以前、このブログでお知らせした板橋区の板橋宿最大の旅籠であった伊勢孫の跡地が分譲地化されるという件だが、久し振りにその場所を通ってみたら、明治以来のものだったと思われるレンガ塀がきれいさっぱり無くなっていた。まだ、分譲地の造成が始まっていないのだが、久し振りにそこを通って驚いた。板橋区仲宿41。
元々は、旧中山道から奥まで続いていた訳で、そのままの敷地というわけではないのだが、宿場の痕跡があまりの超されていない板橋では、貴重な存在だったとは思う。広い敷地で中に新しい建物があり、宿場時代からの痕跡はレンガ塀だけではあったのだが。取り壊し前の様子を合わせて掲載しておく。こちらは2014年3月に撮影したもの。最初のカットとほぼ同じアングル。
これは裏手の側。モルタルが上から塗られたレンガ塀が続いていた。馬車除けの石が塀際に埋められていた。石は撤去する指示が地面にチョークで書かれていた。
かつてあった家の玄関付近。取り壊し作業の入口にもなっていた。この辺りはレンガ塀が元々取り払われていて、新しく雰囲気を合わせた塀が作られていた。
この伊勢孫横に入ってくる道筋の入口の方から見たところ。旧中山道よりの家は変わらないので、旧伊勢孫のレンガ塀の一部は今後も残される。板橋宿最大の旅籠のスケール感を実感するには、ここに十三棟建つというのでその工事前に見た方が良いだろうと思う。
再度、前回掲載した昔の板橋宿マップを掲載しておこう。
そして、これが伊勢孫。
元々は、旧中山道から奥まで続いていた訳で、そのままの敷地というわけではないのだが、宿場の痕跡があまりの超されていない板橋では、貴重な存在だったとは思う。広い敷地で中に新しい建物があり、宿場時代からの痕跡はレンガ塀だけではあったのだが。取り壊し前の様子を合わせて掲載しておく。こちらは2014年3月に撮影したもの。最初のカットとほぼ同じアングル。
これは裏手の側。モルタルが上から塗られたレンガ塀が続いていた。馬車除けの石が塀際に埋められていた。石は撤去する指示が地面にチョークで書かれていた。
かつてあった家の玄関付近。取り壊し作業の入口にもなっていた。この辺りはレンガ塀が元々取り払われていて、新しく雰囲気を合わせた塀が作られていた。
この伊勢孫横に入ってくる道筋の入口の方から見たところ。旧中山道よりの家は変わらないので、旧伊勢孫のレンガ塀の一部は今後も残される。板橋宿最大の旅籠のスケール感を実感するには、ここに十三棟建つというのでその工事前に見た方が良いだろうと思う。
再度、前回掲載した昔の板橋宿マップを掲載しておこう。
そして、これが伊勢孫。
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