東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

向丘、千駄木散歩

2015-06-20 18:07:12 | 文京区
これまでにも取り上げたことのあるところだけど、少し久し振りに散歩してきた。そんなところを画像中心に軽く見られるような感じでまとめてみようと思う。今日は梅雨の晴れ間で、気温もまずまずの散歩日和だった。都営地下鉄三田線の白山駅で下車して、向丘から弥生、千駄木と歩いてみた。

最初に中山道の西片の通りに向かう。この辺りは私にとっても小学校以来の思い出のある町だ。とはいえ、同級生達のほとんどは既にこの町にいないようだし、町の姿も変貌している。それが東京という町といえば、正にそういうことなのだろう。今日はまず、前に歩いた時に面白かった駐車場の注意書きをもう一度見てみようと思った。以前撮ったのはこれだ。何しろ飼い主が叱責されちゃうという、怖い注意書きだ。


あれ、この辺だったなと思ったのに、駐車場が再整備されていて様相が変わっていた。あの注意書きも消え去ってしまったのがとても残念。惜しい。


姉がピアノを習っていた先生の家を探してみたりしながら、追分の高崎屋のところまでやってきた。江戸から続く酒屋さん。この追分のところに森川町の一里塚があった。


そして、本郷通り、旧岩槻街道を渡ると東大農学部校内へ。ここはその昔は水戸徳川家の屋敷があったところ、本郷の東大というと、加賀前田家の屋敷の印象が強いのだが、この農学部は当初は一高があって、駒場と土地を交換して入れ替わったりとか、その後の経緯も面白いところだ。
朱舜水先生終焉の地の碑。水戸徳川家ゆかりの人物で、明の遺臣であった人。うろ覚えだが、後楽園の庭園にも碑があったように思う。この地が水戸徳川家と縁が深いことの証しでもある。


今回の目的の一つがこれを見に来ることだった。忠犬ハチ公と飼い主であった上野英三郎博士の銅像がここに出来たというので、見てみたかった。渋谷の駅頭で一人待ちつづけるハチが可哀想だから、是非とも飼い主である上野博士と一緒の像をということで作られたもの。


正直に言ってしまうと、私はこれまでに銅像で心動かされるということはあまりなかった。立派な人物という主張か、やっちゃった感のあるものしかないなと思っていたのだが、この銅像はとても良かった。犬好きな人なら、思わず頬が緩むような、そんな姿。なにより、ハチの嬉しそうな姿と、上野博士の優しい表情がとても良い。これはわざわざ見に行くだけの価値があると思えるものだった。


農学部の門の直ぐ横には、入場無料の資料館がある。この中には上野博士の胸像と、ハチ公の臓器が展示されている。訪問したなら、是非こちらも見ていこう。


農学部を出て、塀沿いに歩いて行く。ずっと行くと、日本医科大の前に出てくる。その並びには、和菓子の名店一炉庵。明治の創業以来の店で、鴎外も漱石も口にしたことだろう。今日はまだ先があるので、横目で見て後ろ髪を引かれる思いだった。


そのすぐ先、夏目漱石の旧居跡。これも以前に取り上げたっけと思う。


今日気が付いたのは、後ろの塀の上にネコがいたこと。犬を見て、ネコを見て、盛り沢山の散歩である。


この辺りを行くのなら、日本医科大の下側から藪下の道を行くのが王道かなと思うのだが、今日は上から。歩いていると、鮮やかな青紫色。夏間近を感じる。


そして、鴎外記念館、観潮楼跡へ。


振り返ると、ビルの隙間からスカイツリーが見えている。


ここも訪問は二度目だ。展示も変わっているので、中に入ってみる。


入館料は300円也。詳細は検索の上でということで。二度目なので、あっさりと済ませてしまう。


実は、今日の目的の一つがこの旧安田楠雄邸見学だったのだが、お昼時になって来てお腹も空いてきたので、前まで来ておきながらパスしてしまった。次回こそ。


その少し先、奥へ入る道に凝った造りの塀が僅かに残されている。これが宮本百合子の旧居の跡。


そして、不忍通り側に入っていったところ、少し歩き回ると旧市嶋邸が在る。新潟というよりは、日本海側有数の豪農であったという市嶋家の本家の東京の本宅があった。早稲田大学には、分家の市嶋春城が深い繋がりがあり、その縁で早稲田大学に寄附されたという話を見た。今は静かにひっそりとしている。


そして、不忍通りに出て動坂下からバスに乗って帰宅。


休日の散歩には、昼からビールが美味い。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿