さて、先日文京区の本郷を通り掛かって、以前撮影した所が更地になっているところがあった。一つは七月にこのブログにコメントで取り壊しをお知らせ頂いた、壱岐坂の通りの関口書店と小山履物店の建物、もう一つは春日通りの真砂坂上の宇津木家具店と並びの銅板貼りの店舗も取り壊されていた。関口書店と小山履物店はコメントでお知らせ頂いてから、取り壊しの前に見に行っていた。最近、たまたま近くを通り掛かって、そういえばもう無くなってしまっただろうと思い寄り道してみたところ、真砂坂上の交差点のところで二軒が更地になっていた。こちらは予期していなかったので、本当に驚いた。東日本震災以来、年月を経た建築の建て替えの進行が早まっているようにも思える。仕方のないことではあるが、惜しいとも思う。
壱岐坂の通りの小山履物店と関口書店。2013年2月撮影。
典型的な看板建築で、タイル貼り仕上げ。二軒長屋で境界壁を共有することで敷地を効率的に使うという形態。関東大震災後の復興期に多く作られたスタイル。
こちらは取り壊し直前の2014年7月に撮影したもの。正面に取り壊しの告知が貼られている。
よく見ると、一部タイルが破損して、板を貼って補修されていた。維持に手も掛かって御苦労があったのだろうと思う。
直線的なスッキリしたデザイン。全体をタイル貼りにして、良い雰囲気になっていた。
2014年9月にもう一度行ってみたところ、既に完全に更地になっていた。
春日通り、真砂坂上。二軒が並んでいて、道路拡幅で古い建物が一気に無くなったこの通り沿いに僅かにかつての面影を残していた存在だった。撮影は2011年11月。
木造二階家で、かつては通り沿いに同じ様な建物が並んでいたのだろうと思わされる。これは2013年2月撮影分。
この周辺は、戦災で焼失したところと残ったところが混在している。この建物は無事に過ごしてきたわけである。
隣は銅板貼りの看板建築。銅板がキレイな色になっている。そろそろ都心の銅板貼りの建物も大分数少なくなってきている。
こちらは、引き戸も銅板貼りのフレームの昔から使われている建具がそのままだった。
一番上には、医療器具という文字があった跡が見える。本郷は今も医療機器の会社の多い町である。
そして、隣家との間に防火壁がレンガ塀で設けられているのが、特徴的だった。
壱岐坂の通りの小山履物店と関口書店。2013年2月撮影。
典型的な看板建築で、タイル貼り仕上げ。二軒長屋で境界壁を共有することで敷地を効率的に使うという形態。関東大震災後の復興期に多く作られたスタイル。
こちらは取り壊し直前の2014年7月に撮影したもの。正面に取り壊しの告知が貼られている。
よく見ると、一部タイルが破損して、板を貼って補修されていた。維持に手も掛かって御苦労があったのだろうと思う。
直線的なスッキリしたデザイン。全体をタイル貼りにして、良い雰囲気になっていた。
2014年9月にもう一度行ってみたところ、既に完全に更地になっていた。
春日通り、真砂坂上。二軒が並んでいて、道路拡幅で古い建物が一気に無くなったこの通り沿いに僅かにかつての面影を残していた存在だった。撮影は2011年11月。
木造二階家で、かつては通り沿いに同じ様な建物が並んでいたのだろうと思わされる。これは2013年2月撮影分。
この周辺は、戦災で焼失したところと残ったところが混在している。この建物は無事に過ごしてきたわけである。
隣は銅板貼りの看板建築。銅板がキレイな色になっている。そろそろ都心の銅板貼りの建物も大分数少なくなってきている。
こちらは、引き戸も銅板貼りのフレームの昔から使われている建具がそのままだった。
一番上には、医療器具という文字があった跡が見える。本郷は今も医療機器の会社の多い町である。
そして、隣家との間に防火壁がレンガ塀で設けられているのが、特徴的だった。
小さな木造家だったわたしの家の前は「笠原さん」といって、りっぱな3階建ての洋館でした。
ほんのわずかの風景がよみがえりますが、もう80年も昔のこと! 父を想い返し、『父の肖像』を書きたくて、思い出しているところです。本郷4丁目は、すこし場所が違いますが、記事を拝読して、思わず懐かしくてコメントを書きました。どうか元気にご活躍くださいませ。
懐かしい写真をありがとうございます。
関口書店は大横丁という商店街にあり、昔は立派な商店街でした。お祭りも大きかったし、盆踊り、ビアガーデンも毎年開催されていて、大賑わいだったんです。
書店のすぐ裏にあった銭湯が無くなったころから、でしょうか、マンションが増え始めて商店がなくなってきたと思います。
時代の流れで仕方ないのでしょうが、、寂しい限りです。。
私は昭和40年代から50年代に誠之小学校から六中に通っていました。小学校の頃は総合体育館にスイミングスクールに通っていたりして、土曜日の夜に一人本郷3丁目のバス停で志村車庫行きのバスを待っていたことを思い出します。
町の姿は変わり、同級生も地元を離れた人が多くなりました。
少しでも懐かしんでいたければ嬉しく思います。
この書き込みにもある関口書店の息子さんと小学校の同級生です。
元町小学校で小1〜3年までは毎日のように遊んでいました。クラス替えからあまり遊ばなくなってしまい、その後中学も別になってしまったので疎遠になってしまいましたが、今でもカンちゃんのことはよく覚えています。
このブログありがとうございます。
カンちゃんとの思い出が蘇ります。
多くの方の思い出の縁になっているようで、何よりだと思っております。とても嬉しいです。