東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

板橋区イナリ通り~その二

2013-10-26 19:05:04 | 板橋区
さて、板橋区のイナリ通りを見ているのだが、清水稲荷神社の前を過ぎると、商店街は終わってしまう。小さな商店街だけど、地域の中で共存していって欲しいと思う。宮本町53。


その先は、同じ道幅のままで少し上り坂になっているのが分かる。商店街の中は路面もタイル貼りになっているのだが、それも終わってしまうところ。宮本町48。


その少し先から振り返って見たところ。清水稲荷神社の境内の大イチョウが見送ってくれているよう。宮本町48。


そして、板橋本町方面から交差する、これも古くからあった感じの道と交差する。少しずれた形で先に続いている。宮本町48。


そこで、来た道を振り返ったところ。宮本町48。


その交差点で行く先を見通す。農村時代にはどんな景色の場所だったのだろうかと思うが、今の町から想像するのが難しい。宮本町30。


進んで行くと、左手に木造モルタル仕上げの建物があった。幹線道路から大分入ってきているのだが、結構中小企業の工場が目に付く。色々な分野の小さな工場がいくつもあって、見ていると面白い。前回の記事中にあったように、戦前の陸軍造兵敞の納入を前提とした会社が数多くあったことから始まっているのだろう。宮本町35。


歩いて行くと、やや大きめの工場の間を通りぬけていく。道路の上をなにやらパイプが跨いでいたりする。何かと思えば、ヱスビー食品の中央研究所、スパイスセンターであった。大正12年に浅草七軒町で創業した「日賀志屋」が、昭和10年に合名会社となり、ここに工場を造ったという。昭和24年にヱスビー食品に改称し、本社を日本橋兜町へと移転したものの、この場所とは長い付き合いの関係にある。宮本町38。


その隣には、少し大きめの公園があって、子供達が遊んでいた。道の両側に広々としたスペースを取っていて、かつての清水村以来の面影を残しているのか、一度は工場などになっていたものが公園になったのかは分からない。宮本町38。


そろそろ、今回の終点が見えてきた。少し大きめの通りが近づくと、マンションなど高層の建物が目立つようになってくる。前野町一丁目2。


今回の終点、富士見街道に出た。この道筋も古い道筋のようで、中山道と川越街道を結んでいたのではないかと思う。この先にも道は続いているのだが、向こう側は富士見街道の反対側が都市化した際に区画整理で出来たようにも見えるので、ここまでということにする。前野町一丁目1。


富士見街道に面して、先ほどのヱスビー食品のスパイスセンターの入口がある。かつては、国会議事堂を模した建物があったというが、残念ながら今は存在していない。大谷石で造られた建物に、S&Bマークが見える。宮本町37。


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