東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

「光は新宿より」尾津豊子著を読む

2014-07-26 18:08:09 | 書籍
「光は新宿より」尾津豊子著 K&Kプレス刊



アマゾンの内容紹介より
「昭和二十年八月十五日の終戦直後、焼け野原と化した新宿。その新宿に「光は新宿より」のスローガンを掲げ、様々な苦難を乗り越え、青空マーケットを再開、東京露店商同業組合の理事長として、約7万人を傘下に“街の商工大臣”とまで称された尾津喜之助。書名「光は新宿より」のとおり、人々の暗く沈んだ心に、希望の光を投げ掛けた尾津喜之助の七十九年間の隠された波瀾万丈の人生を喜之助の長女、尾津豊子が二十年を費やし書き上げた一代記。」

 本書は、新宿の戦後を語る上では欠かせない尾津組の親分の長女に当たる著者の書き記した父の記である。読み進めると直ぐに分かることだが、プロの文章家ではない著者が、父への追慕を込めて書いたものであり、その立場が明白であるが故に分かりやすいとも言える。敗戦直後の新宿に、「光は新宿より」という標語を大書した、尾津組の運営するマーケットが出来ていたことは、その時代を知らない私でも知っている。とはいえ、私の物心付いた時には、既に尾津組という時代ではなかったわけだが、その変化がどうやってきて、どう移り変わっていったのかということも、大きな流れとして理解出来る。敗戦から始まり、高度成長期に至るまでの世の移り変わりを知る売る上ではなかなか貴重な一冊であると思う。
 もちろん、先に書いたように本書は明確に、父親への追慕の念を形にしたものであり、違った側面からのストーリーを知りたいということもあるのだが、著者のスタンスが明確である分、受け取るこちらとしても理解しやすいというところはあると思う。

新宿歴史博物館の都電の車両を再現した展示。


 戦中に空襲が激しくなっていく中、新宿の目抜きからも疎開していく人々が多くいた訳だが、そういった人々に対する思いというのも、こういう感じ方、見方もあったのかというところがあって興味深く読めた。共感できるとか、納得出来ることばかりではもちろんなくて、それはいくら何でもと思うところももちろんあるのだが、立場が変わればそう見えるのかとか、そう感じるのかということを踏まえていけば、そういう感想を持つことは理解出来るというわけである。

新宿歴史博物館の宿場町であった当時の新宿のジオラマ。


 新宿という町は、本書でも書かれている通りに、関東大震災で江戸以来の市街地が大きな被害を受けた中で、都心部から溢れ出た人々によって発展した町だと言える。これは、東京の旧市街の周辺部全てにおいて共通するところである。その中でも、新宿は鉄道のターミナルとして、また新しい歓楽街として、大きく発展を遂げている。震災前の明治時代から鉄道の開通から古い宿場町がどう変わっていくのか、その前半部を知るには、中村屋、そして相馬夫妻についての書籍を追い掛けていくことで多くを知ることが出来る。そして、戦後の歩みを知る上では本書は貴重な記録になるものだと言える。尾津組に対する賛否があることは当然のこととして、その実態を知る上では、読んでおくべき一冊と言えるだろう。もちろん、本書が全てであるというつもりない。また違う角度から、新宿の戦後史を描いたものが見たいと思うが、当事者、そしてそこに極近い立場からの見聞録として、興味深い内容であることは間違いない。

 最終的に60年安保闘争に関連した話まで出てくる辺りは、引き込まれて読んでしまった。この件で、こちら側から見たアングルの話はこれまでにはあまり見たことがなかった。これはこれで、やはり読んでおくべきものがあると思った。

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