そして、続いては根津。とはいえ、歩いたのは不忍通りの外側の谷中、池之端に接するエリアだけ。今は暗渠になっている藍染川沿いのエリアというべきか。根津神社の門前であり、明治までは根津遊郭も置かれていた場所。本郷に帝国大学が出来て、そのお膝元に遊郭というのもということで、洲崎へと移転していった訳である。旧町名は、根津須賀町、根津清水町、根津藍染町、根津片町、根津八重垣町、根津宮永町、根津西須賀町に向ヶ丘弥生町の一部を合わせたという。弥生町は弥生式土器が初めて出土した,その名の由来となった地名。私が歩いたエリアでも町会名に旧町名が残されていて、愛染町や宮永町という名前には見覚えがある。ここでのハイライトは、まずははん亭だろう。そして,以前なら茨城県職員宿舎も堂々たる佇まいだった。撮影日は1982年2月2日3日と13日16日。現在の画像は2011年5月25日、6月7日。
二丁目13番。東京メトロ千代田線根津駅で降りて、根津一丁目の交差点から裏へ入ったところ。タケナミ自転車店、理髪店、電気店、その向こうには飲み屋の九ちゃん。九ちゃんの看板には岩手陸前高田の銘酒酔仙の文字がある。今も建物は変わらないのだが、同じ看板は九ちゃんだけ。
二丁目13番。小野畳店、隣はタバコ屋。店舗は休みなのか、仕舞た屋なのか不明。建物は健在だし、小野畳店も健在。今は右側はあいているようだが、東日本大震災で傷んだ様子。
二丁目13番。塀が巡らされて,日本家屋に一部洋館の造り。角には車庫もあって、堂々たる御屋敷。前に止まっているBMWの6シリーズ,この頃はスーパーカー感覚の雲の上の車。この家は今も大事にされている。
二丁目10番。その並び。博信看護婦家政婦紹介所、安川ひろという看板が見える。今はマンションになっている。
二丁目12番。その向かい側がはん亭。この当時から串揚げのお店として営業されていた。明治に建てられた木造三階建ては大迫力。
二丁目12番。この建物が魅力的なのは、三階部分と二階建て部分が合わさった構造になっていること。立派な造り。
二丁目12番。不忍通り側からの眺め。この頃はこちら側は風貴堂という漆器のお店だった。今は不忍通りの拡幅で建物が削られてしまうという事態が起きた。耐震補強の意味もあるのだろうが、今はこんな形になっている。
二丁目11番。不忍通り沿いの住田純ドライクリーニングに岩野邸宅社。隣はメガネの正興社。今も変わらないのは、左隣のプロカッティングサロン。看板まで同じ。不思議なことに、新しくビルが建って違う不動産屋が入り、その隣も違うクリーニング屋になっている。(以前池之端にアップしたが、正確には根津なので、こちらに移動しました。)
二丁目8番。さて、元の通りに戻って来て、はん亭の向かい側の並び。物干し台が見事。板塀が大分やれてはいるけど。今も健在で、手を入れてスッキリしたところ。これからも元気でいて欲しい建物。
二丁目6番。更にその並びを進んでいくと角になる。坂角のえびせんべいは名古屋の名品だけど、この頃はここに東京進出の足場を築いていたようだ。今はビルに成り、珈琲館が入る。
二丁目6番。曲がりくねった道に沿って長屋。ネームかけはぎの東京商事の看板が目立つが、その手前も自転車が並んで営業している様子が見える。何屋さんだったのか。今は珈琲館のビルが続く。
二丁目14番。茨城県職員東京宿泊所。大豪邸で庭も広く、素晴らしい住宅だった。とにかく壮大で立派な家だった。地元でも保存運動があったらしいのだが、取り壊されて介護付き老人ホームになっている。これほどの家はなかなかないだけに、もったいなかったと思う。
二丁目14番。ブリキヤ國嶋。一階の店舗内に車が収まっていて、二階の手摺り部にはハシゴやら資材やらが置かれている。いかにも職人さんの日常の香りがする。今は空き地。
二丁目14番。萬屋三浦酒店。隣はクリーニング屋。モルタル造りの看板建築。それほど古いものではなさそうな感じ。今はどちらも建物も店も変わっている。
二丁目23番。言問通りを越えて旧藍染川沿いを行く。昭和スタンダードな木造住宅,庭には木が植わる。今は建て替えられている。
二丁目32番。今ではこの界隈の名所になっている染物丁字屋。この頃はいかにも染物屋という感じで、通りすがりで店に入れるような雰囲気はなかった。でも、変わらずに営業されていて、今は地域の町興しの柱になっているのは立派なことだと思う。
二丁目33番。雪印牛乳根津販売所、貸本なかよし文庫、鈴木塗装店、テート薬局と並ぶ。今は角からの長屋は取り壊され、マンション建設が始まっている。テート薬局は健在。
二丁目31番。藍染大通りという名前が付いてるけど、短い区間。榊原商店。両隣は様変わりしているが、今も変わらない。
二丁目30番。石川書店、隣はあんみつの芋甚尾張屋。今は芋甚はビルになっている。
二丁目33番。これまた見事な長屋である。大分よれよれではあるけど...。裏が空き地で駐車場になっている。今は全ての敷地にマンションが建っている。
二丁目33番。クリーニング兼六舎に荒川米店愛染町販売所。右側の印刷会社は有限会社荒口静山堂と見える。米屋さんの配達はホンダのホークIIの250cc。兼六舎は今も変わらず、荒川米店は建て直して健在。現在の画像を差し替えた。(2011.6.7)
旧藍染川は区界になっているので、今回の道の反対側は谷中で取り上げる。この辺りも比較的古い家が残っているエリアではあるが、油断してるとあっと言う間になくなって新しい建物が建っている。古い家で暮らし続けることは色々な意味で大変な事はよく分かってはいるが、ここまで来ると古い家はやはり貴重なものになっている。手を入れながら使い続けようという動きもあるようなので、そちらに期待していきたい。(2011.8.4芋甚記述訂正)
二丁目13番。東京メトロ千代田線根津駅で降りて、根津一丁目の交差点から裏へ入ったところ。タケナミ自転車店、理髪店、電気店、その向こうには飲み屋の九ちゃん。九ちゃんの看板には岩手陸前高田の銘酒酔仙の文字がある。今も建物は変わらないのだが、同じ看板は九ちゃんだけ。
二丁目13番。小野畳店、隣はタバコ屋。店舗は休みなのか、仕舞た屋なのか不明。建物は健在だし、小野畳店も健在。今は右側はあいているようだが、東日本大震災で傷んだ様子。
二丁目13番。塀が巡らされて,日本家屋に一部洋館の造り。角には車庫もあって、堂々たる御屋敷。前に止まっているBMWの6シリーズ,この頃はスーパーカー感覚の雲の上の車。この家は今も大事にされている。
二丁目10番。その並び。博信看護婦家政婦紹介所、安川ひろという看板が見える。今はマンションになっている。
二丁目12番。その向かい側がはん亭。この当時から串揚げのお店として営業されていた。明治に建てられた木造三階建ては大迫力。
二丁目12番。この建物が魅力的なのは、三階部分と二階建て部分が合わさった構造になっていること。立派な造り。
二丁目12番。不忍通り側からの眺め。この頃はこちら側は風貴堂という漆器のお店だった。今は不忍通りの拡幅で建物が削られてしまうという事態が起きた。耐震補強の意味もあるのだろうが、今はこんな形になっている。
二丁目11番。不忍通り沿いの住田純ドライクリーニングに岩野邸宅社。隣はメガネの正興社。今も変わらないのは、左隣のプロカッティングサロン。看板まで同じ。不思議なことに、新しくビルが建って違う不動産屋が入り、その隣も違うクリーニング屋になっている。(以前池之端にアップしたが、正確には根津なので、こちらに移動しました。)
二丁目8番。さて、元の通りに戻って来て、はん亭の向かい側の並び。物干し台が見事。板塀が大分やれてはいるけど。今も健在で、手を入れてスッキリしたところ。これからも元気でいて欲しい建物。
二丁目6番。更にその並びを進んでいくと角になる。坂角のえびせんべいは名古屋の名品だけど、この頃はここに東京進出の足場を築いていたようだ。今はビルに成り、珈琲館が入る。
二丁目6番。曲がりくねった道に沿って長屋。ネームかけはぎの東京商事の看板が目立つが、その手前も自転車が並んで営業している様子が見える。何屋さんだったのか。今は珈琲館のビルが続く。
二丁目14番。茨城県職員東京宿泊所。大豪邸で庭も広く、素晴らしい住宅だった。とにかく壮大で立派な家だった。地元でも保存運動があったらしいのだが、取り壊されて介護付き老人ホームになっている。これほどの家はなかなかないだけに、もったいなかったと思う。
二丁目14番。ブリキヤ國嶋。一階の店舗内に車が収まっていて、二階の手摺り部にはハシゴやら資材やらが置かれている。いかにも職人さんの日常の香りがする。今は空き地。
二丁目14番。萬屋三浦酒店。隣はクリーニング屋。モルタル造りの看板建築。それほど古いものではなさそうな感じ。今はどちらも建物も店も変わっている。
二丁目23番。言問通りを越えて旧藍染川沿いを行く。昭和スタンダードな木造住宅,庭には木が植わる。今は建て替えられている。
二丁目32番。今ではこの界隈の名所になっている染物丁字屋。この頃はいかにも染物屋という感じで、通りすがりで店に入れるような雰囲気はなかった。でも、変わらずに営業されていて、今は地域の町興しの柱になっているのは立派なことだと思う。
二丁目33番。雪印牛乳根津販売所、貸本なかよし文庫、鈴木塗装店、テート薬局と並ぶ。今は角からの長屋は取り壊され、マンション建設が始まっている。テート薬局は健在。
二丁目31番。藍染大通りという名前が付いてるけど、短い区間。榊原商店。両隣は様変わりしているが、今も変わらない。
二丁目30番。石川書店、隣はあんみつの芋甚尾張屋。今は芋甚はビルになっている。
二丁目33番。これまた見事な長屋である。大分よれよれではあるけど...。裏が空き地で駐車場になっている。今は全ての敷地にマンションが建っている。
二丁目33番。クリーニング兼六舎に荒川米店愛染町販売所。右側の印刷会社は有限会社荒口静山堂と見える。米屋さんの配達はホンダのホークIIの250cc。兼六舎は今も変わらず、荒川米店は建て直して健在。現在の画像を差し替えた。(2011.6.7)
旧藍染川は区界になっているので、今回の道の反対側は谷中で取り上げる。この辺りも比較的古い家が残っているエリアではあるが、油断してるとあっと言う間になくなって新しい建物が建っている。古い家で暮らし続けることは色々な意味で大変な事はよく分かってはいるが、ここまで来ると古い家はやはり貴重なものになっている。手を入れながら使い続けようという動きもあるようなので、そちらに期待していきたい。(2011.8.4芋甚記述訂正)
その遊郭から付けられた【大門(おおもん)通り】近くに住んでいたのに、ちっとも知りませんでした。汗。
今回、偶々ストリートビューと比べてみたら、珈琲館はちょっと前までコロラドだったんですねぇ。
お隣の洋品店もまだ開店前でしょうか、オレンジのテントも無くシャッター閉まったまま。
やっぱり街は生きてるんだなぁと思いました。
そういう意味からすると、単なる住まいだけでなく商売を行っていながら昔の佇まいを残しているのは、スゴイ事なんですよねぇ。
ちなみに、洲崎と新吉原を結ぶバス路線もあったそうですね。親不孝路線と言われたとか。
大門通りというと、元吉原の大門にちなむ大門通りは今でも残ってます。日本橋富沢町から人形町に掛けて存在した元吉原の大門から神田川のところまで続く道です。
根津の界隈は、面白い所だと思います。でも、藍染大通りの辺りはここしばらくで大分古い家が壊されているようです。変わらずに商売が続いているというのは、確かに大変な事なのだとしみじみ思います。
次回からは谷中の予定ですが、スキャンした画像のチェックをしていたところ、池之端と根津で追加したい画像も出てきているので、再度現地調査を経て、それぞれ続編をと思っています。谷中も三回くらいに分ける分量があります。
そろそろ終盤に差し掛かって来てますが、まだあります。
私の写真を見て頂いて、どうもありがとうございます。私も古い時代を感じさせてくれる建物や町並みが、大好きです。東京は生命力溢れる生きた町ですが、古くからの町を次々と壊していってしまうことは、残念でなりません。せめて、その姿を残していこうと思い、今も町を歩き続けています。
イギリスは、古いものをとても大事にされていますね。一度だけ伺いましたが、ロンドンも良かったですが、田舎道をバスで走っていて見掛けた農家など、とても素晴らしい雰囲気で感激しました。
ご相談があってコメントさせて頂きます。
こちらのブログに掲載されている写真を使用させて頂くことは可能でしょうか??
この場では細かい内容は控えさせて頂きますので
メールアドレス等教えて頂ければそちらで詳細などお話ししたく思います。
ご検討よろしくお願い致します。
tds_1980s*excite.co.jp 宛にご連絡下さい。スパム対策で、*マークを入れてありますので、@に入れ替えて下さい。
聞けば、東日本大震災でかなりのダメージがあったようです。
丁字屋さんから近い、谷中側にあった長屋の一部も震災で破損して、建て直されてしまいました。谷中界隈、結構大きく変化する時期が来ているのかもしれません。