東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

川越街道補完編(四)東新町氷川神社

2015-10-18 20:50:33 | 板橋区
さて、上板橋宿を出て環七と交差する板橋中央陸橋を越えると、以前に掲載した長命寺の前に出てくる。ここから新道のルートで進むのが川越街道だが、おそらくかつてはこのあたりが追分で古道が西へ延びていた。この古道に入ってみる。環七から斜めに入って行く辺りが古くからの道らしい雰囲気。


進んでいっても今はごく普通の住宅街。ただ、道が緩く蛇行しているのが古い道の証し。


進んでいくと、緑の茂小高い丘があり、氷川神社があった。
「氷川神社
 ご祭神は須佐之男命です。当社は、旧上板橋村字上之根の地に鎮座して、古くから崇敬を集めてきました。創建は不明ですが、文政六年(一八二三)の「上板橋村書上帳」に「一御除地五反四畝歩 当所鎮守氷川宮地但宮・拝殿有之候 一御除地中田壱反八畝拾歩同社免」とあるので、江戸時代にはすでに旧上板橋村の鎮守として当地に鎮座していたと考えられます。当社の氏子の範囲は、旧上板橋村の南部に広がり、江古田駅前の浅間神社も当社の境外末社の一つです。なお、浅間神社の境内にある富士塚は、昭和五十四年に国の重要有形民俗文化財に指定されています。当社の境内にある資料館は、この地域一帯が都市化により姿を変えていくなかで、往時の姿を保存するため、有志によって昭和四十六年(一九七一)に建設されたものです。収蔵品には、衣食住関係(衣服・炊事用具等)や生業関係(農具・工具等)、社会生活関係(防災用具・信仰関係等)等があり、江戸時代から昭和まで千点余に及んでいます。昭和五十九年度に一括して板橋区の指定有形民俗文化財となりました。
 平成二十二年三月 板橋区教育委員会
※資料館の見学は事前の予約が必要です」


境内はかつてのこのあたりの面影を唯一残している様な雰囲気。


社務所も立派なもの。資料館のことは知らないで訪問したので、いずれと思っているが未だ果たせていない。


奥へ階段を上がっていく。境内の雰囲気が周囲と隔絶している感じ。


手水舎もとても立派なもの。


神楽殿。昔ながらの雰囲気のある境内。


社殿。これも立派なもの。


板橋では余り見掛けない様式の拝殿。


稲荷社もある。


境内社。木々が茂って鬱蒼としている感じが分かるだろうか。クスノキ、クロマツの大木がある。


戦没者の碑。


裏手には幼稚園がある。


その横手を裏参道が抜けている。

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