東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

最暗黒の東京~松原岩五郎著

2011-10-06 20:45:03 | 書籍
さて、今回は東京の裏面史というべきか、明治東京のスラムのレポート、「最暗黒の東京」松原岩五郎著岩波文庫刊を取り上げようと思う。


大抵のことでは驚かなくなりつつあるが、この本も目下絶版のようだ。この本は、二葉亭四迷の影響を受けて仮想社会の探訪を始めた著者が、明治中期の東京のスラムへと潜入してものにしたルポルタージュである。この当時の東京のスラムといえば、芝新網町に四谷鮫ヶ橋、下谷万年町が知られた存在であった。芝新網町とは、今の浜松町駅にほど近い浜松町二丁目の一角だった。浜松町駅の出入り口が長い間、新橋寄りにしかなかったのはこの存在が故だったという話を聞いたことがあるが、真偽の程は定かではない。
また、四谷鮫ヶ橋は当時開通した甲武鉄道の車内からもよく見え、その場所が赤坂御所に隣接していたことで、当時から論議の的になっていたようだ。

これらのスラムでは、どんな人々がどのように生活していたのか、その有様を自らそこに潜入して書かれたものが本書である。そこに暮らす人々は貧しいが、その世界にはその世界の経済があり、生活がある。その様は悲惨でもあるが、逞しい生命力の表れでもある。そして、明治維新以後、封建社会が崩壊し近代国家が成立していく中で、こぼれ落ちていく人々が数多くいたこと、それらの人々も日々を生きていたことの証しとこの一冊はなっている。

四谷鮫ヶ橋は、その立地から早期に政府に目を付けられて、スラムクリアランスが行われていく。それは、海外からの人々にみっともなくて見せられないといった考えから行われたことで、何故社会からはじき飛ばされていく人々が出るのかとか、どうすればそういった人々を救う道があるのか?といった考察は一切行われず、単純に住人を追い立てて住居を撤去していっただけだった。その結果、都心のスラムはなくなったかもしれないが、周辺部に移動していっただけという結果を生むことになった。

その辺りを含めて、板橋の歴史を振り返る中で、次回取り上げるべく準備中。ただし、岩之坂について改めて取り上げるつもりはない。こちらについて知りたければ、小板橋二郎著「ふるさとは貧民窟(スラム)なりき」をお勧めする。岩之坂で育った筆者が当時の様子を綴った一冊で、その様子を知るにはこれ以上はない一冊である。板橋区立西台図書館には蔵書もある。

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