東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

「僕の東京地図」安岡章太郎著を読む

2013-07-13 17:24:51 | 書籍
「僕の東京地図」安岡章太郎著世界文化社刊



 「僕の東京地図」は、そのタイトルからみれば、佐多稲子の「私の東京地図」に触発された様に思える一冊である。安岡にとっての東京を、私的に振り返っていくという趣向の本である。大正9年に高知で生まれた安岡は、軍人であった父親の転勤と共にあちらこちらへと引っ越しを繰り返したというが、彼にとっては最初の記憶が残る土地が、千葉県の市川市であったそうだ。そして、その後も引っ越しを重ねていくのだが、戦前の東京では借家が数多くあって、それぞれの経済状況に見合った物件が多数合ったようで、何度も引っ越しを重ねるというのも、そう珍しい話ではなかったようだ。私の祖父も、昭和7年の結婚以来、都心部から郊外まで、あちらこちらと点々と引っ越している。昭和13年に麻布霞町に落ち着くまで、7年間に五回の引っ越しをしている。どれも借家であった。

 私にとっては、安岡章太郎の本書が興味深いのは、私の両親よりは一回り強年長の著者の思い出のある東京の町の姿というのが、その為に私が親から聞いて知っている同じ町の姿よりも少し前の時代を伺わせてくれるところに妙味があると言える。
 本書で取り上げている町は、「小岩 市川 江戸川」「隅田川周辺」「浅草 吉原」「上野界隈」「神田」「九段 靖国神社」「赤羽 荒川」「青山」「道玄坂から松見坂へ」「下北沢」「大森」「多摩川河畔」といった目次になっている。安岡の歩んだ人生をなぞるように、これらの町を再訪していくところなど、明らかに佐多稲子にインスパイアされていることを感じる。佐多は、長谷川時雨の「旧聞日本橋」にインスパイアされて「私の東京地図」を書いているわけで、その辺りを思うと何とも面白いと思う。長谷川時雨が書いたのは、彼女自身の生まれ故郷であり、時代が進む中で失われていく育った町への愛惜を込めた文章であった。佐多稲子は長崎の生まれで、幼いうちに一家で上京し、明治末から大正に掛けての東京で彼女は育った。その背景となった町へ,彼女らしい愛惜を込め自身の半生を振り返りながら、その時代をも見通して描いた作品が、「私の東京地図」という作品になっている。
 そういった意味合いからは、高知生まれで、間もなく上京し、東京で育っていった安岡の描いた本書は、佐多の東京地図の構図の中に、安岡の人生が書き込まれているかのような面白さが感じられる。

 中でも、興味を惹かれたのは、「赤羽 荒川」という項目。昭和9年から昭和10年に掛けて、安岡は中学生の間、赤羽の清勝寺という寺に預けられていたという。この清勝寺は、赤羽の駅から程近いのに、急な石段の参道があって、その上に周囲の喧噪を他所にいまも残るお寺である。太田道灌に縁が深く、道灌の木像が祀られている。このブログでも取り上げたことがあるところだが、そこにかつて少年時代の安岡がいたと聞くと、何とも不思議な気がする。素行不良が原因であったというのだが、なんとも興味を惹かれてしまう。

「退屈すると、僕は境内の裏手の墓地へ行った。お墓を見て歩いたって、べつに面白いわけはない。ただ、人けのないところへ行くと、僕はなぜかホッとするのだ。誰からも見られていないということは、誰にも疎外される気づかいがないということだからだろうか。しかし、誰も見ていないところというのは、なにか秘密のよろこびがある。何もないことはわかっていても、僕はそこにある種の期待感を持つ。
 墓地は、そんなに広くはないので、墓石を一つ一つ、裏側までまわって刻みつけられた文字を読んでみたり、地べたを這いまわっているアリの列を眺めたり、卒塔婆の古いのや新しいのを勘定したり、そんなことをしながらでも、たちまち境界の生け垣のところまできてしまう。生け垣の外側は、崖のような急斜面になって落ちこんでいるだけだ。やっぱり墓地には何もない。しかし、そう思いながら、ふと、崖下の家をみると、いつも二階の廊下や、物干し台に赤い蒲団を干している家があって、僕は一瞬、どきりとする。
 あれは何だろう?何でもありはしない。そこは三業地とか呼ばれる地帯で、どぶ川をはさんで両側に、入口に塩を盛ったりした家が何軒か並んでいる。僕は、そういう家が何をするところかは、知らない。ただ、墓地のはずれまできて、崖下のそういう家々の裏側を眺めていると、誰にも見られていないということからくる期待感と見合う何かが、そこにありそうな気がしてきたことは、たしかだった。」

 という辺り、今は三業地の面影も消え去ろうとしている中で、往年の光景が目に浮かぶようだ。弁天通という、三業地跡の道筋は道路拡張が行われている最中で、これが出来上がると、安岡の見た景色はまた遙か遠い印象の町になっていくことだろう。
 現在の清勝寺。赤羽駅周辺は、安岡の知る町とはまるで違う町に変貌している。


 清勝寺の境内は、恐らくは一番変化の少ない場所であるように思える。


 また、「青山」で描かれているのは、今日の青山とは違う町であるかのような姿でもある。

「いや、表参道には限らない、青山というところは元来軍人の作った町であった。後年、僕自身、六本木の東部六連隊(いまの防衛庁)に入営したが、あのへんから麻布にかけて、あっちこっちに軍隊があり、神宮外苑ももとは青山練兵場と称して、兵隊が穴を掘ったり鉄砲を撃ったり、硝煙と馬糞のにおいの立ちこめる場所であった。僕は、初年兵で北満(中国東北地方)へつれて行かれるまでの一週間、毎日あの外苑で速歩行進だの脚絆捲き競争だの、兵隊の初歩の訓練をうけた。」

 私の母親の実家は、昭和13年から20年まで、麻布霞町にあった。ここも借家だったのだが、当時小学生の母は、麻布小学校へ通っていた。よく、三連隊がすぐ近くだったので、兵舎のラッパの音色が淋しげに聞こえてきた話など聞いた。また、民泊といって、入営する兵士が一般家庭に宿泊することがあって、その時に撮影された記念写真を見たこともある。昭和19年になると、縁故疎開で東京を離れることになるのだが、この時代の安岡とどこかですれ違っていてもおかしくはない。六連隊が今の防衛庁と書かれているが、ここは今では六本木ミッドタウンという超高層ビルが建っている。防衛庁は防衛省となり、市谷へと移転している。青山辺りが、東京の外縁に当たっていて、都市化が進行する瀬戸際頃の状況というのは、今となっては尚更貴重な話だと思う。あの周辺の軍関係の施設というのも、次第にその痕跡すら薄れてきている様に思う。

 国立新美術館別館。麻布三連隊の兵舎の跡。これが,今となっては軍の町であった六本木に残る唯一の痕跡といっても良いような状況になっている。


 本書で触れられているわけではないが、これは乃木坂の向かい側、住所でいえば南青山一丁目あたり。かつては、射撃場があって、鉄砲山と呼ばれていた辺り。


 「道玄坂から松見坂」というのも、私にとっては思い出深い辺りの話で、年代が大きく違うとは言え、何とも不思議な気分になった。
「朝は、玉川(東急)バスで渋谷まで出て、渋谷から市電(都電)に乗り、明治神宮前(表参道)もしくは高樹町で下りる。帰りは、東横線や玉川線できょう友達が一緒のときは渋谷まで歩き、そこから淡島行きの玉川バスで松見坂の家にかえる。しかし、渋谷から松見坂までは、子供の足でも歩けない距離ではなかったので、よく一人でぶらぶらと歩いて帰った。道玄坂を上り、百軒店を抜けて神泉へ出ると、そこから松見坂は一と跨ぎである。」

 松見坂は、今は山手通りと淡島通りの交差点にその名を残している。あの辺りは、渋谷駅からもそう遠くはなくて、その気で歩いてみれば呆気なく辿り着ける距離だったりもする。

「昭和七、八年のその頃、まだ道玄坂は舗装が出来ておらず、雨が降ると赤土色の泥水が坂の上から滝みたいに流れてくるし、普段の日でも路面はデコボコのうえに穴だらけだから、バスに乗っていると坐席の上で体が踊り、しばしば床に叩きつけられそうになる。子供の僕には、そういうバスも面白かったが、夜店の出ている道玄坂をぶらぶら歩きながら、カフェーの並んでいる百軒店の小路をすり抜けて通れるのは、やはり別種のスリルにとんだ興味があった。」

 この頃か、もう少し前の渋谷の様子は、「大正・渋谷道玄坂」という本にも詳しい。道玄坂の夜店には、一時は林芙美子がいたことがあるという。
 この松見坂の辺りというのは、山手通りが立体交差を設けて、旧山手通りとの分岐点から戦後に建設された国道246号線の大橋の下を潜っていく道の辺りである。この界隈は、首都高速道路の山手トンネルが開通して、風景から何から一変してしまっている。トンネル自体は地下を通っていて、池尻のかつて玉電の車庫、その後は東急バスの車庫になっていた土地が転用されて、高架の高速道路へと連絡道が設けられている。だが、大規模な工事で、松見坂辺りはかつては広々した雰囲気のあるところだったのが、今は大規模工事のダイナミズムに組み伏せられたような空気の場所になっている。

 といったような具合で、読んでいて、自分の記憶の中の街と照らし合わせていく作業が楽しい。そして、安岡の年代と自分の年代の違い、その変化の有様、そして昭和60年に書かれてから今日までの、すでに28年間もの歳月が経過していることにも、複雑な思いを抱きながら、読み終えた。安岡は、本年一月にその人生を終えている。亡くなる前に、本書の話が出来たなら、どんなことを語ってくれただろうかと想像してしまう。

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