているのだろう?ちょっと心配。
この短い運河は亀島川というのだが、隅田川に注ぐ最後の橋は南高橋という東京で最古の鉄橋である。この橋は明治36年に両国橋として架けられた鉄橋である。木橋だった両国橋で川開きの花火で大勢の人出があり、欄干が崩落するという大事故が発生し、鉄橋に架け替えられた橋がこの橋であった。関東大震災で一部が被災し、両国橋は架け替えられたのだが、その部材を再利用してこの南高橋となった。
常磐橋と江戸湊、どちらも江戸時代以来の歴史を持つ場所で、どちらも今は少し忘れ去られている場所。そこが面白い。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます