東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

「小河内村報告書 湖底のふるさと」小河内村著と「洪水と治水の河川史」大熊孝著を読む

2014-06-30 18:11:07 | 書籍
「小河内村報告書 湖底のふるさと」 小河内村編・刊 昭和13年(16年復刻版発行)


「 洪水と治水の河川史―水害の制圧から受容へ 」 大熊孝著 平凡社ライブラリー刊 2007年発行


 大まかな内容は、「小河内村報告書 湖底のふるさと」は昭和13年に小河内村によって刊行されたもので、現在も都民の水瓶として知られる小河内ダムの建設に伴い、姿を消すことになった小河内村のダム建設に振り回され、困り果てていく姿とその窮状を議会へと訴え出て、何とか解決しようという戦いの記録として残されたものである。
 大正15年に用地として選定され、地元は反対したものの、昭和7年に認可され、村は東京のためという説得を受け入れざるを得なかった。その後に、神奈川県との水利紛争が起きる中、用地買収は遅れ、ダムに沈む村は翻弄されていく。そして、買収金額も村民の納得を得られるものではなかったり、事態は紛糾していく。建設が決まったのなら、早く買収を住ませて移転し新しい生活を始めたいと願う村民は、混乱の中でただただ振り回されていく。この時の日本政府、東京市など、行政も極めてお粗末であり、甘言を持って村を説得したというのに、その後は混乱を放置してしまう。
 直ぐ先に離れることの決まった耕地を耕すものはいなくなり、村は荒廃し、収入を得られなくなったことで貧窮にも追い込まれていく。それが、昭和13年にようやく起工式を迎えて、数々の困難を記録に残すべく発刊されたものが本書である。
 大化の改新の頃には既に村があり、奈良、平安の時代に相当の文化を有していたという、武蔵国における有数の古村である小河内村の歴史と歩み、そしてダム建設に巻き込まれていく騒動の顛末が事細かに記されている。ここでこの問題の解決に奔走した人物として、後に岐阜羽島の新幹線駅の誘致を行ったことでも有名な、大野伴睦氏の若き日の姿が出ているのも面白い。

 小河内村周辺の地図。この時には、まさかこの実現が遙か先のことだとは、誰も思っていなかったことだろう。


 古い本だが、古書での流通はしている。そして、都内では東京都公文書館を始めとして、幾つかの区立図書館にも蔵書されている。


 これは現在の奥多摩湖の想像図である。大分感じが違ったかなと言う気もする。というのも、昭和13年に起工するものの、小河内ダムは当時の我が国では最大級の大土木工事であった。昭和18年に至り、戦局の激化により、工事は中断される。戦後は昭和23年になってから、ようやく工事が再開される。そして、建設工事用の専用鉄道まで敷設され、昭和32年にようやく竣工を迎えるという大工事であった。昭和13年の時点で「湖底のふるさと」と題される書籍が刊行されているのに、それが現実になるのに実に19年の歳月を要したのである。今日に至るまで、小河内ダム、そして奥多摩湖が都民の飲料水の一大供給源であることは変わらない。だけど、その建設の経緯を見ていくと、東京という大都市のために小河内村という歴史ある村が犠牲になっていった姿が、本書を読むと良く理解出来る。巨大都市のエゴが、小さな村を押し潰していったというのは、確かにその通りだと思うのだ。

 そして、もう一冊。「治水と洪水の河川史」である。こちらの内容は以下の通り。
アマゾンの内容紹介より。
「川とは、人にとってどのような存在なのか。近代治水技術の発展と限界を歴史的・具体的に検証し、自然との共生をめざす治水のあり方、「溢れても安全な治水」とは何かを追究した画期的著作。脱ダム問題なども含め、近年の研究を踏まえた新論考「川の本質を考える」を増補した新版。」

 治水というテーマで河川について解説されたもので、こちらでは利根川水系の江戸以来の変遷について、非常に詳しく解説されていて面白い。そして、足尾鉱毒事件の現場になった谷中村と渡良瀬川、その谷中村を潰して作り上げた渡良瀬遊水池というもの、それが利根川とどういった関係になっているのかと言うことなど、実に詳しく解説されていて、ようやく渡良瀬遊水池の意味が理解出来た。また、利根川の治水を行って来た中で、浅間山の噴火による火山灰の降灰がもたらした影響から始まり、足尾銅山による鉱毒事件、そしてその毒水を旧利根川である江戸川へ流す訳にはいかなかった事を踏まえての、遊水池の意味合いや河川管理のあり方についての話は、非常に興味深いものがある。

 もともとの江戸時代からの日本堤などによる、江戸市街を守るために現在の北区から荒川区、台東区へ掛けての低地部を氾濫原とするような治水のあり方についても解説されている。この利根川、荒川水系の歴史というものが、江戸開府以来の江戸の治水の根幹でもあり、その歴史的な経緯を知る上では本書は実に分かりやすくて、詳細なので有り難い。

 そして、この両書は東京の治水とも言えるテーマを共通している。片や、大都市東京への上水供給源として村を沈めてダムを築いた話であり、もう一つは東京へ鉱毒の水を流さないために谷中村を潰して、遊水池とした話である。どちらも、東京という巨大都市のエゴが生け贄を求めた物語であるとも言える。時代が変わっても、水から電力に変わっただけで同じことが繰り返されているのだと言うことが見えてくる。東京という町のことを考える上で、非常に重要なテーマを持った二冊、どちらも目を通しておくべき内容だと思った。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「資生堂という文化装置 1872... | トップ | 千駄木駅リニューアル工事と... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

書籍」カテゴリの最新記事