さて、池上道の寄り道中で大井警察署入り口で曲がった滝王子通りを見て歩いている。この道は古くから商店街で栄えていたらしい。そんな面影が今も残されている。元理髪店だろうか、タイル貼りの店構えが趣を感じる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/8b/6c5245c2bee6a5c34ce1434b766cd7d5.jpg)
滝王子通りの商店。既に営業されていないところもあるのだが、往時の雰囲気を感じ取れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/a2/d05be22e4736162a97db6624361a67fb.jpg)
木造建築の壁に残る、隣家の記憶。隣にあったのは平屋だった事が分かる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/65/1a1fa9a1c2737313ed9565102873d227.jpg)
滝王子通りを見渡す。池上通り方面を見たところ。このまま真っ直ぐに行くと、第一京浜を越えて、旧東海道と交叉して、大井競馬場前を通って埋立地まで続く道になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/2e/4404eecb0e24e62b3a85ad554b25330c.jpg)
キリスト教の大井教会の前の交差点を南に曲がると原町通り商店街が伸びている。この道も曲がりくねっていて、古くからの道のようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/09/10a3783cff191d46699de26c92d0459a.jpg)
この辺りの商業的な繁栄の歴史を感じさせる仕舞た屋。瓦屋根が重厚だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/7a/276db8586405cce1bed1c3be922fa840.jpg)
JR横須賀線の西大井駅。正確には品鶴線というべきなのだろうか?昭和4年に開通して以来、貨物専用線だった時代が長い。昭和55年に横須賀線が東京地下駅に乗り入れるようになって、こちらを経由していく形になり、旅客営業が始まった。それでも、旅客営業が始まってから、もう35年が経過したと知ると驚いてしまうのだが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/53/08c3993f15198a2cd3a3a2d87ae0aac5.jpg)
さて、西大井駅までいかずにそのまま踏切を渡ると、緑濃い一郭がある。それが伊藤博文の墓所である。長く伸びる塀に圧倒されるような感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/4e/352efd5be62e5bdfec5e78bdff6aa5e8.jpg)
普段は一般公開されていない。伊藤家の為だけの墓所であるのだが、個人でこれほどの墓地というのは他にあまりないのではないかと思うほど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/d4/fd781ad0b30f8049fd2dcd9d74e30297.jpg)
改めて書いておくと、
「伊藤博文(1841~1909)周防国出身。長州藩の私塾である松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加。維新後は薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、岩倉使節団の副使、参議兼工部卿、初代兵庫県知事(官選)を務め、大日本帝国憲法の起草の中心となる。初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監を歴任した。内政では、立憲政友会を結成し初代総裁となったこと、外交では日清戦争に対処したことが特記できる。元老。アジア最初の立憲体制の生みの親であり、その立憲体制の上で政治家として活躍した最初の議会政治家として、高い評価を得ている。1909年、ハルビンで朝鮮民族主義活動家の安重根に暗殺された。」(wikipedeiaより)
門から中をのぞいてみる。命日である10月26日の前後には公開されるそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a0/e9d94fd14e95095793e35a872e7c3959.jpg)
隣接して、品川区立西大井緑地公園があり、その中から少し雰囲気を感じとる事ができる。
伊藤博文は、幕末には品川宿の土蔵相模に集まって、御殿山に建設中だった英国公使館焼き討ちに参加しており、品川との縁は深いとも言えるだろう。
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滝王子通りの商店。既に営業されていないところもあるのだが、往時の雰囲気を感じ取れる。
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木造建築の壁に残る、隣家の記憶。隣にあったのは平屋だった事が分かる。
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滝王子通りを見渡す。池上通り方面を見たところ。このまま真っ直ぐに行くと、第一京浜を越えて、旧東海道と交叉して、大井競馬場前を通って埋立地まで続く道になっている。
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キリスト教の大井教会の前の交差点を南に曲がると原町通り商店街が伸びている。この道も曲がりくねっていて、古くからの道のようだ。
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この辺りの商業的な繁栄の歴史を感じさせる仕舞た屋。瓦屋根が重厚だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/7a/276db8586405cce1bed1c3be922fa840.jpg)
JR横須賀線の西大井駅。正確には品鶴線というべきなのだろうか?昭和4年に開通して以来、貨物専用線だった時代が長い。昭和55年に横須賀線が東京地下駅に乗り入れるようになって、こちらを経由していく形になり、旅客営業が始まった。それでも、旅客営業が始まってから、もう35年が経過したと知ると驚いてしまうのだが。
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さて、西大井駅までいかずにそのまま踏切を渡ると、緑濃い一郭がある。それが伊藤博文の墓所である。長く伸びる塀に圧倒されるような感じ。
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普段は一般公開されていない。伊藤家の為だけの墓所であるのだが、個人でこれほどの墓地というのは他にあまりないのではないかと思うほど。
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改めて書いておくと、
「伊藤博文(1841~1909)周防国出身。長州藩の私塾である松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加。維新後は薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、岩倉使節団の副使、参議兼工部卿、初代兵庫県知事(官選)を務め、大日本帝国憲法の起草の中心となる。初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監を歴任した。内政では、立憲政友会を結成し初代総裁となったこと、外交では日清戦争に対処したことが特記できる。元老。アジア最初の立憲体制の生みの親であり、その立憲体制の上で政治家として活躍した最初の議会政治家として、高い評価を得ている。1909年、ハルビンで朝鮮民族主義活動家の安重根に暗殺された。」(wikipedeiaより)
門から中をのぞいてみる。命日である10月26日の前後には公開されるそうだ。
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隣接して、品川区立西大井緑地公園があり、その中から少し雰囲気を感じとる事ができる。
伊藤博文は、幕末には品川宿の土蔵相模に集まって、御殿山に建設中だった英国公使館焼き討ちに参加しており、品川との縁は深いとも言えるだろう。
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池上通りから二番目の滝王子交差点を左折すると直ぐ小さなお稲荷様が有りがあ境内に恐らく日本一低い富士塚が有りますお稲荷様の脇に池が有り大きな池の主みたいなスッポンが居ます
1981年に越してきた頃は
まだまだ古い家がありましたが
今は新しい家が多くなりました