写真は皇居の半蔵門近くにある銅像「自由の群像」.
ハトが留まって困っているように見えます.
人は自由に考えているようでいて,本当はほとんど他人の考えを受け容れている.
頭の上にハトが乗っているように,自分の思考ではなく,頭の上に誰かの思想が乗っている.
今は歴史ブームと言われて,歴史好きな女性を歴女という呼び方までしている.
でもほとんどは史実としての歴史ではなく,歴史小説,歴史ドラマ,歴史マンガ,歴史アニメのファンをいうのだろう.
歴史小説と歴史はかなり違うはずだ.
がしかし,私の中で歴史的人物を想う時,歴史小説からくる影響でほぼ成り立っている.
歴史小説を読んでいるわけではないが,小説を原作とするテレビドラマ,映画などから,その人物の印象は作られている.
日本人として必読の三大歴史小説家は,藤沢周平、司馬遼太郎、池波正太郎らしい.
なかでも司馬遼太郎は,ほぼ日本人の歴史観そのものに成っているのではないだろうか.
「竜馬がゆく」は,発行部数が2,000万部を超えているそうだ.
勝海舟いわく,(ドラマ「仁」の小日向文世はいいな)
「人心の理というものは、古今同じだからな。
ただその趣が違つて見えるだけだもの。」
写真は千鳥ケ淵の猫です.
眼の毅然とした感じに野良猫の気概があります.
猫に惹かれるのは,その眼の中の野生の光と孤独感です.
たとえ人に飼われていても,ジブリ映画「耳をすませば」の猫のように自由に生きています.
自由と孤独は仲がイイ.
自由を手にすると,孤独が着いてくる.
バルザックいわく,
「孤独はいいものだ.
けれど,孤独はいいものだと話す相手をもつことは,
ひとつの喜びである.」
上の写真は,水道橋後楽園のカマキリ.
下の写真は,石川県小松市のカマキリ.
カマキリの種類も分からないし,色の違いがどうなのかも知らない.
子供の頃は知っていたんだろうか?
自然の多い地方に育っても,自然を観ないで生活していた.
都会でも,観る眼があれば自然はすぐそこにある.
観ようとしないなら,自然は見えてこないものなのだろう.
ヴィクトル・ユゴーいわく,
「神は人に情熱をあたえる,
社会は行動することを教える,
そして,自然の中では夢想する.」
写真は毎年恒例のお誕生日会で出された料理です.
数年前から誕生日が近い4人で何となく始まって続いています.
今年は私の引っ越しがあるので少し早い開催になりました.
どうもごちそうさまでした.
室内で撮る写真は必ずブレてしまいます.
また設定を室内用に変えることを忘れて風景用の設定になっていました.
人物を撮るのもうまくいきません.
イラストも同様で,動きのあるものは苦手,ただ静物を丁寧に描くのが好きです.
受験用の石膏デッサンは,今思い返せば一番楽しい事だった.
普通の受験勉強も時間が経てば,きっと楽しい想い出になる時がくる.
勉強できる環境にいることに感謝すべき時には,それがわからない.
強いられてやっていると思うから辛いのだろう.
楽しくやれればいいが,楽しいことばかりではないのが,お仕事.
でも楽しんでも苦しんでもやるべきことは同じ.
同じことなら笑顔でやれば,楽しくなる.
ジョン・ラスキンいわく,
「喜びの無い労働は悲しい,しかし,
労働の無い喜びはもっと悲しい.」
写真は私が所持している唯一の美術工芸品の九谷焼の湯飲みです.
作者は九谷焼では名のある北出塔次郎.
先日,石川県立美術館でも作品が展示されているのを観ました.
九谷焼らしい色使いや模様で,筆勢があります.
これは父が50年くらい以前に,遠い親戚の北出塔次郎さんにお会いした時に頂いたもの,箱はないので商品としての価値は無いに等しい.
陶芸などの工芸品は箱書きが重要で,作品より箱の方が価値がある場合も多い.
箱書きはその出所由来を示す鑑定書のようなものです.
レッシングいわく,
「芸術は,人がその作品を見て,その作者を忘れる時にのみ,真に称讃される.」