東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

「新宿駅が二つあった頃」阿坂卯一郎著を読む

2013-07-16 19:04:58 | 書籍
「新宿駅が二つあった頃」
阿坂卯一郎著
第三文明社刊


 本書は大正生まれの著者が、故郷の鹿児島から父親の転勤で上京してきてから、新宿周辺で暮らし、通学し、やがて就職していく中で、町がどう変わっていき、世の中の空気がどう変わっていったのかが、その中で少年から青年へと成長していく姿と共に描かれている。
 冒頭では、関東大震災の有様から始まる。東京の旧市街の下町エリアとは様相の異なる描写で、一方では旧市街が焼失していく炎に染められた夜空を眺めたことなども出てきて、生々しい。そして、なによりも新宿という町が、この震災を契機にして、一気に近代的な山の手の繁華街として変貌していく姿が描き出されている。武蔵野の面影の残る鄙びた郊外から、ひっきりなしに数多くの人が訪れてくる、新興の繁華街への転換していく様が描き出されているところが、なによりも貴重である。その変化の瞬間にこの町で暮らしてきた人ならではの、皮膚感覚を伴った描写があり、引き込まれる。

 タイトルの新宿駅が二つあったというのは、実際に電車運転の開始から甲州街道に近い所と、より北側の青梅街道に近いところの二ヶ所にホームを設けていた時期があったということを指している。この当時、西口には専売局の工場があった。この状態が、明治の頃から本書に描かれている震災後の昭和の初めまで続いていたのである。新宿周辺には、今日の姿になるまでの変遷の中に、興味深い話が多い。
 京王線が元は新宿三丁目付近に始発駅を持っていたこと、その経緯から今も京王の本社ビルがその跡地付近にあること、現在位置に駅が設置される経緯なども、興味深い。
 また、伊勢丹の新宿進出とほていやの買収というのも、新宿の近代史の中では、外すことの出来ないポイントである。現在、伊勢丹新宿店のある敷地の西側の部分がかつては東京市電の車庫であったことは知ってはいた。また、ほてい屋の建物に合わせて伊勢丹がビルを建てたことも聴いたことがあったのだが、その経緯についても本書では詳細に触れている。
 内藤新宿と言われた甲州街道第一の宿場町から、今日の新宿という町への変貌を遂げていく第一歩を詳細に記録しているという点では、これ以上のものはないだろうとさえ思える。

 旧制中学に通いながら、昭和の初めの不景気な時代の中で、頭の固い父親に悩み、自らの行く道を求めて彷徨っている自身の姿を、脚色せずに描き出している点でも共感が持てる。時代が変わろうとも、人の心は変わらないものだと感じる。

 また、最初に本書を手に取ったとき、第三文明出版社というところに、「?」と思ったことは確かだが、本書の内容については疑念を持つ余地のない、新宿という土地の歴史を知る上で欠かせないものであったことも付記しておく。青蛙房から刊行された大正っ子シリーズを以前紹介したが、それらに匹敵するし、震災前後から戦前の昭和期の新宿についての詳細な記録として、非常に価値のあるものだと思う。

本書より
ほていや(現伊勢丹)屋上から四ッ谷方面の眺望


新宿三越は、当初は現在のスタジオアルタのところにあった。現在地へ移転した当時の姿。そして、下段はほていやに隣接して伊勢丹が建設された姿。ほていやの買収を睨んで、ほていやの建物に合わせて建設されたのだった。今も新宿伊勢丹は、この当時の建物のまま使われている。


そして、大正12年頃の新宿駅周辺の地図。淀橋浄水場へ線路が延びているのは、浄水場建設用の臨時に引かれた線路であろう。西口には専売局の工場がある。


昭和10年頃の新宿駅周辺地図。大分今日の姿に近付いている。この頃は、歌舞伎町はまだ無かった。その場所も繁華街には程遠いまちだった。


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