東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

板橋を歩く~その二

2011-09-04 17:10:04 | 板橋区
さて、板橋を歩くの続き。前回は仲宿交差点のところまで来たところ。そこから続けていこうと思う。

仲宿交差点は今は小さな交差点だが、戦前から戦後間もない頃まではロータリーと呼ばれていた。ヨーロッパ式の交差点で、交差点に入ったら決まった方向へ回っていき、行きたい方向へと出ていくというスタイルである。東京市内でも何カ所も作られていたようだが、結局定着することはなかったようだ。今やってきた王子新道は明治にできた新しい道だが、ここから先の板橋区役所の方へと向かう道筋は古い道で、高田道という。この道は板橋区役所の横を抜けて、旧川越街道と四つ又で交差し、子易神社を経て東武東上線の金井窪踏切を渡り、池袋本町へと繋がる。さらに池袋駅東口を経て高田村へと至る古道である。そして、この仲宿交差点から再び旧中山道を辿っていく。歩き始めると直ぐに右手にレンガ造りが特徴的な板五米店がある。板五というのは、この辺りがかつて板橋五丁目であったことによる。レンガ造りは、明治の大火の記憶からなのだろうか、この商店街では重厚な佇まいである。


その直ぐ先に、石畳の参道が奥へと延びているところがある。ここが遍照寺といい、宿場時代に馬繋ぎ場があったところ。この板橋では数少ない宿場町の痕跡と言える。寺は明治になって廃寺になったが、その後復活した。


その直ぐ先には、左へ入るやや広い道があり、突き当たりに大きなマンションが建っている。ここは今は赤塚へ移転し、東京大仏で知られる乗蓮寺の参道跡である。奥のマンションのところにかつては乗蓮寺があったのだが、首都高速道路の工事に伴う道路拡張で赤塚へと移転した。将軍家より朱印地を賜った格式ある寺院だった。板橋宿の名刹であった。
さらに、そこから先に進んで行った先に右へ入る道があり、奥に広場が見えている。この奥の広場の場所がかつて北豊島郡板橋町の時代に町役場が置かれていた場所である。明治30年から昭和7年に板橋区となって、大東京市となったときまで役場が置かれていたという案内板が設置されている。ちなみに、板橋には北豊島郡の郡役所も置かれており、こちらは平尾宿の花の湯の向かい側辺り、今は高層マンションが建っている辺りにあったようだ。


さらに賑わう商店街を抜けて行くと、右手にスーパーライフ仲宿店が見えてくる。この手前の不動産屋のところに石柱が立てられていて、板橋宿本陣跡と書かれている。スーパーライフのところが本陣跡ということだ。正確に言うと、スーパーライフの裏手のマンションになっている辺りだったようだ。


その少し先の左手、うなぎ「仲宿」の横手を入った所が仲宿の脇本陣の跡になる。こちらも石柱が立てられている。今はマンションが建っている。仲宿については、本陣、脇本陣共に飯田家が勤めてきた。本家と分家でその重責を支え合ってきた歴史があるという。


そのまま少し坂を下ったところが石神井川で、架かっている橋が板橋である。河川改修が行われて、橋が二つ架けられているように見えるが、右手が公園になっているところが旧河川の屈曲部の跡で、元々の板橋の掛かっていたところである。


この先が上宿となる。板橋を超えて、少し上りに掛かる辺りの信号のある交差点右手にあるのが、縁切り榎である。現在の位置は昔からの場所ではなく、元々は道の反対側にあったという。和宮降嫁の際には菰を被せて、急遽榎の木の前を通らずに通過できる道筋が設けられたという。こちらは明治の大火から町の中心が鉄道の駅に近い平尾宿へと移っていってしまったこともあって、賑わいも今ひとつである。この上り坂を岩之坂と呼び、戦前までは都内でも有数のスラムであった。岩之坂の貰い子殺しという事件でその名を知られるようになってしまった。貧しい時代に子育てに困っている親から養育費を貰い、子供を引き取ってそのまま子供を殺害したという事件であった。戦中から戦後に掛けて、スラムは解消されていったようだ。これも宿場町の衰退と、都心部での政府による根本的な施策を欠いたスラムクリアランスが行われた結果生まれた事態であった。


さて、少し引き返して、仲宿の本陣跡まで戻っていこう。戻って来た方向からみると左へ曲がっていくと、直ぐに左手に文殊院という寺がある。宿場時代の女郎の墓などもあり、ここも宿場町の記憶を留める場所である。本陣飯田家の菩提寺でもある。この道筋は御成道という。将軍が鷹狩りに訪れる場所であった。この先、突き当たって左へ行くと石神井川を渡る橋があるのだが、その橋も御成橋という。この道の突き当たりの正面の敷地は旧陸軍東京第二造兵敞跡地になる。


加賀藩下屋敷は、現在の建物で言えば北園女子学生会館の辺りまでであった。陸軍の造兵敞が拡張していって、下屋敷敷地からはみ出ていったわけだ。鷹狩りは御成橋を渡って、今でいう赤羽台の方で行われたらしい。この北園女子学生会館の端のラインが加賀藩下屋敷境界線。


この北園女史学生会館の向かい側の路地を入って歩いて見ると、住宅街というには少々無粋なコンクリート塀が残されている。足元に注意してみていると、陸軍用地という境界石も残されている。この路地がやはり加賀藩下屋敷の境界の道であり、コンクリート塀の残されてる側は陸軍造兵省内の将校用住宅であったところである。今もその当時の家が現存している。区立仲宿いこいの家の前を過ぎ、次の四つ角を左に出る。この辺りにも造兵敞時代のコンクリート塀や門柱など少し前までは残されていたのだが、家が建て替えられていくときに失われていき、徐々に少なくなっている。

二造の通用門の門柱。今は取り壊されてなくなってしまった。


右手には東板橋公園があるが、その反対側の加賀ガーデンハイツという大きなマンションの横を入っていくと、奥がロータリーになっている。その奥に歩道が続いているので、それを進んで行くと鉄製の階段が掛けられていて、それを上ると公園になっている。ここは東京都水道局の給水所の敷地上に作られた公園である。開園時間が決まっているので、要注意である。ここを通り抜けていくと石神井川の遊歩道へと出てくる。橋を渡ると目の前には帝京大学の真新しい病院の建物が聳えている。このガーデンハイツというマンションができる前は、明治製菓の工場があった。

というところで、二回目はこの辺りで。地図を造り直してみたので、差し替えておく。(2011.9.5)


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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
知らなかった (十条の人)
2011-12-03 14:52:09
色々勉強になりました 私は稲荷台に住んでいましたが知らない事ばかりでした
仲宿や石神井川 縁切り榎など良く行きますが
本陣や脇本陣 スラム街将軍の鷹狩など知らない事が沢山有りこのブログを良く読み散歩の時に連れに語ります 
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ありがとうございます。 (kenmatsu)
2011-12-03 17:44:06
板橋関連は、私も地元なので詳しく書いていければと思っています。記事中には書きませんでしたが、文殊院の前の通りには、今でも本陣を勤めた飯田家があります。
宿場時代の痕跡が、あまり残されていないことが残念です。
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今晩は (十条の人)
2011-12-05 21:23:35
こんばんは ライフの帰りに飯田家はどの辺
かな?と思って帰りましたが分から無かったです 今度又見つけながら帰ります・・・
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おはようございます。 (kenmatsu)
2011-12-06 07:16:56
ライフの方から行くと、右手になります。門構えが立派なお宅です。ちなみに。平尾宿の豊田家も今も健在です。
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さがしますね (十条の人)
2011-12-06 09:03:37
おはようございます 文殊院の前の道を帝京の方に行き右手側ですね?
捜して見ます・・・
平尾宿の豊田家はユニクロ付近ですか?
色々お尋ねしてチョット図々しいですね
(汗カキカキ)
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どうぞご遠慮なく。 (kenmatsu)
2011-12-06 09:21:07
是非、歩きながら探してみて下さい。本陣時代の資料などは、西高島平から少し歩く板橋区立郷土資料館に寄贈されているようです。企画展などで展示されることもあると思います。

http://www.city.itabashi.tokyo.jp/kyoudo/

平尾の豊田家は、不動通り商店街中程の「花の湯」という風呂屋さんの横を入っていったところです。しばらく行った左側のマンションが旧脇本陣の跡で、石碑と案内板があります。その通りの先に今もご健在ですが、こちらも古い建築物は残っておりません。
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何時もありがとうございます (十条の人)
2011-12-06 10:43:01
いつもありがとうございます
今度捜しながら歩いて見ます
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Unknown (十条の人)
2011-12-11 09:34:13
おはようございます 飯田家をみてきました
表札には板橋町下板橋・・・番地と有りました
何か歴史を感じました 脇本陣跡 縁切り榎
と散策をして来ました仲宿の歴史をじっくり見て見るのも良いものですね・・・
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御覧頂き、ありがとうございます。 (kenmatsu)
2011-12-11 18:21:52
見慣れた地元にも長い歴史があって、そう思って見て回ると新鮮に見えたり、愛着が湧いてきたり、色々楽しめるものだと思います。僅かでも私の拙いブログでお役に立てたとすれば、大変嬉しく思います。
どうもありがとうございます。
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