外に無く、内に有ること。

美を感じること、自然に生きること。

「琴詩書画」と「琴棋書画」

2009-11-01 06:46:44 | 日記


これも昨日に引き続き先週に神保町古本市で手に入れた本です。
「琴棋書画」の絵柄の焼物などのコレクション集です。

以前のブログに「「琴詩書画」をたしなむ」のタイトルで書いたことがあります。
これは「琴詩書画」でなく、「琴棋書画」です。
この違いは、一字の違いだけの問題ではなく、思想的には大違い。

詩の意味をどう捉えるか。
「琴棋書画」では詩は無いのですが、これは中国では詩才というのは教養の根本であるということ。
全ての思考の基盤にしてあるべき必然のものです。
琴・棋・書・画は、音楽・囲碁・読書・絵画という趣味的な嗜みである。

一方、「琴詩書画」は日本では趣味というより学習に近い考えだと思う。
日本では、学習第一という考えが、仏教が導入されてから、ずっと続いているのではないか。
琴・詩・書・画は、琴を傍に置き、漢文を読み、書道に励み、水墨画で精神を高める。
囲碁は遊びとして、いつの間にか、漢詩の教養に置き換えられた。

常に学び指向の日本、かたや古代中国は教養の上の趣味という余裕。
でもそれも昔のはなし、今や外国から学ぶという指向はもう持てない。
学ぶためには、時間をさかのぼるしかない。

では古き良き日本人を代表して、貝原益軒いわく、

「およそ書を読むには、いそがしく読むべからず。
 くわしく、ゆるやかに、字字句句分明なるべし。
 一字をも、あやまるべからず。」