写真は高尾山薬王院の天狗と烏天狗の大きな面です.
色の対比が異様な雰囲気を出しています.
天狗になる,と言えば,高慢な人を指します.
鼻高々,というのも自慢気な感じを表す言葉.
いわゆる美人というのは日本では鼻が高い人が多い,美人は高慢になりやすい,そうして極端に高慢な人は鼻がのびて天狗になる,という流れになったのか?
今の天狗の形が定着したのが鎌倉から室町にかけてらしい.
ということは禅宗の座禅が定着した時期と同じ.
座禅のときに鼻先を半眼で見る感じというのがある.
修行を積むと,鼻が大きく見えてくることがあるのではないか?
私はその経験はないが,体が宙に浮く感覚は得ることはある.
それは立体視(3Dに見える絵本などが出版されている)をする時と同じ視線だからだ.
反復する模様を視線をずらしてみると,ある瞬間に突然に,その模様が透明になって空間がみえてくる.
畳や板目,砂利など,座禅の視線の先は反復模様,それは簡単に起こることだ.
座っている足下がスゥーッと透明になり,体が空間に浮いている.
今は立体視だな~と思えるが,昔の人は本当に宙に浮いたと思ったかも知れない.(実際に私も最初はそう思った)
このことについて書いてあるものは見ていないが,何故だろうか.
教えてあげれば,実際に飛び上がろうとする人はいなかっただろう.
しかもこの感覚に捕らわれるのは,本来の座禅には良くないことだし,注意すべきことのはず.
魔孥羅(まぬら)尊者いわく,
「心は万境に随って転ず,転ずる処,実に能く幽なり.」