東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

「古川物語」森記念財団編を読む

2014-05-20 19:12:59 | 書籍
「古川物語」森記念財団編・刊 \1,620


内容紹介(本書の前書きより)
「けやきのきれいな表参道の通り、その脇に奇妙な道がある。交番の脇にあるその道に行くには階段を下りなければならない。表参道からは車や自転車が入ってこないので、一寸ほっとする空間である。そして表参道をわたった反対側をみると、ビルの並びが丁度切れた所に同じく階段がついている。気がついた人も多いと思うが、この道は昔は川だったのだ。
 (・・・中略・・・)
 川は渋谷駅の下を通り、東横線の脇で地表に顔を出す。ここからは渋谷川と呼ばれ、明治通りの脇を流れ、港区にはいる天現寺橋からは古川と名前を変える。多少増えた水量が川らしさを感じさせ、天現寺橋の下のたまりには港区役所が放流した鯉が泳いでいたりして、おやと思わせる。ここより下流は上空を首都高速道路に遮られながら、五の橋、四の橋、三の橋、二の橋、一の橋という数字の着いた橋の下を流れてゆき、最後は伊豆七島航路の客船が着く竹芝埠頭の南で東京湾に注いでいる。今では、古川の上流も川と呼ぶには余りにも虐げられた状態だが、かつては絵に描かれるような風情のあるところだった。そして、その流域は人々のいきいきした暮らしが繰り広げられたところでもあった。
 (・・・中略・・・)
 土地の記憶は、毎日の暮らしの中で生き続け、生活に彩りを与えてくれるものである。また、そこに暮らす人のアイデンティティとなって、郷土意識を育む糧ともなる。しかし、人の出入りの激しい現代では次々と新しい記憶が積み重ねられる一方で、過去の記憶は失われやすいものである。東麻布、麻布十番、白金の街にはどのような記憶が残されており、また、今創られているのだろうか。そして、それぞれの街の雰囲気や「らしさ」はどのようなものなのかを探ってみたい。」


 本書は、港区の古川周辺エリアの地域史をまとめたものである。古代からの土地の成り立ちから始まって、江戸時代以降の変遷についても地域ごとに詳しく著述されていて、このエリアの地域資料としては第一級の内容と言えるくらいに充実したものになっている。たまたま、図書館で手に取ったのだが、読んでみてその内容の濃さから入手してしまった。一般書店には出ていないが、森記念財団から直接購入することができる。

 本書で採り上げられたエリア、飯倉から麻布十番、そして古川橋の辺りから白金へ掛けてという地域だが、私にとってはこのエリアの都立高校に通っていたから、懐かしさと馴染みの気分がある。そして、麻布新網町には、私の母親が戦前の一時期暮らしていた。その後、霞町へ越すのだが、新網町時代に学齢を迎えたので、麻布小学校を母校にしている。そんな風に言うと、今のこのエリアの様子を思い浮かべられるかもしれないが、戦前のこのエリアは今とはかなり違った町であった。それは霞町も同様で、祖父が借家住まいで、好ましいと思うところへ越していたりというのが、かなり普通だった時代のことだ。終戦後に、板橋へと越して来たのだが、その後も鳥居坂の学校へ通っていたから、母親にとっては馴染み深い町である。そんな因縁もあって、本書はとても面白く読むことが出来た。


これは中世の港区周辺の様相を示したもの。都市化の権化のようなこのエリアの遙か昔の姿である。江戸時代でも、市中からは結構離れていて、落語でも相当に田舎扱いされているところだった。


東麻布編の地図。本書中には、江戸期の切り絵図から始まって、様々な地図も収録されていて、それを見ているのも楽しい。これは、飯倉周辺の本書で取り上げられているところを図示している。飯倉四辻、今の飯倉二丁目交差点の辺りに商店が並んで賑わっていたことなど、今の街からは想像するのが難しい。


赤羽橋から一の橋に掛けて、戦前と戦後に区画整理が行われて大きく町の様子が変わった様が分かる。幹線道路整備と古川の河川整備が同時に行われた。戦前の様子では江戸以来の町割の面影が残されていたことが分かる。新網町はこの辺りで、昭和11年7月から昭和13年6月までの間、祖父の一家がこの町で暮らしていた。そして、私の通った高校もこのすぐ近くにあった。


麻布十番商店街の老舗商店のリスト。昭和55年のものだが、果たして今はどのくらい残っているのだろうか。麻布十番を私が知ったのは、このリストが作成される少し前くらいの時代だが、東京のまん中、あの猥雑な夜の町六本木の隣に、こんな田舎臭い古色蒼然とした商店街があることに驚いたものだった。本書中でも、山の手で粋ではない町だと言われていたのに、いつの間にか古い雰囲気を残していたから下町といわれるようになってしまった、と言うことが書かれている。長い歴史を持つ店ばかりだが、これ以降のバブルの激しい波を乗り越えることのほうが、遙かに厳しかったかもしれない。


関東大震災前の麻布十番商店街。祖父は弁護士だったので、この商店街の老舗の相談に乗ったこともあると言うし、母の記憶では商店街入口の白十字の洋菓子がバンジュウで届いていたのを覚えているという。


これは麻布十番編の地図。私が最初に見た頃にはまだ往年の面影を留めていた十番商店街だが、その後の地下鉄南北線の開通などで大きく変貌しており、今では地元の商店街と言うよりは他所からの客を呼び込むような町へと変わっている。昔からの店は姿を消し、新しいメディア受けするような店が大幅に増えている。賑わっているものの、どこか若者向けの「巣鴨」になってしまったような気もする。


白金編の明治20年の地図と古川が氾濫した時の写真。今は南麻布なんて言う辺りでも、バブル期前には坂を上っていくと、空き地があって、古びた床屋が寂しげにあったのを覚えている。今では、それがどこだったのかも分からない変わり様だ。


昭和16年の古川の南側、白金三光町辺りの地図。この辺りは、戦災を免れているところがあって、北里研究所前の通りなど、タイムスリップしたような商店街が残されている。以前、このブログ「港区白金五,六丁目」でも紹介したことがある。

狭いエリアの中のことを丁寧に掘り下げていて、とにかく面白く読むことが出来た。これ程の深い内容の地域史をまとめたのが、町ごと根こそぎ痕跡を残さずに消し去る開発を行う、森ビルの財団であるというのは、何とも皮肉に思えてしまう。この財団は他にも書籍の刊行をしているのだが、こんな内容のものはこれだけしか見当たらない。少し皮肉っぽいことも言いたくなるのだが、それだけ本書の中身が濃いということを改めて書いておきたい。このエリアの事を知るには、決定版と言っても良いだろうと思う。良書だと思う。

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