東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

台東区谷中~その三

2011-05-30 10:32:50 | 台東区
さて、いよいよ谷中も大詰め。三回目のスタートは、谷中墓地の入り口辺りから。ここに、荒川区西日暮里と東日暮里を一カットずつ含めておく。撮影日は1982年2月2日3日と13日16日。現在の画像は2011年5月25日。羽二重団子のカットを追加。(2011.6.9)

六丁目4番。吉田屋酒店。今はこの場所から少し離れた台東区下町風俗資料館の付帯施設として、上野桜木の交差点の角へ移設されている。この頃はこんな感じ。三崎坂の通り側には蔵が並ぶ。左手には家の玄関があり、庭もあった様子が窺える。現在の移築後の姿も合わせて。


七丁目4番。喫茶かかし。谷中墓地の入り口。


七丁目2番。谷中墓地内、墓参の人の為の花やらの世話をする坂本家。モルタル仕上げになっている以外は、今も変わらない。


七丁目2番。これも同じく谷中墓地内のふじむらや。ここも変わらない。


七丁目5番。その反対側にある花屋の老舗花重。店名が老舗花重である。ここも今も変わらない。


七丁目5番。西日暮里の諏方神社へ向かう尾根筋の道に面したところ。高橋紙工にヤマザキパンの看板が見えている。向こうは三崎坂上。建物は今も健在。


五丁目1番。菓子屋と言うよりは駄菓子屋と言う風情。煎餅、お菓子の初音堂。午後になると子供達が小遣いを握りしめてやって来るのだろうか。向こうには中華の珎々亭支店の看板が見える。今は駐車場になっている。珎々亭は今も営業している。


五丁目2番。すこし日暮里方向へ行ったところ。良い感じの仕舞た屋。今も変わらない。


七丁目17番。旧蒲生家住宅。今は町興しの基地になっているようで、森中学というらしい。大分手が入っているが、大切にされているのが分かる。


五丁目8番。その向かいの路地を入ったところが、観音寺の築地塀。この頃は特に見に来る人も見掛けなかった。


七丁目18番。寿司恵。並びの家は、真四角で総二階、硝子の入った引き戸が面白いが、結構傷んできている。手前の家には櫛田タクシー営業所の看板がある。個人タクシーをされていたのか。奥には木村屋酒店の看板が見える。今は両隣は駐車場になっていて、同じ看板は見あたらない。


五丁目9番。錻力店吉川は今も変わらず、観光スポットになっている。


五丁目11番。日暮里駅前の通り、今は夕焼けだんだんの通りというべきか、に交差する角。タバコ屋の隣は表装と見える。角は和泉家石材店で今も変わらない。


七丁目20番。日暮里駅前の通りに面した建物。これは今見ると、かなり凄い。蔵はあるし、大きな屋敷というべきか。この頃何かに使っていたのだろうか?今はマンションになっている。


荒川区西日暮里三丁目2番。日蓮宗本行寺。今と比べると木々が育っていないので、スッキリしている。今も変わらない。日暮里駅前で、こちら側は荒川区になる。


荒川区東日暮里五丁目54番。根岸の名店、羽二重団子。創業文政二年と書かれた看板も見える。この頃ビルになっていたのだが、隣接して古い建物が残されていた。今はここもビルになっている。何故か、このカットだけこちらに回って撮影している。


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